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その8 案じる行く末
「それじゃ、みなさん、まず手にしているリモコンを見てちょうだい。小さな赤いボタンがあるでしょう?」
羽歌乃おばあちゃんが命令口調で言い、苺は手に持っているリモコンを見つめた。
えーっと、赤いボタン?
おっ、このちっこいやつがそうかな?
確認したところで、ぷちっと押す。
「苺!」
苺の向かい側の角にいる店長さんが叫び、苺は「えっ?」と叫んで顔を上げたが、それと同時に「でろりろりーん」と、心臓をどきりとさせるおかしな音がした。
なんか呪われてしまった気がするような嫌なメロディーだった。
「あ、あらら」
羽歌乃おばあちゃんが、困ったような呆れたような声を出す。
「な、なんなんですか?」
「まったく、苺さんときたら、しょっぱなでやってしまったわね」
やってしまった?
「い、苺。もしかして、呪われたんですか? でも、おばあちゃん、赤いボタン押せって」
「押せとは言っていませんよ。わたしは、赤いボタンがあるでしょうと言っただけ」
そ、そうだったか?
「で、でも……そう言われたら、押すのかなぁて、誰だって思うですよ。ねぇ、澪?」
「う、うん」
「だよねぇ」
「苺さん、先走って押したのは貴女だけ。澪さんは押していませんよ」
羽歌乃おばあちゃんの指摘に、苺は顔を赤らめた。
そ、そうだった。
「苺、ごめんね」
なぜか澪が謝り、苺は苦笑した。
「澪が謝ることないよ」
「そうよ。澪さんは気にすることはありません。それより、反省すべきは苺さんよ」
「ごめんなさい。でも、これって……苺は、どうかなっちゃうんですか?」
「そうね。先ほど呪われたと言ったのは、あながち間違いではありませんよ、苺」
店長さんに言われ、苺はがっかりした。
「い、苺、やっぱり呪われたんですか?」
しかし、しょっぱなから呪われるなんてぇ……
けど、なんで呪われるようなボタンがついてて……あっ、そうか。
「おばあちゃん、呪われるから赤いボタンには触るなって教えるつもりだったんですか?」
「違いますよ」
「違うですか? それじゃ?」
「この赤いボタンは、順番を決めるためのボタンなのよ」
順番を決めるためのボタン?
「で、でも、店長さんが、このボタン押しちゃったから、苺は呪われたって……」
「呪われたようなものということですよ」
苺の言葉を修正するように店長さんが言う。
「同じことじゃないですか?」
「苺さん、ちょっと黙ってわたしの説明を聞きなさい」
羽歌乃おばあちゃんが手をパンパン叩きながら、苺を諭してきた。
苺は唇を突き出して頷いて見せた。
「貴女は、順番決めでフライングして、ペナルティを科せられることになったのよ」
フライングでペナルティ?
「な、なんと! そんなもんがあったんですか?」
「そんなもんがあったのよ」
「ああ、そうそう。そのルールで、去年、この私を嵌めようとしたのでしたね、羽歌乃さん」
店長さんがにこやかに言うと、羽歌乃おばあちゃんは苦い顔をした。
「でも、嵌らなかったじゃないの」
「羽歌乃さんとは、長い付き合いですからね。そのあたりの用心は怠りませんよ」
おおっ! さすが店長さんだ。けど、苺は付き合いが短いから……
いやいや、その言い訳は通じない。だって澪は、やんなかったわけだし……
「苺。わたし、何が何やらわからなくて押さなかっただけだから。ねっ」
澪のやさしいフォローに、苺は笑い返した。
「澪、苺、こんなペナルティなんて、すぐに取り返すからね」
自信満々に言うと、澪は嬉しそうに「うん」と頷く。
「それはどうかしら……」
暗い顔で羽歌乃さんが言う。
「おばあちゃん?」
「貴女がフライングするなんて思わなかったから……ペナルティは去年のままなのよ」
「あの、ペナルティは、どんなものなんですか?」
澪が気がかりそうに、羽歌乃おばあちゃんに聞いてくれる。
「わたしがジョーカーを出したら復活できるわ」
そのあと、羽歌乃おばあちゃんは、苺の復活がかかっているジョーカーというものが出る確率を教えてくれた。それは、三十分の一の確率だという。
復活の可能性がついえた気がした。
「おばあちゃん、このフライングなしってことにして、初めからやりなおしてくれないですか?」
「それができたらそうしているわ。できないのよ」
つまり苺は、しょっぱなゲームから離脱してしまったわけか。……がっかりだ。
「大奥様」
千佳子さんが、羽歌乃さんに話しかけた。
「なあに?」
「鈴木様が復活できる術が、ありますが」
「ああ、そうだったわ。悪魔になら救えるんだったわね」
千佳子さんの言葉を聞いた羽歌乃おばあちゃんは、ちらりと店長さんに視線を向けて言う。
「どういうことです?」
店長さんが用心深く聞く。
「悪魔は、他のひとのペナルティを食べられるのよ」
おおっ、食べてもらえたら、復活できるのか?
「私は、苺のペナルティなど食べませんよ」
店長さんは、取りつく島もなく断言する。
「ええーっ。冷たくないですかぁ? ちょっとくらい考えてくれても……」
「私が貴女のペナルティを食べなくても、羽歌乃さんには貴女を救える術が他にもあるんですよ」
「あら、覚えてたの?」
「覚えていますよ。どうせまた、こんな風にやらされるのだろうと、わかっていましたからね。ともかく始めませんか?」
羽歌乃おばあちゃんは渋い顔をし、千佳子さんに顔を向けた。すると千佳子さんは小さく笑って返す。
しかし、どうやら苺は、確率の低いジョーカーのほかにも救ってもらえるチャンスがあるらしい。
「それじゃ、苺さん以外のみんなは、わたしがスタートのボタンを押したら、ファンファーレが鳴るから、赤いボタンをすかさず押すのよ」
「ファンファーレが鳴ったら、赤いボタンですね?」
澪がどぎまぎした顔で確認を取るように聞く。
澪、かなりテンパってるみたいだけど……大丈夫だろうか?
まあ、しょっぱな、大失敗こいた苺の言えることじゃないわけだけど……
「では、準備はいいわね?」
羽歌乃おばあちゃんは、千佳子さんと澪に向けて言う。店長さんはまるで無視だ。
それも当然か。このゲームは、店長さんを負かすためのゲームみたいだし……
「い、いいです」
澪がひどく緊張した声で言い、千佳子さんは余裕の顔で「はい」と返事をした。
「では……」
「ところでおばあちゃん、ファンファーレが鳴ってボタンを押すって、それって早いもの順で順番が決まるってことですか?」
「ちょっと苺さん。もう押そうとしていたのにっ!」
噛みつくように叱られ、苺は小さくなった。
「ご、ごめんです」
「戦線離脱してるんだから、復活できるまで大人しくしていらっしゃい」
ちぇーっ。
それまでみんなと同じようにリモコンを構えていた苺は、気落ちしてリモコンを下ろした。すると、今度は店長さんが意見してきた。
「苺、ちゃんと構えていなさい。いつ、復活できるかわからないのですから」
「えっ? そ、そうなんですか?」
「ええ。何があるやらわからないゲームですよ。羽歌乃さんは思いつくままルールを作りすぎて、自分でも把握できていないんじゃないかと思いますね。やってみなければ、どう転がるかわかりませんよ」
店長さんの言葉が正しかったのか、千佳子さんが小さく噴き出し、そのあと堪えようとするものの笑いが抑えられないようで、くすくすと笑い続ける。
「坂北さんは、すべてを把握しているかもしれませんが?」
「いえ。それがわたしも……かなり曖昧で。ですから、昨年よりも楽しめると思いますよ」
「それはいいことを聞いた。俄然やる気が増しましたね」
言葉通り、店長さんは目をキラキラさせはじめた。
どうやら苺は、離脱したと、しょげていなくてもいいらしい。
「もう、ごちゃごちゃ言わないで、始めますよ!」
イラついたらしい羽歌乃おばあちゃんがそう言った直後、にぎやかなファンファーレが鳴った。
「わわっ!」
驚かされたらしい澪は、叫ぶと同時に赤いボタンを押したようだった。
もちろん、店長さんと千佳子さんも押したのだろう。
苺のほうは、手にしているリモコンが激しく振動したことに驚いた。
「な、な、な……」
危うく取り落すことろだった。
「ああ、苺さん、その振動は、ペナルティのせいよ」
羽歌乃おばあちゃんが説明してくれたが……遅いっての!
「おばあちゃん!」
「爽さんがさっき言ったでしょう? 何が起こるかわからないって。そのひとつよ。それより、あら、爽さんが一番?」
「そのようですね」
店長さんは、そっけない返事をする。羽歌乃おばあちゃんは、面白くなさそうだ。
「わたしが二番で、水木様が三番ですね」
千佳子さんが付け加えた。
「予想の順番で、面白くないじゃないの」
「そんなことは知りませんよ。さあ、順番も決まったのですから、さっさと始めましょう」
店長さんは、言うが早く、何かリモコンのボタンを押したらしい。
ゲーム盤の店長さん側で、ギュギューンという音がしはじめた。
どうやら、店長さんの悪魔な駒が動いているようだ。
店長さんの両隣にいる澪と千佳子さんは覗き込んでいるが、苺からは向かいの位置なため、必死に背伸びしてみても何も見えない。
もどかしくなった苺は、リモコンを手にしたまま、店長さんの陣地に回り込んだ。
「あっ、苺さん、駄目よっ!」
羽歌乃おばあちゃんが大声で制止してきて、苺はびっくりした。
そしてそのとき、「ピコピコピコ……」という軽い感じのメロディーがおっぱじまった。
「ああっ! い、苺のイチゴちゃんが!」
何を見たのか、澪が驚いて叫ぶ。
へっ?
「もおっ。あなたときたら、どうして自分の陣地から動くの」
羽歌乃おばあちゃんから苛立ったように叱られて、ビビっていた苺だが、店長さんはにやついて苺の肩を叩いてきた。
まるで、よくやったとでもいうように……
「な、なんなんですか? 何がどうなったんですか?」
「苺、見てごらんなさい。貴女は復活しましたよ」
ふ、復活?
店長さんが指さすほうへ、苺は戸惑いながら目を向けた。
「ええっ?」
苺の駒が、ゲーム盤をひょこひょこと移動している。ピコピコピコというメロディーに合わせて身体を揺らしながら……
「な、なんで? 今度は何がどうなったですか?」
「貴女は、自分から私の下僕となったのですよ。それでペナルティーは消えたようです」
「げ、下僕? ど、どうして?」
「そのリモコンを持ったまま、私の陣地に入ってきたからでしょうね」
「い、苺、これからどうなるですか?」
「さあ、それはゲームを進めて見ないことには、私にもわかりませんよ」
「苺ぉ。なんか、ずいぶんと波乱だね?」
澪が、他に言いようがないというように言い、千佳子さんが笑い出した。
すると、羽歌乃おばあちゃんまでも、我慢できなかったらしく笑い出す。
「もおっ、苺さんのせいで、まだ始まったばかりだというのに、しっちゃかめっちゃかじゃないの」
「だって苺、ルール知らないんだから、仕方ないじゃないですか」
「貴女の場合、それだけの事ではない気がしますが……ですが、歓迎しますよ、苺、我が悪魔の陣へようこそ!」
悪魔な店長さんのテリトリーになんて、たとえ復活できたとしても、招待なんぞされたくなかったんだけど……
いや、招待なんかじゃなかった。苺は、店長さんの下僕……
「さて、せっかく転がり込んできた下僕……たっぷり奉仕していただくとしましょう」
店長さんは、自分の悪魔な駒の後ろの位置についた苺の駒の頭を撫で、にやりと悪魔な笑みを浮べた。
苺は、自分の駒の行く末を案じて、口元を引きつらせたのだった。
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