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その3 心ゆくまでティータイム
「苺、お茶をいただきませんか?」
にやついていた店長さんが苺に問いかけてきた。
「お茶? で、でも……おばあちゃんと真柴さんのことは本当にいいんですか?」
「たいした怪我ではなかったようですし、ふたりのことについては、ゆっくり考えましょう」
まあ、確かに急を要するようなものではなかったけど……
隣の部屋に、おばあちゃんと真柴さんがいるのかと思うと、気になる。
気持ちとしては、ふたりの様子を覗きに行きたいけど、店長さんがここに入院していることや、眩暈を起こして倒れたことはおばあちゃんには内緒なんだし……
羽歌乃おばあちゃんは、パワフルなおばあちゃんだけど……お年寄りなのだ。
孫の店長さんが倒れたなんて聞いたら、ひどく心配させてしまうだろう。
「お茶、いいねぇ。俺もご相伴預かれるんだろう? なにせ、重要な情報をもたらしてやったんだからな」
恩着せがましく溝尾さんが言う。
店長さんは、何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
「では、さっそく支度をしたしますので」
善ちゃんは、すぐにお茶の支度に取りかかった。
溝尾さん、お仕事はいいのかなぁ?
すでにソファでくつろいでいる溝尾さんを眺め、苺はそんな心配をしてしまう。
でもまあ、本人が気にしてないんだから、いいんだろう。
ほどなく、室内に紅茶のいい香りが漂ってきた。
店長さんはベッドから下りて、苺と並んでソファに座る。
店長さんは入院患者で、本来ベッドで寝ているべきだが……まあ、お茶を楽しむ間くらい、いいだろう。と、いまだけは見過ごすことにする。
待つほどなく、紅茶に美味しそうなクッキーやケーキが添えられて出てきた。
「わあっ、美味しそうです」
しかし素敵なティーセットだ。こんなものまで用意してるとは、善ちゃん凄すぎるよ。
溝尾さんが嬉しそうにクッキーに手を伸ばしたところで、ドアがノックされた。
「高宮です」
キリッと、引き締まった声がし、溝尾さんが飛び上がった。彼が掴んでいたクッキーが宙を飛び、善ちゃんが当り前のようにキャッチする。
うわっ、善ちゃん、お見事。
けど、高宮ってのは、あの恐い師長さんだよね。
師長さんの声が聞こえた途端、店長さんは立ち上がり、あっという間にベッドに戻った。
そして善ちゃんは、高宮さんを出迎えるためにドアに歩み寄る。
「高宮師長、どうぞお入りください」
ドアを開け、善ちゃんが高宮さんを招き入れる。
執事の善ちゃんの出迎えを受けた高宮師長さんは、少し眉を上げて反応したが、特別意見はなかった。
病室に入ってきた師長さんは、まずテーブルの上に並んでいるティータイムの品々に視線を向けた。
部屋には紅茶とお菓子の匂いが漂っている。
お茶の時間だと気持ちが緩んでいたこともあり、突然の師長さんの登場で急激に緊張を強いられたためか、苺のお腹の虫がくーっと鳴いた。
そんなに大きい音ではなかったはずだが、部屋が静まり返っていたため、みんなの耳に届いたようだ。
苺は真っ赤になった。
「イチゴっぺ、お前の腹の虫、でっかい声で鳴くじゃないか」
「そんなに大きくなかったですよ! 部屋が静まりかえってたから……」
思わず大声で反論していた苺は、ハッとして口を閉じた。
ここは病室。
しかも、いまがいま、こわーい師長さんがいるってのに……
ガミガミを予想して固まっていた苺だが、師長さんのガミガミは、苺でない方に飛んでいった。
「溝尾先生、こんなところで、何をしていらっしゃるんです?」
ピシーンと音がしそうなほど、強烈にしなった声が溝尾さんに向けて飛んだ。
苺の耳は、残念ながら聞き取れなかったが、溝尾さんが「ひっ」と悲鳴を上げたのがわかった。
もちろん、その顔にも、はっきりとびびりの虫が張り付いている。
にっひっひ。
苺は自分を笑い者にした溝尾さんを、心の中で、しこたま笑い者にしてやった。
「ナースたちが、貴方を探していましたよ」
「わ、わかってますよ。ですが、高宮師長、俺はですね、藤原の担当医師……」
「まだ検査結果は出ておりませんでしょ。そんなもの、いまやらねばならない仕事をほっぽらかしている、正当な理由にはなりえません!」
もっともな意見に、溝尾さんはきゃいんと尻尾を巻いたように見えた。
「そ、それはそう……しかし……来る必要を……その、感じたわけで……」
溝尾さんは、苺が笑いを必死に我慢しなきゃならないほど、しどろもどろになって答える。
「高宮さん」
唇を噛み締めて笑いをこらえていると、店長さんが師長さんに呼びかけた。
「なんでしょうか、藤原さん」
「隣に真柴が入院してきたと、溝尾は私のために知らせにきてくれたのですよ」
店長さんの言葉を聞き、苺の笑いは消えた。
い、苺は、溝尾さんの不幸を愉快がって笑ってたのに……店長さん、溝尾さんを可哀想に思って助けてあげてる。
苺って、苺って、なんて器が小っちゃいんだ。
ひゅーっと、心の中を冷たい風が吹き抜けた気がした。
苺が打ちのめされた気分でいると、師長さんはくいっと眉を上げた。
「そうでしたか。溝尾先生、それならそうと……。実は、私もそのことをお知らせしようと、ここに来たのですよ」
「な、なんだよぉ。俺、叱られ損かよぉ」
「溝尾先生、その口の聞き方、もう少しなんとかなりませんの? 医者としてどうかと」
「俺が上品にしゃべったりしたら、みんな腰を抜かすと思うけどな。そんなの俺らしくねぇし……」
溝尾さんは唇を尖らせて言う。
溝尾さんの言い分には、苺も同感だ。
この溝尾さんが上品に話したりしたら、笑っちゃうよ。
「腰を抜かす者が実際にいたら考えましょう。……それで、藤原さん」
「はい」
「貴方のお祖母様には、入院していることは内緒になさりたいわけですのね?」
「ええ。お願いします」
「わかりました」
「あ、あの。真柴さんは大丈夫なんですか?」
すぐにも立ち去りそうな師長さんを見て、苺は慌てて尋ねた。
「少し重症の打ち身といったところです。まあ、三日も安静にしていれば、歩くのに支障もなくなるでしょう」
「えっ、それじゃ、いま歩けないですか?」
驚いて聞いた苺に、師長さんは首を横に振る。
「いいえ、歩けますよ。ただし、痛みが伴うだけです」
ははあ、そういうことか。
「祖母は、手首を捻ったようですが?」
今度は店長さんが聞く。
「ええ、ですが左手ですし、こちらも三日もあれば痛みは引きますよ」
「安心していいようですね。良かった」
「おい、藤原、お前な。俺の説明だけじゃ安心できなかったとでも…」
「溝尾先生、そんなことはございませんよ。重ねて聞くことで、爽様もさらにご安心なされたと……」
「その通りですよ。さあ、溝尾先生、参りますよ」
師長さんは、溝尾さんの首根っこを引っ張るようにして、歩き出した。
「ちょ、ちょ、高宮師長! 扱いってもんがあるでしょう、扱いってもんが。俺は医者ですよ、医者!」
溝尾さんの無様さに、苺はたまらずくすくす笑ってしまう。
師長さんと溝尾さんが出てゆき、静かになった。
「やれやれ」
店長さんがベッドから下りて、またソファに座る。
「では、ティータイムにしましょう」
「ですね」
「ほらほら、善ちゃんもここに座って」
空いてしまった溝尾さんの席に、苺は善ちゃんを誘った。
善ちゃんは遠慮を見せたが、店長さんに促され、苺と店長さんの向かい側に座った。
苺は、心ゆくまでティータイムを堪能したのだった。
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