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その16 勝手にお馬鹿さん
高級感たっぷりのガラス扉を前にし、苺は顔をしかめた。
行かなきゃ駄目かな?
行った振りだけするってんじゃ、駄目かな?
真剣に考えた苺だが、あの店長さんを騙せるわけがないと思い直す。
エステ前の苺と、エステ後の苺、違いは歴然だろうからなぁ。
やってもらいましたよぉ。
な~んて嘘をついたりしたら……
頭の中で、店長さんから冷たい眼差しを向けられ、苺は「うぎゃっ」と叫んだ。
「はぁ~っ」
ため息を落とす。
やっぱ、行くしかないか。
諦めた苺は、渋々階段を上がり、エステの中に入った。
受付に歩み寄り、すでに顔見知りのスタッフと目を合わす。
「鈴木様、いらしゃいませ。本年もよろしくお願いいたします」
にこやかで丁寧な挨拶を受け、苺もにっこり笑う。
「こちらこそ、よろしくですよ」
思わず言ってしまってから、本心と違う言葉を口にしてしまったことに、苺は思わず顔を歪めた。
あんまりよろしくしたくないってのに……
もちろん、エステのスタッフさんが嫌ってわけじゃない。単に面倒くさいだけだ。
スタッフさんから、ソファに座って待つように言われ、ソファに移動する。
なんで毎週、エステにこなきゃならないんだろうなぁ?
そりゃあ、面接時の苺は、店長さんには許せないほどやぼったかったかもしれないけど……
もう月一くらいでいいと思うんだよね。
心の中でブツブツ呟きつつ、ソファに腰を下ろした苺は、ハッとした。
そっ、そうだった!
苺ってば、いま、イチゴ祭りかってくらい、イチゴ尽くしで……
苺は、上着のポケットについている大きなイチゴのアップリケを、思わず手のひらで押さえた。
いまさらなのだが、受付のスタッフさんの様子を窺ってみる。
すると、スタッフさんは苺と視線を合わせ、素敵な営業スマイルを浮かべる。
スタッフさんは礼儀正しいから、あからさまに笑ったりはしないが……いや、だからこそ、なおさら恥ずかしい。
「鈴木様」
「は、はい」
呼ばれてソファから立ち上がり、苺は受付に駆け寄った。
「では、担当スタッフが参りましたので、ご案内致します」
受付の側に、顔見知りのスタッフさんがやってきていた。
新年の挨拶などするものの、子どもっぽいイチゴ尽くしの格好が、いよいよ恥ずかしくてたまらなくなる。
あーん、もう早く帰りたいよぉ。
奥へと案内されて進みながら、苺は「あ、あの」とスタッフさんに呼びかけた。
「はい」
「じっ、実は、そのぉ……今日あんまり時間がなくて。すみませんけど、半分くらいに短縮してもらいたいんですけど」
「ご予定がおありなのですか?」
「まあ……は、はい。半分に……できます?」
おずおずと聞いたら、スタッフさんは微笑んで頷いてくれる。
「それでは、主要なコースのみということで。……ネイルなどはいかがいたしましょう?」
「それも、なしでお願いします」
ネイルはかなり時間がかかる。
爪なんて、隠しておけば、店長さんも気づかないだろう。
それなりにエステ効果が見えれば、手を抜いてもらったなんて、わかりはしないはずだ。
空いた時間で、このイチゴの服をなんとかしょう。
こんなイチゴ尽くしで、馴染みのラーメン屋には行きたくない。
苺は、エステの最中、服をなんとかするための計画を練った。
ワンルームに帰って、着替えられれば一番だけど……時間がかかりすぎる。
となると……
あとは、このあたりのお店で、服を買うしか手がないか……
この付近には、ブティクもたくさんあるのだが、リーズナブルなブティクがあるだろうか?
そういえば、お財布って、いくら入ってたっけ?
そんなことを考えている間に、短縮エステコースは終了した。
苺は、いつもよりぐっと控えめなお化粧をしてもらい、エステのお店を飛び出た。
歩道を急いで進み、苺のお眼鏡に叶うブティクを探して回る。
ブティクはどこも高級そうで、入るのをためらってしまう店ばかりだ。
十分ほど探し回ったところで、割引品を店の入り口にいっぱいぶら下げているお店を見つけた。
ここだよ、苺の探し求めていたお店は。
笑みを浮かべた苺は、さっそくぶら下げられている服を物色しはじめた。
見るからに安っぽいのやら、受け入れがたいデザインのものが多く、なかなかこれというのが見つからない。
けど、もう迷っている時間がない。
店長さんが迎えにきてしまう前に、エステのところまで戻らないと不味い。
もう、これでいいか。
ありきたりなデザインながら、それなりに許せそうなTシャツとスカートと上着を選び、苺はレジに持っていった。
「これ、着て帰りたいんで、試着室で……」
「お客さん、悪いけど、うちには試着室とかないんだわ」
横柄な口調で、店の主人らしいおばさんが言う。
苺は、まさかの事態に顔をしかめた。
着替えられないんじゃ、これを買う意味がない。
着替えられる場所なんて、もう探してられないし……
「そ、そうですか。そ、それじゃ……も、もう、いいです」
「七千八百円になります」
苺は思わず身を固めた。
苺のいいですってのは、もうこの服はいりませんって意味だったのだが……
感じがいいとはいえないおばさんは、面倒そうに服を袋に詰めはじめている。
それも、ぞんざいに畳んで……
苺は気を落とした。
な、なんか……このおばちゃんの対応、買いたい気持ちが消え失せる。
けど、こうなると、もういらないとは言い出せなかった。
泣きたい気分になりながら、苺は仕方なくバッグから財布を取り出した。
財布を開いてお金を数えた苺は、血の気が引いた。
よ、四千円しかお札がない!
焦って小銭を数えたが、六百三十二円だけ……
苺は顔を強張らせて、おばちゃんに目を向けた。
おばちゃんは、早くしろ支払えと言わんばかりの目を苺に向けてくる。
「あ、あの……お金、持ってるつもりだったんだけど……ぜんぜん足りなくて……」
「はあっ? どうすんのよ?」
目くじらを立てたおばちゃんは、服を入れた袋をパシンと叩きながら、怒鳴るように言う。
持っているお金で買える品だけ選ぼうかとも思ったが、苺は大きく息を吸って口を開いた。
「すみませんでした。もう、いりません。ごめんなさい」
苺は頭を下げ、パッと背を向けて店から飛び出た。
エステに戻りながら、涙が込み上げてならなかった。
迷惑をかけたのだし、おばちゃんが苛立つのは当然かもしれない。
苺が悪かったと、心から思う。けど……
店員っていうのは、そういうものじゃない。あんな風であっちゃいけないと思う。
もし、あのおばちゃんが、店長さんや藍原さんや岡島さんだったら……苺が何を求めているのかをさりげなく聞き出し、苺の求めにできるかぎり応じたいと、心配りをしてくれただろう。
そして、お金が足りないとわかったら、苺に恥をかかせないように、うまく配慮してくれたに違いない。
エステの前に戻った苺は車道を見つめ、店長さんの車を待ち焦がれた。
五分ほどして、店長さんの車がやってきた。
目の前で停まった車のドアを見つめ、また涙が込み上げてしまう。
苺は、ごしごしと涙を拭い、ドアを開けて助手席に乗り込んだ。
「苺、いったい何があったんです?」
座った途端、店長さんの鋭い声が飛んできた。
しまったと思ったが、泣いているのを見つかっては、ごまかしようがない。
イチゴの服が嫌で、エステを短縮してもらい、着替えるために服を買いに走り、結局お金が足りずに買えなかったばかりか、店員さんの不親切な対応に泣いたなんて……
愚かなうえに、情けなさすぎる。
できれば店長さんに知られたくない。
「な、なんもですよ」
「なんでもなくて、なぜ泣いているんです? ここのスタッフに、傷つけられるようなひどいことを言われたのではありませんか?」
ここのスタッフ?
店長さんが何を言っているのかわかった苺は、慌てて首を横に振った。
「違うんです。スタッフさんはぜんぜん関係ないです。いつものように、よくしてもらったですよ。そうじゃなくて、苺が勝手にお馬鹿さんだったですよ」
苺は胸がいっぱいになり、思い余ってがばっと店長さんに抱き着いた。
「い、苺?」
「店長さん、苺は店長さんみたいな店員さんになるです。絶対なるです」
ぐすぐす泣きながら、苺はいましがたの間抜けな一連の出来事を、店長さんに聞かれるまま、すべて白状したのだった。
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