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その17 苺、猛反省
店長さんに向けて、すべてを語り尽くした苺は、懺悔を終えた気分になり、すっかり気持ちを立て直せた。
瞼は少々腫れぼったいが、涙も止まってくれた。
そのとき、「ふーっ」という大きなため息が聞こえた。
もちろん、ため息をついたのは店長さんだ。
そ、そうだった。
苺ってば、一方的にいましがたのことを独白しただけ。
まだ店長さんから、一言もお叱りを受けていないじゃないか。
そう気づいた途端、気まずさに顔がひきつり、恐ろしさに背筋がぞっとする。
「やれやれ……」
激しく呆れた言葉をいただく。
苺は、これ以上は無理なほどに縮こまった。
「エステだけのはずが……貴女ときたら、見事にやらかしますね」
顔が熱いほど赤らむ。
は、反論のしようもございません……
「ご、ごめんなさい」
「行ってきなさい」
言われたことが理解できず、苺は眉を寄せた。
「い、行ってきなさいって……あ、あのぉ~、どこに?」
これ以上機嫌を損ねないように、ひたすら遠慮して聞く。
「決まっているでしょう」
決まってるったって……
店長さんてば無茶を言う。
そりゃあ、店長さんは口にしている本人だから、自分の言ってることがわかるだろうけど、苺にはわかんないんだよ。
反論が口から転がり出そうになったが、もちろんぐっと堪える。
しかし、行ってきなさいって……いったい、どこに行けというのか?
「まったく!」
突然店長さんが叫び、ぎょっとした苺は助手席のドアにしがみついた。
「早くしないと、スケジュール通りにいかなくなるじゃありませんか!」
苛立ちながら店長さんが吠える。
すると店長さんは、車を発進させた。
えっ?
行ってこいと言ったことは、もういいのかな?
戸惑ったものの、いま余計なことは言わないほうが良さそうだ。
車は、なんとエステの駐車場に入っていく。
そのことに苺が驚いているうちに、店長さんは車を停めた。
「さあ、早く降りて。行きますよ」
早口に命令し、店長さんは車を降りる。
もちろん苺は、わけがわからないながらも、即座に従った。
店長さんはエステの中に入っていく。
苺は慌てた。
「て、店長さん?」
な、なんで、ここに入るのだ。もうエステは終えたのに……?
「藤原様」
受付のスタッフは、入ってきた店長さんと苺を目にすると、少し驚きを見せて頭を下げた。
「彼女が、メニューを勝手にカットしたと聞いたのでね。カッとしたメニューをやってもらいたいんだが?」
ええっ!
苺は驚きに目を見開いた。
「あ、あのっ、店長さん。苺がお願いしたんです」
「ええ、もちろんわかっていますよ」
冷たく見つめられ、苺は縮こまった。
「もちろん別料金を払わせていただきますが……。やっていただけますか?」
「もちろんです。それに別料金などは必要ございません」
「いえ、そうはいきません。こちらの勝手で迷惑をかけているんです。では、申し訳ないが、よろしく頼みますよ」
「はい。すぐに手配致しますので、そちらにかけてお待ちくださいませ」
頷いた店長さんは、ソファに歩み寄って腰かけた。
苺はしばし棒立ちになっていたが、ずっとそこに立ってもいられず、おずおずと店長さんの隣に座った。
いたたまれないよぉ。
「これに懲りたら、もう二度と……」
不穏な声が飛んできて、ビビった苺は「ひっ」と悲鳴じみた声を上げて店長さんを見る。
「わ、わかってるです。もうしません!」
苺はビビりつつ頭を下げた。
すると店長さんは、これ見よがしに大きなため息をつく。
「はあっ」
ため息に責められて、いたたまれなさが倍増する。
おずおずと店長さんに顔を向けてみたら、店長さんは苺をじっと見ていた。
こっ、この目……物凄く、責めてる。
グサッ、グサッと視線の矢が突き刺さるようだ。
「えっ、えっとぉ」
確かに苺が悪かったけど。
反省して心の底から謝ったし、もう許してくれたらいいのに……
店長さんは、苺に冷たい視線を貼り付けたまま、左腕を大きく振り上げ大袈裟な身振りで時計を見る。
あてつけがましい仕種だった。
「予定通りならば、もう着いている時刻ですよ」
いったいどこに? と考えたところでピンときた。
「ラ、ラーメン屋?」
そ、そうか、そうだったよ。
店長さん、常連さんになりたがっているラーメン屋さんに行くのを、物凄ーく楽しみにしてたんだった。
そんなことでと、正直思わないじゃないが……
けど、店長さんにとっては……そんなことじゃないんだよね。
わくわく楽しみにしていた予定が狂ったら、誰だってイライラするに決まってる。
先ほどの謝罪はエステについてのものだった。
これは、ラーメン屋に関しても謝らねばなるまい。
「店長さん、本当にごめんなさい。でも大丈夫ですよ。昼は二時までやってますから、ま、間に……あむっ」
合うという言葉は口にできなかった。
店長さんの指で唇を上下に挟まれたのだ。唇が動かせない。
苺の口は、アヒルになっているに違いない。
「ずいぶん軽く言いますね」
「む、むごっ、むごっ」
離してくださいと言いたいが、むごむごとしか言えない。
「今日は予定が多くて忙しいと、私は言いませんでしたか?」
そういえば、そんなことを言われた気もする。
とにかくここは肯定しておこうと、苺は唇をがっちり挟まれたまま頷く。
そのとき、苺はある事実に気づいた。
店長さんのスーツ、さっきまで着ていたものと違う。
それも、違ってるだけじゃない。
このスーツ、イチゴの模様がステッチしてある。
スーツと同色の糸でステッチしてあるから、よく見ないと気づけないけど……
それに気づいたら、襟の部分だけではなく、袖口やポケットのところにも、ボタンのラインにも施されているのがわかった。
「藤原様、鈴木様」
苺の担当のスタッフさんが飛ぶようにしてやってきた。
「申し訳ありませんでした」
担当さんは何も悪くないというのに、店長さんに向けて頭を下げる。
「いえ、貴女が謝る必要はありませんよ。悪いのはこの苺ですからね」
「その通りです。本当にごめんなさい!」
ひれ伏さんばかりに頭を下げる。
「すっ、鈴木様」
「すみませんが頼みますよ。さあ苺、行ってきなさい」
苺は猛反省しつつ、担当さんの後についていったのだった。
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