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その6 刺激の第一歩
「あー、美味しかった♪」
店長さんのお屋敷から運んできてもらったランチを食べ、苺のお腹は大満足だ。
澪がいるから、なおさら満足。
楽しいおしゃべりとともにいただくご飯は、ほんとに美味しい。
澪とはすごく気が合って、ふたりはいつでもネタ切れなしでおしゃべりしてしまうのだが、今回、ふたりだけで会話を進めるようなことはなく、店長さんはいい感じで会話に混じっていた。
オレロンは、よく『俺を置いてくなーっ』と文句を言っていたのだが、店長さんはそんなことはない。
それは店長さんの頭の回転が、素晴らしくいいからなんだろう。
機転も利くし、博識だし。
それでいて、苺と澪のおしゃべりの邪魔になることもなかった。
やっぱ、凄いお人だよ。
「ほんと、美味しかったです。ご馳走様でした」
澪が恥ずかしそうに頬を染めて言う。
最後に出たデザートは、フルーツ山盛りのケーキで、フルーツ大好きの澪は大喜びだった。
三人とも食べ終わり、店長さんは控えていたスタッフさんに指示を出し、テーブルの上はあっという間に片付けられる。
美味しいものをたらふく食べて、澪がさらに元気になったように見えて、嬉しくてならない。
「さて、それでは、水木さんの今後について話しをしましょうか?」
店長さんが改まった口調で切り出してきて、苺はぎゅんと緊張した。
「は、はいっ」
笑みを消して返事をした澪は、しゃきんと姿勢を正して返事をする。
「澪、そんなに固くならなくていいよ」
澪の気分を和らげようと、苺はのんびりな感じで言ってみる。
「そ、そう言われても……緊張するよ」
うーん。だよね。
苺だって店長さんの面接を受けたことがあるわけで……いまの澪の気持ちはよくわかる。
あの時は、苺もめっちゃ緊張したっけ。
緊張しすぎて、おかしな受け答えばっかりしてしまった気がする。
そのとき、ドアがノックされた。
店長さんが返事をすると、「爽様、お持ちいたしました」と言う。
何を持ってきたのだろう?
入ってきたスタッフさんが抱えていたのは、澪の荷物だった。
「あっ」
澪は小さく叫び、焦りを見せて立ち上がった。
店長さんの指示で、澪の足元に作品が入った袋が並べて置かれる。
用事を終えたスタッフさんは、すぐに部屋から出て行った。
「では、水木さん、見せてください」
「は、はい……」
緊張が増したようで、澪は固い声で返事をした。
ぎこちない手つきで、袋の中から作品のひとつを取り出し、店長さんに手渡す。
店長さんが作品を眺めはじめ、苺は息を詰めてその様子を見守った。
ごくりと唾を呑み込んで、ちらっと澪の様子を見る。
なんか澪、顔色が真っ青になってるみたい。
それも当然か……澪にとって、ここがほんとの正念場だもんね。
店長さん、どんな判断を下すんだろう?
あーっ、心臓がバクバクして、胸を突き破りそうだよ。
店長さんの横で、じっと座っているのもいたたまれないくらいだ。
すると、店長さんは手にしていた作品をテーブルに置いた。
どきりとしたが、「次を」と、澪に向けて手を差し出す。
判決はまだ先かと、苺はためていた息を吐き出した。
「は……はい」
肩をガチガチにして、澪は次の作品を取り出して渡した。
店長さんが全部の作品を見終えるまで、そのやり取りが続いた。
堪らないことに、その間、ほんど無言。
店長さんってば、少しでもいいなと思う作品があったら、感想を口にしてくれればいいのに、黙ったままじゃ、緊張やら不安が膨らむばかりだ。
最後の作品を見終えた店長さんが、澪に目を向けた。
つ、ついに、来たっ!
視線を向けられた澪は、ひびったようだが、返事待ちの立場では、その目を逸らせもしない。
「澪、頑張るんだよ!」
心の中で応援するつもりが、つい声に出して叫んでしまった。
澪と店長さんが苺に向く。
「あっ、ごめんです。つい」
顔を真っ赤にして苺はふたりに謝った。
澪がにこっと笑う。
「苺。心配してくれてありがと。でも、大丈夫だよ。ちゃんと覚悟してる」
「う、うん」
苺は複雑な気持ちで頷きながら、無意識に自分の横に座っている店長さんの腕を掴んだ。
溺れる者は藁をも掴むの心境だ。
まあ、店長さんが藁というのは違うし、この場合、溺れる者は澪なのだろうけど……
一緒に溺れてる気分だから、このたとえは、あながち間違いでもないはず。
「はっきり申し上げると……」
「て、店長さん?」
言葉の前振りとして、おおいに不安を感じさせられ、焦った苺は思わず店長さんにしがみついた。
「苺」
店長さんから叱るように名を呼ばれ、苺は身を縮めた。
「だ、だって……」
邪魔しちゃ駄目だってわかってるけど……思わしくない答えを聞きたくない。
「苺、苺は部屋から出ててくれていいよ。わたし、ひとりで聞くから」
緊張から顔色を悪くしてるのに、澪は気負って言う。
「澪。……ごめん。もうおとなしくしてる。店長さんも、ごめんなさい」
しょんぼりと肩を落とし、苺は店長さんに向けて頭を下げた。
すると、店長さんは苺の頭に触れてきた。そして、ポンポンとやさしく叩く。
宥められてしまったようだ。なんとも恥ずかしい。
「水木さん、貴女の作品は、冒険がない」
冒険がない?
「……は、はい」
澪は視線を落とし、口元を強張らせて返事をした。
「商業作品は、とくにその傾向があるようですね」
「そ、その通りです。仕事をもらって、最初は、インパクトのある思い切ったものをって考えてても、あれこれ指摘されると、最終的に無難な感じになってしまって……」
店長さんは頷き、テーブルに置いた作品に視線を当ててから、また口を開いた。
「やさしくてぬくもりのある、貴女独自の雰囲気は、悪くないのですが」
「そ、そうなんです。澪の描くものって……」
「苺」
思わず口を挟んだら、店長さんに止められた。
黙って聞いていろと言いたいらしい。
「わかったですよ」
つい、拗ねて答えてしまう。
「部屋から出ますか?」
店長さんから淡々と言われ、苺は必死に首を横に振った。
部屋から出るのは嫌だ。
自分がここにいるだけでも、澪の力になれてると思うし、何よりしっかりと見届けたい。
「イラストレーターは、独創性あってのもの。守りに入っては、生き残れません」
「はい」
胸が痛かった。店長さんの言葉にも、澪の短い返事にも……
結局、店長さんの言うとおり、澪は守りに入ったために、生き残れなかったのだ。
「ですが、貴女にはとてもセンスを感じます。強気で攻めてゆくと誓えるのであれば、貴女に合うイラストの仕事を探す手伝いをさせていただきましょう」
「は、はいっ」
うっおおーーーーっ!
口を出すなと言われていた苺は、心の中で喜びの叫びを上げたが、思い切り手を叩いていた。
「ですが、実際仕事をもらえるかは、水木さん、貴女次第ですよ。知り合いに口を利いてあげることはできますが、コネだけで仕事は取れませんし、取るべきではありません」
「はい」
「少しでも早く仕事を得たいでしょうから、しばらくここに滞在して絵を描いていただこうと思います。必要な画材はこちらで用意させましょう」
おおっ。なんと、急に話が進んじゃったよ。
今度は期待で心臓がバクバクしてきた。
「私の祖母が邪魔をするだろうと思いますが……あのひとは、案外役に立つかもしませんので」
羽歌乃おばあちゃん?
「あれっ、店長さん、澪はここに泊まるんですか? おばあちゃん家に?」
「ええ。私の家より、ここのほうがよさそうですからね」
「おばあちゃんに、泊まってもいいかって聞いたんですか?」
「いえ、まだですよ」
「ええっ、聞いてないのに、勝手に決めちゃ駄目じゃないですか?」
「苺、貴女は羽歌乃さんのことを、まだまだわかっていませんね。あのひとは、水木さんをここに泊まらせる気満々ですよ。だいたいそのつもりで、ここに私たちを連れてきたのでしょうから」
「そ、そうなんですか?」
「だが、水木さんのためには、こうなってよかったと思いますよ。私たちは日中仕事がありますし、私たちがいない間、祖母と坂北さんがいてくれれば、水木さんも過ごしやすいでしょう」
「そうですね」
店長さんの屋敷には、おじいちゃんみたいな善ちゃんに、やさしい料理長さんもいるから、別にあっちでもよさそうだけどね。
どっちでも退屈はしなさそうだ。
確実に仕事がもらえるというわけではないにしろ、話が決まり、苺はほっとした。
澪の表情も明るい。
話が終わったと、店長さんが羽歌乃おばあちゃんに連絡し、待つほどもなく、羽歌乃おばあちゃんが現れた。
澪の了解を取り、苺は店長さんとふたりして、澪のいまの事情を羽歌乃おばあちゃんに説明した。
羽歌乃おばあちゃんは、澪の作品を見せてほしいと言い、店長さんと同じようにじっくり観賞した。
「澪さんには、刺激が必要なようね」
見終わった羽歌乃おばあちゃんは、開口一番にそんなことを言う。
「おばあちゃん、刺激が必要って?」
「殻を打ち破る刺激よ。澪さん、わたしに任せておきなさい」
ドンと胸を叩いておばあちゃんが言う。
任せちゃっていいのだろうかと不安になり、苺は救いを求めるように店長さんを見たが、店長さんは苦笑しているだけだ。
「て、店長さん」
「なんです?」
いや、なんですじゃなくて……いまの羽歌乃おばあちゃんの発言なんですけど。
という気持ちを込めて、楽しそうに澪に話しかけている羽歌乃おばあちゃんをチラリと見る。
素晴らしく鋭い勘を働かせる店長さんだから、このパフォーマンスで通じるかと思いきや、店長さんは軽く眉を上げて見せただけだった。
「さあ、刺激の第一歩よ!」
はい?
羽歌乃おばあちゃんが宣言するように叫び、驚いた苺はさっと振り返った。
いったいどうしたというのか、羽歌乃おばあちゃんは、億単位の宝くじを当てたかのような、凄まじく嬉しそうな笑みを浮かべている。
苺は眉をひそめて、そんなおばあちゃんを見つめた。
羽歌乃おばあちゃん、いったい何をする気だ?
刺激の第一歩とは、いったいなんなのだろう?
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