苺パニック

注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP104、20『愉快なナビ』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その2 睡魔との戦い



「今日は藍原さんはお休みですよね? 岡島さんは店頭ですかね?」

店長さんに続いて、裏口からスタッフルームに入った苺は、店長さんに話しかけながら店頭に続くドアを開け、ひょこっと顔を出してみた。

岡島さんがいる。きびきびとした動きで、お掃除をしている。

うーん、今日もかなりの美女っぷりだぁ。

「岡島さん、おはようございます」

苺が声をかけると、岡島さんは掃除を止めて歩み寄ってくる。

「鈴木さん、おはようございます」

岡島さんは苺を見て、なにやら愉快そうに笑みを浮かべる。

「今日は、普通にいらしてくださって、ほっとしましたよ」

そう言われて思い出す。

そうそう、そうだった。

昨日はネコのキグルミを着て、店を襲撃したんだったっけ。

「店長さんに無理強いされて、もうどうしようかと思ったですよ」

苺は告げ口しつつ、後ろにいる店長さんを振り返る。

目が合うと、店長さんはわざとギロリと睨んでくる。苺はケラケラ笑った。

「爽様。おはようございます」

岡島さんは、畏まって店長さんにお辞儀する。

「ああ、おはよう。私と彼女は、今日はスタッフルームにいる。忙しくなったら、応援に出るから声をかけてくれ」

「はい、わかりました。では、掃除に戻ります」

岡島さんは頭を下げ、店頭に戻って行った。

「それじゃ、苺も急いで着替えてくるです」

「ええ」

そう口にした店長さんは、いつもの場所に座り、さっそくパソコンを開いて仕事を開始した。

やれやれ、昨日退院して来たばかりで、まだまだ病み上がりだってのにねぇ。

けど、注意しても、『仕事をしていないと、かえって具合が悪くなるんですよ』とか言いそうだよね。

仕方がないから、今後は苺が充分注意してやるとしよう。

個室に入った苺は、部屋の中を見回した。

日曜日にお休みしちゃったから、三日振りだ。

なんか、病院にいたからか、ずいぶん長いことお休みしちゃった気分だよ。

更衣室の中は、福袋を開封して、ラッピングされた箱がまだいっぱい飾ってある。

イラストを描き終えたものは、段ボール箱に収めた。

メイド服に着替え、ちょちょいと化粧をし、カチューシャを装備すると、苺はいったん店長さんのところに戻った。

パソコンで仕事をしていたようだが、店長さんは苺が出てきたのに気づいて、振り返ってきた。

パソコンの横には、いつもの分厚い黒いファイルがどんと置いてある。

重そうなファイルだよ。

店長さん、毎日、あれ全部に目を通してるみたいなんだけど……普通のひとじゃ絶対無理そうだよ。

「着替え終わりましたよ」

そう言うと、店長さんは立ち上がり、苺の全身をチェックする。

「髪がいつにもましてぐしゃぐしゃですね。櫛で梳いていませんね?」

「このくらい、許容範囲ですよ」

けろっと口にしたら、両方の耳たぶを摘ままれた。

「わわっ、な、何を……」

抵抗しようとしたら、店長さんは摘まんでいる指に力を込める。

「いだだだ……」

「許容範囲?」

うおっ、その言葉が逆鱗に触れてしまったのか?

「ちょ、ちょっと、言葉の選択を間違えたかもしんないです」

「ちょっと? かもしんない?」

「い、いえ、せ、選択を間違えました!」

必死に言い変えたら、ようやく耳たぶが解放された。

ううう……

耳たぶがぽおっと熱い感じがする。

ジンジンする耳たぶを気にしつつも、苺は俯いて、反省を一生懸命アピールした。

「ちゃんと梳いてきます」

その場から逃げようとしたら、ガシッと肩を掴まれた。

「へっ?」

まだ制裁を食らうのかとビビったが、店長さんは櫛を手にしている。

あれっ、いったいどこから櫛を取り出しだんろう?

疑問が解けぬうちに、店長さんはカチューシャを取り、苺の髪を梳き始めた。

「すっ、すみません」

梳きやすいように、姿勢をびしっと正す。

「髪を梳くくらいのこと、たいした手間もかからないというのに……」

ごもっともでございます。

心の内で賛成する。

店長さんが櫛を下ろした。どうやら終わりらしい。

カチューシャを頭に装着してもらい、苺は自分の頭に手で触れてみた。

いい感じになってる気がする。

「ありがとうございました」

頭を下げてお礼を言う。

「鈴木さん、お願いしたイラストは、どのくらい描けましたか?」

「十枚くらい描けましたよ」

「そうですか。それでは、まずそこに座りなさい」

店長さんは椅子を指さして言う。

そこには、ピンクのパソコンが置いてある。

こ、これって?

ええっ? ま、まさか、また新人研修?

「あ、あの。苺、イラストを描くんじゃ?」

「一時間だけですよ。宝飾店の店員に必要な知識が、鈴木さんにはまだまだ足りていませんからね。少しずつ知識を蓄えていくために、日々学んでいただく必要があります」

うへーっ、まったく反論できない!

苺は肩を落とし、パソコンを前に座り込んだ。

あー、がっかりだよ。

イラストやオリジナルデザインと、猛烈にやる気をみなぎらせていたってのにさぁ。

まあ、店員さんに必要な知識を覚えるってのも、大事なことだってわかってますけどね。

でも、一時間かぁ……案外長いよね。

パソコン画面を見つめ、やる気の失せた苺の頭は、当然動きが鈍くなる。

小難しい宝石の知識をなんとか記憶回路に刻もうとするが、これが手強いったらない。

また仕事を始めたばかりだというのに、苺は睡魔に蝕まれそうになりながら、必死に眠気と戦ったのだった。





   
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