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その9 不思議と嬉しそう
店長さん、いったいどうしたんだろう?
だいたい、急に夕食に誘って来たりして……
もしや店長さん、ひとりきりで夕食を食べるのが寂しくなって、それで苺を誘ってきたんじゃないのか?
苺の家は、大人数でおでんを囲むわけだし……
そういうの、店長さんは羨ましいのかも。
いくら豪勢な夕食でも、ひとりで食べるのは……味気ないよなぁ。
ひとりきりで夕食を食べている店長さんが頭に浮かび、苺の胸は痛いほどきゅんとなる。
よ、よし!
ここはひとつ、苺が!
「苺?」
「店長さん、ちょっと待っててください。苺、すぐに戻ってくるですからぁ」
苺はそう叫ぶと、店長さんの返事を聞かず、鈴木家の玄関に駆け込んで行った。
「ただいまぁ」
そう声をかけ、そのまま台所にすっ飛んで行く。
「ねぇ、真美さーん」
台所のドアを開けて、真美に呼びかける。すると、中にいた母と真美が、こちらに振り返ってきた。
「あら、苺、お帰り」
「苺さん、お帰りなさい」
「うん。ただいま。ねぇ、お母さん、急で悪いんだけどさぁ。苺の分のおでん、パックに詰めてくれないかなぁ」
「はい? どういうことよ?」
怪訝そうな母に、苺は「実はさぁ」と答える。
「今夜は、店長さんと夕飯を食べることにしたの。で、おでん貰っていけたら嬉しいなって」
「あら、あんた家で食べないの?」
「うん、ダメ?」
「ダメじゃないけど……まあ、そうね。それじゃ、パックに詰めてあげるわ」
「やった! お母さん、ありがとう」
「それより、あんた、来週の週末って、お休みもらえないの」
「来週?」
「ええ、温泉に行こうかってお父さんと話してるのよ。あんたとわたしの三人でね」
三人でか。
それって、真美さんとお兄ちゃんを、たまにはふたりきりにしてあげようということじゃないのかな?
もうすぐベビーも生まれるし、そしたらふたりきりで過ごすってことも、そうできなくなるはずだもんね。
「たぶん、大丈夫だよ。お休み貰えると思う。いまはお正月過ぎで、お店もそんなに忙しくないからね」
再来週に行われる新春宝箱セールのために、イラストを描かなければならないのだが、まあ、なんとかなるだろう。
真美さんのためだもんね、ここは苺もひと肌脱がないと。
「そうだ、剛が来てんだよね。ちょっくら挨拶してくるよ。あっ、あとおにぎり作らせてね」
苺はバタバタと居間に向かう。
「ただいまぁ」
居間のドアを開けて、中にいる三人に声をかける。
新聞を読んでいた父が顔を上げ、「おお、苺、お帰り」と言ってくれる。
「うん。あれっ、ふたりは何やってんの?」
剛と健太を見ると、ふたりは顔を突き合わせてなにやらやっている。
近づいて覗き込むと、オセロだ。
店長さんがクジで手に入れた小さなものじゃなくて、大きいやつだ。
「このオセロって、買ったの?」
思わずそう聞いてしまったが、よく見ると、それなりに年季もののようだ。
「どうみても新品じゃないだろ。こいつは二号の親戚のところのやつさ。たまたまオセロの話が出て、やろうかって話になって、剛がバイクでひとっ走りして借りてきてくれたんだ」
ふーん、そういうことか。
「ねぇ、どっちが勝ってんの?」
「いまのところ五分五分。いちごう、お前勝負の邪魔。あっち行ってろ」
健太は苺を邪険に追い払い、真剣な表情で勝負に戻る。
ちぇっ! なんか面白くないんだけど……
まあ、店長さんを待たせてるから、のんびりしてられないしな。
「ねぇ、お父さん、温泉のこと聞いたよ。お休みもらっとくからね」
「おお。どうだ、ちゃんと休みを貰えそうか?」
「うん。大丈夫だと思う。ちゃんとお休みもらえたら、知らせるよ」
「おう」
父は嬉しそうに頷く。
ずいぶんと楽しみにしているようだ。
もちろん苺も、ひさしぷりの両親との旅行は楽しみだ。
「あのね、苺、ここではご飯食べずに、これで帰るんだ」
「えっ? なんだ、飯は食わないのか?」
「おでんは貰っていくことにしたの」
「ここで食べていけばいいだろう?」
「店長さんを待たせてるんだよ。明日は家で食べるからさ」
「……そ、そうか。まあ、そうだな」
父はちらりと勝負中のふたりに視線を向け、なぜかもごもご言う。
中途半端な納得ぶりで、気になったが、台所から母に「苺ぉ」と呼ばれ、苺は台所に駆け戻った。
「はーい」
ドアを開けると、母がおでんの入ったパックを見せてくる。
「どう、苺? これくらいでいいかしらね?」
「おっ、いっぱいだぁ。いいのこんなにもらっちゃって」
「いいわよ。それより、藤原さんに、ちゃんと旅行のお休みもらってよ。お父さん凄く楽しみにしてるんだから、忘れちゃダメよ」
母はそう言いながら、おでんを入れたパックを包んでくれる。
「うん、わかってるって。おでん、ありがとうね」
苺は返事をし、さっそくおにぎり作りに取りかかった。
おにぎりとおでんを抱え、苺はみんなに声をかけてから、店長さんのところに急いだ。
後ろから母もついてくる。
「お待たせでーす」
玄関を出て、声をかけつつ車に駆け寄ると、店長さんが急いで車から降りてきた。
「藤原さん、こんばんは」
「こんばんは」
挨拶する母に、店長さんは堅苦しく挨拶を返す。
「ほら、店長さん、おでん貰ってきましたよ。お屋敷で一緒に食べましょう」
「……」
店長さんは、苺の持っている包みに視線を向けて、顔をしかめた。
「節子さん、よかったのですか?」
店長さんは、母に向けて申し訳なさそうに言う。
「そんな、もちろんですよ。こんなものでよかったら」
笑顔で口にする母を見て、店長さんはほっとしたようだった。
「ありがとうございます」
ふたりがやりとりをしている間に、苺は助手席に乗り込んだ。
店長さんは苺の母に頭を下げ、自分も車に乗り込む。
「それじゃ、また明日ねぇ」
見送ってくれている母に手を振ると、車が走り出した。
ふふ。まさか、おでんを抱えて、店長さんのお屋敷にご飯を食べに行くことになるとはねぇ。
それにしても、膝に抱えている包みからは、おでんのいい匂いがする。
「あー、この匂い嗅いでると、ますますお腹が空いてきちゃいますよ」
「貴女ときたら……」
ぼそりと店長さんが言い、苺は店長さんに顔を向けた。
「苺がなんですか?」
「いいえ。なんでもありませんよ」
店長さんはずいぶんとそっけなく口にしたが、どうしてか苺には、不思議と嬉しそうに聞こえたのだった。
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