苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP123、23『泣き笑い』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その1 いつの間にやら捕虜になる



走行中、澪や店長さんとのおしゃべりを楽しんでいた苺は、良く知る景色を確認し、後部座席の澪を振り返った。

「もうすぐだよ」

澪は黙って頷く。

ここにくるまでも、澪は緊張していたようだが、もっと固くなったみたいだ。

先行きの不安もだし、知らない場所に連れてゆかれるのも不安なのかもしれない。

「大丈夫だからね」

澪の緊張を少しでも和らげたくて、苺は一生懸命励ます。

「う、うん」

澪が少し笑みを見せてくれ、ほっとした苺だったのだが……

あっ、そっ、そうだ!

店長さんのお屋敷について、前もって澪に教えておかないと、あのお屋敷を見たら、さらに緊張しちゃうんじゃないかな?

「あ、あのね、澪」

「うん?」

「それがさ、店長さんのお家って、ちょっと普通より大きいんだ」

普通どころでなく馬鹿デカいのだが……

「うん、そうなんだろうね」

澪からそんな返事をもらい、苺は微妙な気持ちになる。

ちょっと普通より大きいという説明で、澪はどのくらいの家を想像したんだろう?

お屋敷、と言うべきだった?

うー、選択を間違えたか?

そ、そうだ。善ちゃんのことを話そう。

「それでね、執……」

い、いやいや。執事がいるというのは……ちょっと。

「ぜ、善ちゃんが出迎えてくれると思うんだけど……」

「善ちゃん?」

「うん、善ちゃんはね……」

苺が話しているところで、店長さんが「あっ!」と緊急の叫びを上げ、ブレーキを踏み込んだ。

不意打ちを食らい、驚いて「わっ!」と叫んでしまう。

後部座席に座っている澪も、相当驚いたようだ。

前方に目をやると、なんと、真っ赤な車が横合いから突っ込んできていた。

そして場所は、店長さんのお屋敷の門の前。

「まったく!」

店長さんが腹立たしそうに叫んだ。

ほんとだよ。まったく危ない車だ。

こんなところに突っ込んでくるなんて……胆が冷えたよ。

胸を撫で下ろしていると、「ぶ、ぶつからなくて良かったですね」と、動揺の滲んだ声で澪が言う。

「水木さん、それに苺も、大丈夫でしたか?」

店長さんが気遣うように尋ねてきて、苺も澪も「大丈夫です」と答えた。

「それにしても……少々、抜かったようですね」

「ぬかった? あの、店長さん、ぬかったってのは……なんなんですか?」

苺が問うと、こんな事態なのに、なんでか店長さんはくすっと笑う。

「何がおかしいんですか?」

苺は訝しく聞いた。

この場面で、こんな反応を見せる店長さんがよくわからない。

「思ったより、スリルがあったということのようですよ」

スリルが? 実のところ、びっくりはしたけど、さほど危うい事態でもなかった。いま思い返すと、ゆるーくぶつかりそうになったって感じだ。

いや、そんなことより……

「店長さん、スリルとか……意味が……」

いやいや、そんなことより……

「店長さん、あの真っ赤な車、このままにしといていいんですか? 早く現行犯で捕まえたほうが……ええっ!」

赤い車を指さし、店長さんを促していた苺は、運転席からひとがすっくと降り立ったのを見て、唖然とした。

「……ああ、ようやく出てきましたね」

店長さんがのんびりと言う。

ああ、出てきましたね。……じゃないしっ!

「な、な、な、なんで? ふ、ふ、婦警さんが……」

降り立ったのは、確かに婦人警官だ。かっちりとした制服に、制帽を目深に被ってる。

「な、なんで……店長さんの車に警察のひとの車がぶつかって……?」

いや、これって、状況的にドラマなんかでよく見る、逮捕の瞬間みたいだ。

……てことは……ま、まさかっ!

苺は目を見開いて店長さんを見る。

「指名手配されるような悪いことしたんですか? いったい何を!」

思わずきつい口調で問い質すと、店長さんから鋭い目で睨み返された。

「手が後ろに回る様なことなど、いっさいしていませんよっ!」

「で……でも、なら、なんで?」

婦警さんはきびきびした足取りで車を回り込んでくる。

「どうやら立ち直ったようだな」

腕を組んでシートに凭れた店長さんは、近づいてくる婦警さんを落ち着き払って眺めている。

まるで危機感がない店長さんに、苺の方がおどおどしてしまう。

「い、苺?」

後から顔を出した澪が、不安そうに呼びかけてきた。苺は澪の手をぎゅっと握り返した。

「だ、大丈夫だから。苺と澪はなんにも悪いことしてないんだし……捕まるとしたら……」

そう口にして、ちらりと店長さんを見てしまう。

「苺? 捕まるとしたら、なんです?」

声高に、咎めるように問い返され、苺は唇をすぼめた。

「だ、だって……苺と澪は無実だし……ここは店長さんのお屋敷の前で、止められたのは店長さんの車だし」

「覚えていなさい!」

店長さんときたら、恨みのこもった声で、超不機嫌に苺を怒鳴りつけてきた。

そのとき、ついに婦警さんが仁王立ちで車の真ん前に立った。

驚いたことに、いつの間にやら警官は三人に増えている。

婦人警官がふたりと男の警官がひとりだ。

い、いつの間に三人に……?

いったいいつの間に増えたんだ?

けど、警官三人は小声でブツブツ言い合い、揉めている様子だ。

眉をひそめて警官たちの動向を窺っていると、運転していた最初の婦人警官が、一歩前に出てきて、腕を腰に当ててぐっと胸を反らした。

「逮捕する!」

一喝するように婦警さんは叫んだ。

だが……

あ、あれっ、この声って……?

「ああっ! 羽歌乃おばあちゃん!」

「貴女ときたら、今頃気づいたんですか?」

呆れたように店長さんが言い、苺は店長さんに振り返った。

「あれはおばあちゃんだって、店長さん、気づいてたんですか?」

「当然ですよ。あの赤い車は、羽歌乃さんの車ですからね」

「ひょへっ」

「い、苺ぉ?」

事態がまるで把握できないでいる澪が、おずおずと呼びかけてきた。

「澪、ごめん。あれ、店長さんのおばあちゃんだから」

散々びっくりさせてしまい、申し訳ない気分で澪に謝る。

「お、おばあちゃんなの? へーっ、婦人警官なの?」

機嫌を損なっていたはずの店長さんが、くっくっと笑った。

「婦人警官ではありませんよ。あれは……つまり、祖母の悪乗りの結果です。水木さん、驚かせてしまって、本当にすみませんでした」

「い、いえ……いいんですけど……これ、悪乗り……なんですか?」

「ええ、迷惑なひとで、本当に申し訳ない」

「ちょっとあなたがた。いい加減に、何か反応なさいな?」

苺のいる助手席側におばあちゃんはやってきて、文句を言う。

婦警さんの格好で、腰に手を当てている羽歌乃おばあちゃんは、とってもかっこいい。

くすくす笑いながら、苺はドアを開けて車から降りた。

「おばあちゃん、すっごい似合ってます。かっこいいですよ」

「あらん、そう? けど、ちょっと見誤ってしまって……ここまで接触するつもりじゃなかったんだけど……ブレーキの踏み込みが甘かったようだわ」

「悪乗りも度を超すと、笑えない惨劇になりかねませんよ。羽歌乃さん、少しは反省してください」

孫にきつく叱られたおばあちゃんは、むすっと顔をしかめる。

「言われなくても、わかっていますよ。わたしだって、口から心臓が飛び出しそうだったわ」

「それは自業自得というものです」

「ところで……爽さん。このたびの、罪状についてだけど……」

「罪状? なんのことです?」

「あなたが自分の屋敷に女の子を連れ込もうとしてるというタレこみがあったのだけど? どうやら、事実だったようね。ふっふー」

それまでのごたごたなどなかったかのように、羽歌乃さんはしたり顔で言う。

「タレこみ? では、私の部下に裏切り者がいると?」

「そんなんじゃないわ。いいから、爽さん、あなたも車から降りなさい。話が先に進まないじゃないの」

「付き合うつもりはありませんよ。こんなことをして、苺のご友人にもご迷惑ですよ。ほら苺、さっさと車に戻りなさい」

「えっ? で、でも……」

躊躇っていたら、苺はガシッと腕を掴まれた。

「捕虜確保。千佳子さん、彼女を早く車に連れ込みなさいっ」

「はっ、了解しました!」

見事に敬礼のポーズを決めた千佳子さんは、機敏に動いて苺を捕まえた。

すぐさま、苺は真っ赤な車に連れてゆかれる。

「あわわっ」

あたふたしている間に、真っ赤な車の後部座席に押し込まれていた。

警官に扮していた羽歌乃おばあちゃん家の運転手さんが運転席に乗り込み、羽歌乃おばあちゃんも後部座席に乗り込んできた。

そして車は見事なハンドルさばきで方向転換し、苺が我に返る前に走り出していた。

「えええっ! み、澪ーーーっ! 店長さーーん!」

ふたりのほうに向けて腕を伸ばすも、店長さんと澪の姿はどんどん遠ざかって行ったのだった。





  
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