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その21 おいてけぼり
あー、それにしても、売店のおばちゃんに会いたくなっちゃったなぁ。
「売店のおばちゃん、苺たちが梅と緑茶味のキャンディーにびっくりしたことを教えたら、きっと喜ぶだろうなぁ」
「それならば、会いにいきましょう」
「えっ、ほんとですか?」
「ええ。遠い場所にいらっしゃるわけではありません。お会いできる距離においでのひとなのですから、会いたければ会いにいけばいい」
苺は笑顔で頷いた。
店長さんのこういうところ、苺は大好きだ。
それにしても……苺たち、今朝まで病院にいたんだよねぇ。
キグルミを着て病院から脱出しようとして羽歌乃おばあちゃんに遭遇して、藍原さんが迎えにきて、お店に行って岡島さんたちを襲撃……
エステに行って、苺が馬鹿やっちゃって……それからラーメン屋……伊藤のおじさんに遭遇して、いまはおじさん家に向かってる。
今日も、すでに色々あり過ぎたな……ふふっ。
すっぱいキャンディーがそろそろ口の中から消えそうになったところで、伊藤のおじさんの家が遠くに見えてきた。
おおっ、迷うことなく到着だ。
「店長さん、凄いですよ。カーナビを使わずに辿り着いちゃうなんて」
「一度出掛けたところなどは特に、なるべく使わないようにしているんですよ。カーナビを使うと、道を覚えられなくなるので」
「そんなもんですか? 便利そうだし、苺なら、車についてたら使っちゃうけどなぁ」
「真美さんの車には、ついていないのですか?」
「ついてないですよ。お兄ちゃんのにはついてますけど」
苺は、伊藤のおじさんの家を、首を伸ばして見つめた。
わくわくする。
今日もきっと、イチゴ狩りをさせてもらえる。
店長さん、トラマメのことを聞いていたし、たぶんトラマメに会うためにやってきたんだよね。
苺はあんまり会いたくないんだけどなぁ。
子猫のときは、まるいあったかなわたげみたいで、よわよわしくて……苺が守ってあげなきゃって、胸がきゅーんとするほど可愛かったのにさ……
だんだん凶暴化するようになって、ほっぺたやら鼻の頭やら、鋭い爪でひっかかれた痛みは、いまも忘れられない。
顔中、真っ赤なひっかき傷だらけになって、健太や剛に笑われて……
こっちは、痛くて痛くて、わんわん泣いてたってのに……
あそこに店長さんがいたら……どうしただろう?
苺は店長さんの横顔をそっと見つめた。
緑茶の味のキャンディーを左頬に入れているらしく、ほっぺたがちっちゃくまるく膨らんでいる。
悪戯心がむくむく湧く。
ほくそ笑んだ苺は、そろそろと手を伸ばし、丸いふくらみを指でつついた。
キャンディーが引っ込む。
すると店長さんは、くすくす笑い出す。苺もくすくす笑った。
たぶん店長さんは、顔中傷だらけの苺を見て、笑ったりしなかっただろうな。
痛がっている苺を、一生懸命慰めてくれたと思う。
嬉しい気分になった苺は、自分の鼻先に指で触れ、ふーっと息を吐き出した。
「うん、梅の香りが仄かにしますね」
「そうですか?」
「ええ。梅のキャンディーか……私も味わってみたかったですね」
「もしや食べたことないですか?」
「ということは、鈴木さんはすでに食べたことがあったんですか?」
「ありますよ。前の職場なんかでは、おばちゃんたちが、いろんな味のキャンディー持ってきて、『ほら、苺ちゃん食べな』って、くれてたから」
懐かしい記憶が浮かび、思わず感傷にかられる。
おばちゃんたち、どうしてるかなぁ?
仕事場は、以前のままなのかな?
「いい思い出ですね」
店長さんの声に、過去に浸っていた苺は現実に引き戻された。
いい思い出……ほんと、いい思い出だ。
「はい」
少し涙が込み上げてきて、苺は鼻を啜って頷いた。
車は最後の角を曲がり、伊藤のおじさんの家に入っていく。
すっぱい梅味も美味しかったけど、今度は甘いイチゴを味わいたい。
店長さんは伊藤のおじさんの軽トラックの横に車を停めた。
さっそく降りようとしたら、なぜか店長さんが止めてくる。
「店長さん?」
「貴女はここで待っていなさい」
「えっ? なっ、なんでですか?」
「とにかく待っていてください。降りてきては駄目ですよ。いいですね」
これでもかというほど釘をさし、店長さんは自分だけ車を降りる。
「意味がわかんないですよ。苺、イチゴ食べさせて……」
言葉の途中で、運転席のドアがバタンと閉じた。
店長さんはスタスタと歩いていってしまう。
「ええーーっ、なんでぇ? 意味わかんないしぃ」
苺は大きな声で文句を言ったが、店長さんは振り返りもしない。
むかついて降りてやろうとしたが、店長さんの顔が頭に浮かび、ためらう。
うーーーん、怖くて命令を無視できないっっ!
けど、納得できないよぉ!
自分の親戚の家に来て、どうしてわたしがおいてけぼりにされなきゃならないんだ?
さっぱり意味わかんないし、イチゴ狩りはどうなるのだ?
「もおおーっ」
もどかしさに駆られて叫んだ苺は、助手席に座ったまま地団太を踏んだのだった。
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