苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP123、23『泣き笑い』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その5 目玉をくるくる



店長さんが大笑いしているところに、誰かがやって来た。

ノックの音を聞いて、店長さんは笑うのをやめ、「はい」と返事をする。

「坂北です」

ああ、千佳子さんか。

「どうぞ」

店長さんの返事に、ドアが開く。そして千佳子さんが姿を見せた。

「爽様、爽様のお屋敷から……」

それだけ聞いた店長さんは「ああ、来ましたか」と口にし、さっと立ち上がってドアに向かう。

来たって、いったい誰が来たのだろう?

爽様のお屋敷からって、千佳子さんは言ったけど……

苺が首を捻っていると、店長さんはドアの入り口のところで立ち止まり、こちらに振り返ってきた。

「すぐに戻りますから」

それだけ言い残し、千佳子さんと行ってしまう。

澪とふたりきりになり、ふたりして顔を見合わせる。

「藤原さん、どうしたの?」

澪が聞いてきたが、苺だってわからない。

「さあ。店長さんのお屋敷から、お客さんが来たみたいだけど……」

すでに澪だって知っている情報だが、一応口にする。

「すぐに戻るって言ってたし……」

そう言った苺は、澪の顔をまじまじと見つめてしまう。

ここ最近の澪の追い詰められた境遇が思い出され、胸が疼く。

「苺、どうかした?」

「う、うん」

なんでもないと首を振ろうとしたら、気になったらしい澪が立ち上がり、苺の隣にやってきた。

「何か心配事? 藤原さん関係とか?」

まるきり見当違いな言葉に、苺は小さく笑った。

答える代わりに、苺は澪の手を取って、ぎゅっと握り締めた。

「えっと……な、なんなの?」

突然の苺の行動に、澪は戸惑わされたようだ。

「なんとなく……だよ」

込み上げる気持ちに押されてやってしまった行動に、苺は照れて返した。

そんな苺の思いを受け取ってくれたらしく、澪もぎゅっと握り返してきた。

「ありがとね。ほんと、苺と会えて、元気出たよ」

「ほんとに?」

「うん」

微笑む澪に、苺もほっとして笑みを浮べた。

「絶対大丈夫だよ。うまくいくよ。だって、澪は強運の持ち主だもん」

きっぱり宣言すると、澪は自信なさそうに顔をしかめた。

「……強運とかないよ。このありさまだもん」

「ううん、そんなことないって。店長さんも言ってたじゃん、今回こと、澪が大きなチャンスを得るために必要なことだったのかもしれないって」

「う、うん。……ねぇ、苺」

「なあに?」

「藤原さんみたいなひとと出会えてほんとよかったね。最初はすっごいびっくりしたけど、苺と藤原さん、やっぱり、とってもお似合いだよ」

お似合い? そ、それって?

あっちゃーっ。澪、苺と店長さんの関係、誤解しちゃったのか。

さすがに大親友の澪を誤解させたままじゃいけないと、すぐさま誤解を解こうとして、苺はためらった。

澪はこれから店長さんに力添えしてもらうってのに、苺と店長さんは単なる上司と部下の間柄と知ったら、遠慮するんじゃないだろうか?

澪はかなり律儀な性格だ。友達の上司でしかないひとのお世話になるべきじゃないなんて、考えるかも。

身の振り方が決まるまで、店長さんのお屋敷に滞在させてもらったほうが、絶対に都合がいいもんね。

行ったり来たりしてたんじゃ、時間のロスだ。うまくいくものもいかなくなりそうだ。

だいたい、いまの澪は携帯も持っていないわけだしね。

けど……澪に嘘をつくのは嫌だし……ここは微妙に誤魔化すことにするかなぁ。

「ふふ。苺、顔が真っ赤だよ。いまが食べごろって感じだぁ」

その言葉に、次の澪の行動が予想でき、苺は「きゃーっ!」と笑い交じりに叫びながら身を引いた。

澪はわざと大きく両手を上げて、襲いかかってくる。

苺のほっぺたに、澪がかぷっとかじりついたとき、ドアの開く音と同時に「苺!」と、大きな声が飛んできた。

「へっ?」

驚いて顔を向けると、店長さんがびっくり顔で苺たちを見ている。

「あっ、す、すみません」

苺にかじりついていた澪は、大慌てで苺から身を引いた。

店長さんはよほど驚いたのか、いまだドア口に立ったままだ。

これは珍しい現象だ。

何があっても、いつも余裕綽々の店長さんなのに。

苺がほっぺをかじられていた図は、そんなにも衝撃的だったのか?

専門学校在学中は、よくある風景で、誰も気に留めなかったけど……

「これは、澪のジョークですよ。苺の顔が赤いと、わざとかぶりついてくるんです」

「仲がいいのですね」

苺の説明で衝撃が抜けたのか、店長さんはそんなことを言いながら歩み寄ってきた。

「なんか、あの、藤原さん、すみませんでした。苺にかぶりついちゃったりして……」

澪は気まずそうに店長さんに頭を下げる。

店長さんは苦笑しつつ首を横に振った。

「謝罪などなさる必要はありませんよ。驚いてしまっただけです。もちろん水木さんが男性であったならば、話は別ですが」

それは当然だ。

「当ったり前ですよぉ。これがオレロンなら、グーパンチですよ」

「……グーパンチ?」

およっ、店長さんにはグーパンチは通じないか。

「グーで、パンチですよ」

意味がわからないらしい店長さんに説明するため、苺は右手をぎゅっと握り締め、澪のほっぺた目がけて勢いよく拳を振り出してみせた。

もちろん、寸でで拳を止める。

「も、もおっ! 苺、びっくりさせないでよぉ」

「当たってないじゃん」

苺はそう言いながら、最後にこつんと拳を当てた。

「いま当たったよ」

「当てたんだよ」

苺はからかうように言い、くすくす笑った。澪は不服そうに頬を膨らませる。

「おふたりは本当に仲が良いですね」

店長さんの言葉に、苺はにこっと笑って振り返った。

「気が合うんです。ねっ、澪」

「う、うん」

澪はまだ店長さんに対して遠慮してしまうらしく、ためらうように頷く。

「ところで、水木さん」

「は、はい」

店長さんが澪に話しかけ、話しかけられた澪はなぜか姿勢を正して返事をする。

澪ってば、まるで苦手な先生を前にしている生徒みたいだよ。

「貴女も川島さんと親しかったと、苺から聞きましたが」

「かわ……? あ、ああ、オレロンのことですね」

川島さんと言われて、ぴんとこなかったらしい澪に、苺はぷっと噴いた。

「澪、オレロンの苗字、忘れちゃってたの?」

「あ、う、うん。まあね。……だって、オレロンのこと、苗字で呼ぶようなことなかったし……」

「もしかして、下の名前も憶えてなかったりするんじゃないの?」

からかうように指摘すると、澪は図星を突かれたらしく顔を赤らめた。

「そんなことは……と言いたいけど……実はわかんない」

そう言って、恥ずかしそうに頭を掻く。

ほんと、澪の肌って綺麗だなぁ。透き通ってるみたいな肌だから、赤くなると見惚れちゃう。

「澪はやっぱり、お人形さんみたいだよ。ねぇ、店長さんもそう思うでしょ?」

「い、苺、そういうこと言うの、やめてよぉ」

澪に腕を引っ張られながら、店長さんの返事を待つが、店長さんは何か考え込んでいる。

「店長さん?」

「はい? なんですか?」

ようやく気付いてくれたらしいが、いまのやりとりなど聞いちゃいなかったらしい。

お屋敷の人がやってきたという話だったけど、何かよくないことでも起きたのだろうか?

「どうかしたんですか?」

「いえ……」

歯切れ悪く答えた店長さんは、ドアに向いた。

「運んでくれ」

うん? 運んでくれって、何をだろう?

首を伸ばしてドアのほうを見ていると、男の人たちが入ってきた。それぞれ、手に何やら持っている。

苺たちの前にあるテーブルに、運んできたものが置かれてゆく。

「昼食を用意させていたので、私の屋敷から運んでこさせたのですよ」

「へえーっ、そうなんですか」

確かにまだお昼ご飯を食べてなかった。

喫茶店で大盛りのパフェを食べたせいで、そんなにお腹が空いていなかったから、お昼ご飯のことなど忘れていた。

「わあっ」

並べられてゆく料理を見て、澪が小声で驚きの声を上げる。

あっという間に昼食の準備が整い、スタッフさんたちは部屋から引き揚げて行った。

苺は店長さんと並んで座り、澪は真向かいに座った。

さっそくいただくことになり、楽しくおしゃべりしながら食べていた苺は、ふと思い出した。

そ、そうだった。苺、店長さんの捕虜で、過ってかけてしまった手錠を、邪魔じゃないように持っておくと申し出たのに……すっかり忘れちゃってた。

「て、店長さん」

焦って店長さんに向き、店長さんの腕に手をかけた苺は「あれっ?」と声を上げた。

手錠がない?

「どうしたんですか、手錠は? はまってないですよ」

「今頃気づいたんですか?」

食べる手を止め、店長さんは呆れたように言う。澪を見ると、彼女も気づいていなかったのか、驚いた顔をしている。

「運転手さん、戻って来てくれたんですか?」

「いいえ。そうではありませんよ。試しに外そうとしてみたら、簡単に外れました」

「な、なーんだ。よかったですねぇ」

ならば、もう店長さんの捕虜にならなくていいってことだ。よかった、とほっとする。

「ですが、羽歌乃さんには内緒ですよ」

「えっ? 内緒?」

「してやったりと、ご機嫌な様子でしたからね。それが簡単に外れたなんて知ったら、あのひとのことです。悔しがるでしょう?」

「ですね」

苺は納得してこくこくと頷いた。

店長さんの言うとおりだと思う。

おばあちゃん、負けず嫌いだからなぁ。

「羽歌乃さんと顔を合せるときには、元通り、つけておくつもりです」

「それがいいですね」

「苺」

「はい」

「これで、ご自分の罪が消えたと思われては困りますよ」

「えっ?」

「手錠が取れようが、貴女の罪は、それ相当の償いをするまで消えませんからね」

「そ、そんなぁ」

「まあ、いまは水木さんもご一緒なのですし、捕虜扱いは、先延ばしにして差し上げましょう」

居丈高に言う。

店長さんらしい王様発言に、苺は目玉をくるくる回したのだった。





   
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