苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP134、25『恋しいぬくもり』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その2 不安がむくむく



約束の二十一時きっかりに、店長さんは迎えに来てくれた。

苺が助手席に乗り込むと、すぐに車はワンルームに向かう。

運転している店長さんを、苺は店長さんに気づかれないようにさりげなく見つめた。

ほんと、かっこいいおひとだよ。

店長さんがその気になれば、いつでもお姫様みたいな育ちのいい女の人と付き合えるんだろうな。

なのに、なんでいつも苺なんかと一緒にいるんだろう?

もちろん、それが嫌ってわけじゃない。

ただ、不思議に思えるだけで……

苺は顔をしかめた。

嬉しくない感情が、むくむくむくむく膨らんでくる。

いまさらだけど、苺は、店長さんとずっと一緒にいたいと思ってたんだ。

けど……店長さんは、突然、離れていってしまうかもしれない。

それは、もしかしたら、明日かもしれなくて……

「苺?」

呼びかけられたが、自分の考えにひどく動揺していた苺の耳には届かなかった。

「どうしました? 苺?」

大きな声で話しかけられ、苺はぎょっとして店長さんに向いた。

「な、なんですか?」

胸が苦しくて、悲痛な声になった。苺は慌てた。

「あ……ちょ、ちょっと胸が苦しくて……あっ」

思いがそのまま転がり出てしまい。苺はハッとして口を閉じた。

運転中の店長さんは、苺を気にしてチラチラ見てくる。

「チラチラ見てたら、危ないですよ」

いまの自分の顔を見られるのが嫌で、苺は店長さんを注意した。

「胸が苦しいなどとおっしゃるから。大丈夫なのですか?」

「ああ。そういうことじゃないんで、全然大丈夫です」

「そういうことじゃないとは? ならば、どういうことなんです?」

なんだか、墓穴を掘り続けてしまっているようだ。

苺、冷静になれ!

「話はワンルームに戻ってからにするですよ」

「わかりました。そうしましょう」

店長さんは、苺を追求するのをやめ、運転に集中した。





ワンルームに戻り、店長さんより先に靴を脱いで上がった苺は、まっすぐ風呂場に行き、風呂のスイッチを押した。

「苺」

スイッチを押したあとも、ぼおっとしてしゃがみ込んでいたら、上から声が降ってきた。

驚いて上を向くと、店長さんが身体を屈めて、苺を覗き込む。

「いったいどうしたんです?」

「その……温泉が、駄目になっちゃって」

色々考えた末に言う。

これなら店長さんも、苺がちょっとおかしいわけを納得するだろう。

胸にあることは、絶対に口にできない。

「温泉? 来週行くことになっている旅行ですか? 何があったんです? 宏さんか節子さんが体調を悪くなさったとかではありませんね?」

気がかりそうに尋ねられ、店長さんの優しい気持ちに、無性に胸が熱くなる。

「そ、そういうんじゃないんです」

「苺、こんなところにしゃがみ込んでいたら、身体が冷えます。部屋のほうにゆきましょう」

店長さんは苺の腕を掴み、立ち上がらせると、背を押すようにして部屋に入った。

すでにエアコンを入れてくれていて、部屋はほんわかあたたかい。

ソファに並んで座り、苺は温泉の予約が取れなかったことを伝えた。

「それで、お父さん、凄く落ち込んじゃってて」

「そうでしたか」

苺は頷き、店長さんの腕に頭をくっつけた。

店長さんは慰めるように、苺の頭をそっと腕に抱え込んでくれる。

腕の温もりに、苺は泣きたくなった。

苺らしくないのは、おかしなこと考えちゃったせいだ。

店長さんが離れて行っちゃうとか……

「……やだ」

感情が込み上げ、苺は無意識に呟いていた。

店長さんは聞き取れなかったらしく、「なんですか?」と聞き返してくる。

「……」

「苺?」

「な、なんでもないんです」

慌てて言うと、店長さんは苺の頭を少し乱暴にぐりぐり撫でる。

「わわわ」

「私に任せてくれませんか?」

「は、はい?」

「温泉、行けるように手を尽くしましょう」

えっ?

「どこの温泉に行きたいんですか?」

ポケットから携帯を取り出しながら聞かれ、苺は戸惑いながら返事をする。

「ど、どこでもいいですよ。予約が取れるんなら」

頷いた店長さんは、ポケットから携帯を取り出すと、すぐに電話をかけた。

そして、十分後……

「取れましたよ」

「取れた?」

「ええ。宏さんと節子さんには、あなたから伝えなさい。ネットで探してみたら、案外簡単に見つかったと言えばいい」

「で、でも……爽が取ってくれたんだし」

「家族旅行ですからね。他人の私がでしゃばってはいけない気がします」

他人と言う言葉に、泣きそうになる。

「……他人?」

「苺?」

胸が痛い。痛くて苦しい。

やっぱり、店長さんは、いつか苺から離れてくんですか?

問いが喉元まで突き上げてくる。

「他人とか言っちゃいやですよ!」

胸が悶々として堪らなくなり、苺は思わず叫んでいた。

「えっ?」

「一緒に……」

いてほしいと言いたいが、言えずにいると、店長さんが聞き返してきた。

「一緒に行ってほしいんですか? ほんとに?」

嬉しそうに言われ、心臓がバクバクする。

店長さんも、苺とずっと一緒にいたいと思ってくれてるのか?

嬉しくて大きく頷いたら、店長さんに抱きしめられた。

うわわっ。ど、どうしよう?

苺、このままずっと店長さんと……

そう思ったところで、あれっ? と思う。

一緒にいてほしいんですかじゃなくて、一緒に行ってほしいんですかって、言ったのかな?

「それでは、三人の予約を、四人に変更しておかないと」

店長さんはいそいそと携帯を取り出し、変更の電話をする。

これはつまり、旅行に一緒に行くってことで……

な、なんだ。やっぱり、聞き間違えたのか?

苺は気が抜けた。

ま、まあ、いいか……

まだまだこのまま一緒にいられるってことだよね?

温泉も一緒に行けることになったわけだし……

ほっとした一方で、胸の中はわけのわからない不安がむくむくと膨らむ。

この不安の根本的な原因を突きつめることに恐れを感じ、苺は考えるのを放棄した。

気づかないふりをしていれば、きっとしあわせでいられる。

それでも、胸は苦しかった。





   
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