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その23 ほっとかれた機嫌
「それで、次はどこに行くんですか?」
「行かなければならないところですよ」
曖昧な返事に、苺は店長さんを睨んだ。
「行かなくていいところに行くはずないってことくらいわかるですよ。苺が聞きたいのは、はっきりと、どこどこに行くよって聞きたいんですよ」
「一度、鏡を見たらどうです」
苺をちらりと見て、店長さんが言う。
「は?」
店長さんの返事に、苺はきょとんとした。
鏡? 鏡を見れば、これからどこに行くかわかるとでも言うのか?
「魔法の鏡でもあるってんですか?」
「魔法の鏡? そんな特殊な鏡は持ち合わせていませんね。しかし、苺、魔法の鏡なんて発想、どこから湧いてきたんです?」
「そんな鏡がないことくらいわかってるですよ」
「ご自分から言い出しておいて、どうして私に噛みつくんです?」
「言い出したのは店長さんじゃないですか?」
「私? 私は、鏡を見たらどうかと提案しただけですよ」
「だから、鏡を見ただけで、どうして目的地がわかるですか?」
「目的地?」
「そうですよ。いま、その話をしてるんだから、そうに決まってるですよ」
「ああ」
納得したように声を上げた店長さんは、「ふふっ」と、口にしたと思うと、派手に吹き出した。
運転しながら、胸を震わせてククククと笑い続ける。
「何がおかしいんですか?」
「いえ……普通に伝わるだろう言葉が伝わらない現象に、さすがは鈴木さんだと思いまして」
『鈴木さん』と呼ばれたことに、苺はおっと思った。
ここのところ、ずっと『苺』と呼ばれてた気がする。
それが当たり前の感覚になってしまってて……
「何を考え込んでいるんです?」
「ずっと、鈴木さんって呼ばれてなかったなって思って」
「……どちらがいいんです?」
少し間を空けて、店長さんが聞いてきた。
「呼び方ですか?」
「ええ」
「うーん」
苺は眉を寄せて考え込んだ。
店長さんから、はじめて苺と呼ばれたのは、羽歌乃おばあちゃんの家に行ったときだったはず。
あのときは、羽歌乃おばあちゃんの前で恋人のふりのお芝居をするってことで、店長さんに頼まれたんだっけ。
苺と呼ばれて、かなりどきどきしたが、それなりに受け入れられた。けど、店長さんを爽と呼び捨てするのは、なかなか難しかった。
まあ、それはいまもだけど。
店長さんの、呼び方が変わるスイッチがいつ入るかわからなくて、スイッチが切り替わるたびにドギマギさせられて、ずいぶん面白かった。
「そんなに考えないと、答えが出ないんですか?」
いつまで経っても返事をしない苺に痺れを切らしでもしたのか、店長さんは、ちょっぴり刺々しく聞いてくる。
「ああ、答えを考えてたわけじゃなくて、面白かったなって」
「いったいなんの話です? 私は、貴女の答えを待っているんですよ」
「これまで通りでいいですよ」
呼び方を決定してしまうより、これまで通りが面白い。
「これまで通り? 『苺』と呼べばいいということですか?」
「違いますよ。店長さんの好きに、スイッチを切り替えてくれればいいってことですよ」
「意味がわからない」
どこか諦めたように店長さんが呟く。
「ええーっ、どこがわからないですか?」
「……」
しばし無言が続く。
「店長さん?」
呼びかけたら店長さんは小さくため息をつき、なぜか仕方なさそうに口を開いた。
「スイッチの切り替えとは、なんのことです?」
「だから、呼び方の切り替えですよ。店長さんのスイッチ切り替えのタイミングがいつ訪れるかは、苺にはわからないんで……ドキドキするけど、面白いし……」
「呼び方の……これまで通り……」
店長さんは考え込んでいるらしく、ひとりでブツブツ言っている。
「ところで店長さん、どこに向かってるですか? そうだ、さっきの鏡って、どういうことだったんですか?」
運転している店長さんの顔を見ながら言うと、店長さんが横目でちらっと苺を見る。
だが、何も言わぬまま、視線を前に戻してしまう。
「店長さん?」
「目的地は貴女もご存じのところですよ。過去の出来事を、思い出してごらんなさい」
「過去の出来事?」
「……鈴木さん、貴女は今夜、ご実家で夕食を召し上がる予定なのでしょうね?」
「は、はい」
二度目の鈴木さん呼び、そして急に話題が変わり、苺は戸惑いながら返事をした。
なんとなくの感覚なのだが、今度の鈴木さんは固かったというか、距離を置かれたように感じた。
なんか、店長さんが不機嫌になってるように思えるんだけど……
考え過ぎかな?
「夜は、ワンルームに帰りますよね?」
「はい、もちろんですよ。苺のいまのおうちは、あそこですから」
今度の返事は、店長さんの機嫌を上向かせたようだった。
まったく、店長さんって、わけがわからない。
苺が何か言うたびに、機嫌を上げたり下げたり……難しいおひとだよ。
とにかく、上に向いたんだからよかったかも……
「おにぎりを忘れないでくださいね」
命じるように言われ、苺はにっこり笑って頷いた。
「はい。任せといてください。三個くらいでいいですか?」
「ええ。……それで、今夜ですが」
「はい、今夜?」
「貴女が正しい答えを導き出せたら、大平松特製、スペシャルイチゴヨーグルトを作らせましょう」
「ええっ! ボスシェフさんの、すっ、スペシャルですか⁉」
「食べたいですか?」
「もっ、もっ、もっちろんですよっ!!!」
苺は、頭の中でスペシャルイチゴヨーグルトを思い浮かべて、にはっと笑った。
「ですが……」
一転、不穏な響きの声を出した店長さんに、苺はどきりとして振り返った。
「は、はい? ですが……って?」
「正しい答えを導き出せなければ、当然、スペシャルなどありませんよ」
「ええーっ! そ、そんな。だって、目的地なんて、いくら考えたってわからないですよ。それなら、ヒントをくださいよぉ」
「ヒントは、すでに差し上げましたよ」
「えっ? ど、どんなヒントでしたっけ?」
「それも忘れておしまいになったんですか? まったく残念な方ですね、鈴木さんは」
強調された残念と言う言葉も胸にグサリときたが、三度目の鈴木さんは、さらに距離を感じた。
いや、距離というより……嫌味、嫌がらせ?
どうやら、機嫌が直ったと喜んだのは、早計だったらしい。
店長さんの機嫌は、良くなったり悪くなったり、不安定に揺れ続けているようだった。
まあ、良くなったりもするんだし……
うん、ほっとこう。
そんなことより! ボスシェフさん特製、スペシャルイチゴヨーグルトだよ!
目的地ってどこなんだ?
正しい答えを見つけられなかったら、特製スペシャルイチゴヨーグルトが泡と消えてしまう。
そんなの嫌だ――――っ!
なんとしてでも、正解を探し出さないと。
腕を組んだ苺は、超真剣に考え込んだのだった。
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