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その2 睡魔との戦い
「今日は藍原さんはお休みですよね? 岡島さんは店頭ですかね?」
店長さんに続いて、裏口からスタッフルームに入った苺は、店長さんに話しかけながら店頭に続くドアを開け、ひょこっと顔を出してみた。
岡島さんがいる。きびきびとした動きで、お掃除をしている。
うーん、今日もかなりの美女っぷりだぁ。
「岡島さん、おはようございます」
苺が声をかけると、岡島さんは掃除を止めて歩み寄ってくる。
「鈴木さん、おはようございます」
岡島さんは苺を見て、なにやら愉快そうに笑みを浮かべる。
「今日は、普通にいらしてくださって、ほっとしましたよ」
そう言われて思い出す。
そうそう、そうだった。
昨日はネコのキグルミを着て、店を襲撃したんだったっけ。
「店長さんに無理強いされて、もうどうしようかと思ったですよ」
苺は告げ口しつつ、後ろにいる店長さんを振り返る。
目が合うと、店長さんはわざとギロリと睨んでくる。苺はケラケラ笑った。
「爽様。おはようございます」
岡島さんは、畏まって店長さんにお辞儀する。
「ああ、おはよう。私と彼女は、今日はスタッフルームにいる。忙しくなったら、応援に出るから声をかけてくれ」
「はい、わかりました。では、掃除に戻ります」
岡島さんは頭を下げ、店頭に戻って行った。
「それじゃ、苺も急いで着替えてくるです」
「ええ」
そう口にした店長さんは、いつもの場所に座り、さっそくパソコンを開いて仕事を開始した。
やれやれ、昨日退院して来たばかりで、まだまだ病み上がりだってのにねぇ。
けど、注意しても、『仕事をしていないと、かえって具合が悪くなるんですよ』とか言いそうだよね。
仕方がないから、今後は苺が充分注意してやるとしよう。
個室に入った苺は、部屋の中を見回した。
日曜日にお休みしちゃったから、三日振りだ。
なんか、病院にいたからか、ずいぶん長いことお休みしちゃった気分だよ。
更衣室の中は、福袋を開封して、ラッピングされた箱がまだいっぱい飾ってある。
イラストを描き終えたものは、段ボール箱に収めた。
メイド服に着替え、ちょちょいと化粧をし、カチューシャを装備すると、苺はいったん店長さんのところに戻った。
パソコンで仕事をしていたようだが、店長さんは苺が出てきたのに気づいて、振り返ってきた。
パソコンの横には、いつもの分厚い黒いファイルがどんと置いてある。
重そうなファイルだよ。
店長さん、毎日、あれ全部に目を通してるみたいなんだけど……普通のひとじゃ絶対無理そうだよ。
「着替え終わりましたよ」
そう言うと、店長さんは立ち上がり、苺の全身をチェックする。
「髪がいつにもましてぐしゃぐしゃですね。櫛で梳いていませんね?」
「このくらい、許容範囲ですよ」
けろっと口にしたら、両方の耳たぶを摘ままれた。
「わわっ、な、何を……」
抵抗しようとしたら、店長さんは摘まんでいる指に力を込める。
「いだだだ……」
「許容範囲?」
うおっ、その言葉が逆鱗に触れてしまったのか?
「ちょ、ちょっと、言葉の選択を間違えたかもしんないです」
「ちょっと? かもしんない?」
「い、いえ、せ、選択を間違えました!」
必死に言い変えたら、ようやく耳たぶが解放された。
ううう……
耳たぶがぽおっと熱い感じがする。
ジンジンする耳たぶを気にしつつも、苺は俯いて、反省を一生懸命アピールした。
「ちゃんと梳いてきます」
その場から逃げようとしたら、ガシッと肩を掴まれた。
「へっ?」
まだ制裁を食らうのかとビビったが、店長さんは櫛を手にしている。
あれっ、いったいどこから櫛を取り出しだんろう?
疑問が解けぬうちに、店長さんはカチューシャを取り、苺の髪を梳き始めた。
「すっ、すみません」
梳きやすいように、姿勢をびしっと正す。
「髪を梳くくらいのこと、たいした手間もかからないというのに……」
ごもっともでございます。
心の内で賛成する。
店長さんが櫛を下ろした。どうやら終わりらしい。
カチューシャを頭に装着してもらい、苺は自分の頭に手で触れてみた。
いい感じになってる気がする。
「ありがとうございました」
頭を下げてお礼を言う。
「鈴木さん、お願いしたイラストは、どのくらい描けましたか?」
「十枚くらい描けましたよ」
「そうですか。それでは、まずそこに座りなさい」
店長さんは椅子を指さして言う。
そこには、ピンクのパソコンが置いてある。
こ、これって?
ええっ? ま、まさか、また新人研修?
「あ、あの。苺、イラストを描くんじゃ?」
「一時間だけですよ。宝飾店の店員に必要な知識が、鈴木さんにはまだまだ足りていませんからね。少しずつ知識を蓄えていくために、日々学んでいただく必要があります」
うへーっ、まったく反論できない!
苺は肩を落とし、パソコンを前に座り込んだ。
あー、がっかりだよ。
イラストやオリジナルデザインと、猛烈にやる気をみなぎらせていたってのにさぁ。
まあ、店員さんに必要な知識を覚えるってのも、大事なことだってわかってますけどね。
でも、一時間かぁ……案外長いよね。
パソコン画面を見つめ、やる気の失せた苺の頭は、当然動きが鈍くなる。
小難しい宝石の知識をなんとか記憶回路に刻もうとするが、これが手強いったらない。
また仕事を始めたばかりだというのに、苺は睡魔に蝕まれそうになりながら、必死に眠気と戦ったのだった。
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