苺パニック

注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP104、20『愉快なナビ』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その5 可哀想な自分



口を割らせるのは無理だとわかるし、仕方なく追求するのは諦めたけど、イチゴ尽くしに負けず劣らずって、いったいなんなんだろうなぁ?

やっぱり、気になるぅ。

苺は、横を並んで歩いている店長さんをちらりと窺った。

あれっ? そういえば……

いまは、こんな風に店長さんと並んで歩いてるけど……最初の頃って、早足の店長さんの後を、必死でついていってたよね。

けど、いまの店長さんは、わたしの歩調に合わせてくれてるんだ。

店長さんのさりげないやさしさに気づき、胸を膨らませていた苺は、ついこの間のことを思い出した。

そういえば……この間、藍原さんのあとを、必死になってついて歩いたっけな。

藍原さんの歩く速度は、以前の店長さんの比じゃなかった。

苺は走ってるのに追いつけないくらいで……

思い出したら、笑えてならない。

「店長さん、店長さん」

「なんです?」

「この間、藍原さんに同窓会のある喫茶店まで送ってもらったじゃないですか。店長さんが戻って来られなくて」

店長さん、あんとき倒れて病院に担ぎ込まれてたんだよねぇ。

「ええ。そのとき、何かありましたか?」

「藍原さん、見た目は歩いているのに、苺にはかけっこしてるくらいの速さで、駐車場に着いた時には、ハーハー言っちゃってたんですよ」

「そうでしたか」

くすくす笑う店長さんに、苺は「それで、わたし、わかったんです」と付け加えた。

「わかったとは、何が?」

「店長さんが、すっごくやさしいってことですよ」

苺に合わせて、速度を落として歩いてくれている店長さんの腕に、苺は手をかけ、顔を見上げた。

店長さんは、苺の顔を表情も変えずに見つめ返してくる。

「店長さん?」

口を閉じたままで反応のない店長さんに戸惑い、苺は呼びかけた。

「貴女ときたら!」

どうしたのか、店長さんは機嫌を損ねたように言う。

苺はさらに戸惑った。

「な、なんですか?」

「なんでもありませんよ」

そう言うが、明らかに不機嫌そうだ。

「なんで怒ってるですか? 苺、別に悪いこと言ってないのに」

「口に出されると、どう反応していいのかわからないこともあるのですよ」

どう反応していいやらわからない?

さっぱり意味がわからない。

店長さんは凄くやさしい心遣いをしてくれるひとだと思ったから、思ったままを口にしただけなのに……

「素直に反応すればいいじゃないですか」

「わかっていませんね。素直に反応できればそうしていますよ。もういいから黙っていなさい」

店長さんは、言葉だけでなく苺の口を塞いできた。

「なっ……むぐっ」

「あ、あの、君っ!」

男のひとの鋭い呼びかけが聞こえ、苺は口を塞がれたまま声のしたほうに視線を向けた。

ちょうど従業員用の出入り口のところにやってきていて、呼びかけてきたのは警備員さんだった。

こんな通路でふざけるなと叱られるんじゃないかと、苺はびびった。

昨日の朝も、着グルミ姿で通ろうとして呼び止められ、怒られたのだ。

しかも、よくよく見ればこの警備員、昨日の朝の警備員さんではないか。

苺はハッとして店長さんを振り返った。そしてぎょっとする。

店長さんってば、凄まじい睨みを警備員さんに向けている。

もちろん店長さんも、このひとが昨日の警備員さんだと気づいたのだ。

こっ、これは、まずいんじゃないだろうか?

店長さん、昨日のこと、物凄く根に持ってたっぽいってのに……

なんで、この警備員さん、声をかけてくるかなぁ。

店長さんを知らないとはいえ、命知らずもいいとこだよ。

「君に聞きたいことがあるんだけど」

三十代前半とおぼしき警備員さんは、先ほどの鋭い呼びかけから一転、ずいぶんと腰の低い声になった。

「は、はい。聞きたいことですか?」

「ああ、昨日……あっ」

苺に向けて話しかけてきていた警備員さんは、自分に鋭い視線を向けている店長さんに、いまになって気づいたようだった。

気づいた途端、警備員さんは激しく狼狽した。

それだけ店長さんの睨みが凄かったのだ。

「あ、あ、あの。こ、このひと貴方の彼女さんなんですか? 突然呼びとめてしまってすみません。この方に、少しお聞きしたいことがあって……。あっ、もちろん、この方に気があるとかじゃないんで、そ、その……」

警備員さんは、店長さんの視線をどう誤解したのか、ぐだぐだな返答をし、店長さんを激しく気にしつつ、また苺に向いてきた。

「昨日の朝、着グルミ姿だったひとですよね?」

やはりその話か。と緊張する。

「あ、は、はい」

渋々認める。

「君はいったい何が言いたい? 私たちは急いでいるんだが」

別に急いでやしないのに、店長さんときたら、昨日の恨みがあるものだから、殴りかからんばかりの喧嘩腰だ。

「す、すみません。お急ぎのところを引きとめて……あ、あの、昨日一緒だったひとは、君のお店のひとなのかな?」

店長さんに平謝りした警備員さんは、苺に向けて超早口で聞いてきた。

「昨日一緒だったひと?」

苺が繰り返すと、警備員さんは、「そうそう」と必死に頷く。

「それは」

苺はそう口にしつつ、店長さんを見た。

店長さんの顔は先ほどまでとは比べ物にならないほど険悪な顔になっていた。

こっ、こりゃあ……

『このひとです』とは、絶対に言えないよ。

「それは?」

警備員さんときたら、苺の返事を期待顔で待ち、険悪店長さんに気づいちゃいない。

「一緒だった者がなんだと言うんです?」

自分を無視している相手に切れたらしく、店長さんは腹立たしげに聞く。

「い、いえ。その……ちょっとお名前が知りたいなと……」

「名前? 名前を聞いてどうするつもりです?」

「どうするって……その……まあ、あの知りたいだけなんですよ。……とても綺麗なひとで、その……わ、私の好みだったんで……

照れたように口にする警備員さんの最後のほうの台詞は、耳をそばだてていないと聞こえないほど小さな声だった。

だが、もちろん苺は聞いた。店長さんも聞き取ったとわかる。

綺麗なひとで、好み? つまりそれって……

「行きましょう」

突然店長さんは苺の手首を掴み、その場から逃げ出した。

「あ、ちょ、ちょっと!」

背後から、職場放棄できない警備員さんの慌てたような声が追ってくる。

ふたりは駐車場まで走り、その勢いで車に乗り込んだ。


そして、シートベルトを締め、エンジンをかけた店長さんは、すぐさま車を走らせた。

慌てさせられた苺は、シートベルトの装着がなかなかできなかったが、ようやくシートベルトを装着し、店長さんに向く。

「口を開いたら、後悔させますよ!」

不穏な言葉を剛速球で投げられ、苺は口をぐっと噤んだ。

視線を向けただけで、何か言おうとしたわけではなかったのだが……

それにしても驚いた。

どうやらあの警備員さん、女装店長さんに……こっ、こ……

い、いかん。

頭の中で考えてしまったら、我慢できずに噴き出してしまう。

「最悪だ!」

店長さんは、この世の終わりのような叫びを上げた。

おかげで、苺は笑いを堪えられなくなり、派手に噴き出した挙句、笑い転げてしまう。

もちろん、そんな苺は、店長さんの恐ろしいまでのひんしゅくを買う羽目になった。

これじゃあ苺が可哀想すぎると、苺は心から思ったのだった。





   
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