苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。


  
(こちらのお話は、書籍ではP87スペースの辺りになりますが、ストーリーが違いますので、ご参考までに)


                        
その22 不可解な現象



「ふうーっ」

退屈を体内から追い出そうと、大きく息を吐いた苺は、目を瞑った。

そして、頭の中でコチコチコチと秒針を進める。

よし、六十回。

コチコチを数えて目を開け、車内の時計で時刻を確認する。

へっ? お、おかしい……時の進みが……

一分たったはずなのに、まだ三十五秒しか過ぎていない。

やはりこれは、心が退屈に蝕まれ始めているということか?

「あーあ、ここに漫画でもあればなぁ」

漫画を読んでいれば時間を忘れる。

ハッと気づけば一時間近く、あっという間にすぎ去るのに……

こんなことなら、前々から欲しかった携帯ゲーム機でも買っとけばよかったよ。

いまのわたしは、それくらいの余裕があるんだし……

どの機種がいいかなぁ?

さすがにあれもこれもは買えないし……

色は何色がいいだろう。

ピンク? 水色なんてのも可愛いかもぉ。

携帯ゲーム機本体もだけど、ゲームソフトも買わなきゃ。

うーんと。

欲しいゲームソフトの候補をあげようとしてみたが、この最近、そういう情報に関心を払っていなかったため、何も思い浮かばない。

これは……まずは、どんなゲームが出てるかを知らなきゃ、お話しになんないな。

そう考えながら、無意識に時計に視線を向け、時刻を確認。

「えっ?」

さ、さんざん携帯ゲーム機について考えたというのに、まだ五分も経ってないってどういうこと?

「あー、ちょっとイライラしてきた」

苺は眉間をぐっと寄せ、車の周囲を見回した。

ひとっこひとりいない。

それにしても、伊藤のおじさんも、店長さんと一緒に苺が来ていることはわかってるはずなんだし、ひとり置いてけぼりは可哀想と思って、迎えにきてくれればいいのにさ……

残念なことに、苺を可愛がってくれてるおばさんは、今日もお出かけしてるようだ。おばちゃんの愛車は、いつものところにない。

まあ、おばちゃんがいたら、お昼ご飯を作るだろうから、伊藤のおじさんとラーメン屋で会うこともなかったわけだけど。

それにしても、置いてかれてから、すでに一時間は経った気分だよ。

時計はなぜか、まだ十五分しか経ってないって主張してるけどさ……

…………。

ちょっと、外に出るくらいいいんじゃないか?

心の甘い囁きに、苺は「だ、駄目駄目!」と叫び、首を左右に大きく振る。

「店長さんから、絶対下りるなって命令されたんだもん。絶対に……出ちゃ……あれっ? 絶対とまでは言われなかったかなぁ?」

店長さんの言葉を思い出してみるが、『絶対』とまでは、言われてない気がしてきた。

ちょ、ちょこっと外に出るくらいは、いいんじゃないかな。

だいたいさぁ、車から降りるなと命令するなんて、店長さん身勝手すぎだよ。

苺は店長さんの命令を聞きなゃならない立場じゃ……まあ、仕事では上司と部下だけど……

でも、今日は休み。ふたりは平等だ。

それでも、命令に背いたりしたら……

店長さんの怒りの表情がポンと浮かび、苺はビビった。

やっぱり、怖い!

仕方がない。……退屈と同化しとくかぁ。

諦めた苺は、窓から外を眺めた。

「うん?」

視界に動くものを見つけた苺は、窓にくっつきそうなほど顔を近づけた。

な、なんだろ?

田んぼの中を、右から左に疾走していった黒やら茶色やらの三つの塊……

イヌ? ネコ? かなり小さかった。

黒い塊は見えないところに行ってしまったが、すぐに舞い戻ってきた。

興奮した苺は、「なんだ、なんだ?」と叫びながら、助手席のドアを開けて外に飛び出た。

かなり遠いが、ようやくネコだとわかった。

「ちっこーい」

子ネコだ。三匹もいる。

三匹は、飛んだり跳ねたりしながら田んぼの中を駆けずりまわっている。

「おいで、おいで~っ」

苺は無我夢中で呼びかけた。

だが、走り回ることに夢中な子猫たちの耳には届かぬようで、まったく手応えなしだ。

「ほらあ~、こっちだってばぁ。おいでよーっ。クロ、タマ、ミケー」

名前など知らないのだが、ここは雰囲気で呼んでみる。

苺の頑張りが功を奏したのか、子猫たちが動きを止めた。

苺のことに気づいたようで、こちらを見ている。

「クロ、タマ、ミケー。おいでぇ」

嬉しくなった苺は、呼びかけながら、田んぼのあぜ道に一歩踏み出そうとした。その瞬間、ぐっと、喉が絞まる。

「ううっ!」

苺は踏み出した足を宙に浮かせて固まった。

なっ、なんと! 襟首を、店長さんに掴まれている。

えーっ! いったいいつの間に戻ってきたの?

待ちくたびれるほど、戻ってこなかったくせに、なんでこのタイミング?

「どこに行くつもりです? 苺」

最後の『苺』という不穏な響きの呼びかけに、ミニトマトほどに縮んだハートが、プチンとつぶれた気がした。

「い、いえ……苺は、ど、どこにも、行く気なんかないです」

「車から降りないようにと、言ったはずですが?」

「もちろん降りないつもりだったですよ。……けど、子ネコが走り回ってて……それ見たらつい」

「子ネコが走り回っていると、貴女も走り回らなければならなくなるんですか?」

そんなわけないし。

だいたい苺は、まだ走り回っちゃいませんでしたよ。見てただけで……

という反論が口から飛び出そうになったが、必死に堪える。

そんなことを口にしようものなら、怒りの炎に油を注いでしまう。

「そんなことはないですけど……」

苺はいまだ掴まれたままの襟首を気にしつつ、ゆっくりと回れ右して、車に向かおうとした。

ネコを発見して思わず飛び出たものだから、コートを着ていない。日差しはあるものの、冷たい風が吹いていて、かなり寒い。

車のエンジンをかけたままにしてくれていたから、中はとってもあったかかった。

苺を許す気持ちになってくれたのか、襟首はすぐに解放してもらえ、苺は大きく安堵して元通り車に乗り込んだ。

よかった。もっと、ねちねち叱られるかと思ったよ。

ほっと息を吐く。

「伊藤さんがイチゴをくださるそうですよ。車で待っているようにと言われました」

「えっ、ほんとですか? やったー!」

頭にポンと手が当てられぎょっとしたが、店長さんはくすくす笑い出す。

「まったく、貴女ときたら」

楽しそうに笑い続けながらも、店長さんはがっちりと掴んだ苺の頭を、力任せにぐりぐりする。

いたた!

「い、痛いです……痛いですよぉ」

控えめに抗議する。

「う、る、さ、い!」

頭をぐりぐりしながら、店長さんは力を込めて言う。

許されたと思ったが、どうやら許しきれてはいなかったらしい。

エステで綺麗にしてもらった苺の髪が、元の木阿弥以上に乱れきった時、小さな段ボールにいっぱいのイチゴを抱えた伊藤のおじさんがやってきた。

店長さんが操作してくれたらしく、助手席の窓がウィーンという音とともに開く。

「苺ちゃん、ほら……うん?」

イチゴを、苺に差し出そうとした伊藤のおじさんは、苺の頭に視線を当てて、面食らった顔をする。

「いったいどうしたんだ? 頭が爆発しとるぞ」

「ネコと暴れまわり過ぎたんでしょう」

店長さんときたら、爽やかに厭味を言う。

「ネコ?」

「あっ、おじさん。子ネコ見たよ、生まれたの?」

「ああ。生まれた生まれた。母ネコからやっと乳離れして、三匹で跳ねまわっとる」

「可愛かったよ。クロと、タマと、ミケ」

「おいおい苺ちゃん、名前までつけたのかい?」

「まあね。ほんとの名前は、なんていうの?」

「名前はつけてないさ。二匹のもらい先が決まってね。名前は飼い主がつけるだろうからな」

苺は息を止めて伊藤のおじさんを見つめた。

子ネコたち、ママネコとお別れ……

確かに、おじさんのところにはすでに三匹も猫がいるのだ。そんなに何匹も飼えないだろう。

「そうなんだ。もらってもらえるとこがあって、よかったね」

胸がズクズクしてきて、苺は自分の想いを誤魔化すように、明るく言った。

「伊藤さん、当然押しかけてすみませんでした。ありがとうございました」

「ああ。だけんど、いい……あ、ああっと……苺ちゃん、またな」

「うん、またねぇ」

伊藤のおじさんに苺が手を振ると、開いていた窓が閉じられた。

店長さんは、今度は運転席の窓を開ける。

「それでは、これで」

伊藤のおじさんに、にこやかに声をかけた店長さんは、窓を閉めて車を発進させた。

すぐに伊藤家が遠ざかる。

「苺」

「な、なんですか?」

「子ネコはしあわせになりますよ」

店長さんの言葉はあっさりしたものだった。けど、苺の胸を突いた。

じわんと滲んできそうになる涙を、苺は必死に引っ込めた。

こんなことくらいで泣くのはおかしい。

「苺は、別に、何も気にしてないですよ。子ネコたち、とってもかわいかったなぁ~って、思ってるだけで……」

どうしてか、さらにズクズクしてきた胸を押さえて、苺はなんでもない顔で答えた。

「そうでしたか」

「そうでしたよ」

苺は、顔をしかめた。

慰めてるって感じでもないのに、いたわるように慰められてる気がするのはなんでだ?

店長さんの声……なんでこんなに、心にぐいぐい入り込んでくるんだろ?

なんか……おかしいよ。

不可解な現象に、苺は唇を突き出した。





   
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