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その3 意外や意外
「どうです? もう目は覚めましたか?」
朝食を前にして、店長さんが聞いてくる。
顔を洗ってきたのだが、まだ眠気が取れない。
「うーん、まだちょっと、ぼおっとしてるです」
「さあ、とにかく食べましょう」
「はーい」
目の前には、豪華な朝食が並んでいる。苺は眠気を払い、さっそく頂くことにする。
「一時間くらいで終わるつもりでいたんですが……つい夢中になってしまって」
店長さんが申し訳なさそうに言う。
実は、昨夜、お風呂から上がったところでテレビゲームに誘われたのだ。
十時半くらいだったから、一時間くらいという約束で……けど……
苺の得意なゲーム、店長さんはどんどん腕を上げていて、昨日はついに負けてしまった。
それからは五分五分の戦いになり、それはもう盛り上がっちゃって……
でも苺は、ゲームの最中に知らぬ間に寝てしまったようで、気づけばベッドの中で朝を迎えていた。
「ゲーム、やるなら今夜にすればよかったですね。それなら明日はお休みだから」
「ああ、そうだ。苺、今夜は私の屋敷で夕食を食べませんか?」
「別にいいですけど……」
「それなら、いまのうちに実家に電話してそのことをお伝え……ああ、苺、温泉のことも早目に伝えたほうがいいのではありませんか?」
おお、そうだったよ。早いとこ、知らせてやろう。
お父さん、温泉の予約できなくてすっごくがっかりしていたもんね。
店長さんが温泉の予約を取ってくれたことを伝えたら、大喜びするよ。
けどそれで、店長さんも一緒に行くことになったんだよね。
そのことも伝えておかないとね。
苺は口の中のものを呑み込み、さっそく携帯を取り出してかける。
お父さんに直接伝えたいとこだけど……
この時間は、もう出勤してしまったはずだ。
母の方は、パートなので、家を出る時間が遅い。
まだ家にいるはずだけど、ここは母の携帯にかけるとするか。
「苺、おはよう。なに、何かあったの?」
「うん。実はね、お母さん。朗報があるんだよ、朗報が」
「朗報?」
「むっふふぅ。温泉の予約が、取、れ、た、ん、だ、よ」
「はい? よ、予約が取れた? ほんとなの、苺?」
「うん。ほんとだよ。夕べ、あのあと爽に相談したら、知り合いの人のつツテで、なんとか予約が取れたんだよ」
簡単に取れたと言っては、ありがたみが減るので、ちょっと苦労を匂わせる。
「それでね、爽も一緒に行くことになったから」
「藤原さんも。あら、いいんじゃない。だいたい藤原さんが予約してくれたところなんだし、一緒に行ってもらった方が……ああ、それより場所はどこなのよ?」
「それは苺にはわかんないから、爽に代わるよ。はい、お願いします」
店長さんに携帯を差し出すと、店長さんは予約が取れた温泉の場所を母に伝えてくれる。
「それで、宏さんが構わなければ、私の車で……ええ、はい。もちろん構いません。あの節子さん、、私もご一緒させていただいて、本当によろしかったですか? 家族水入らずの方がよいということであれば、私はご遠慮しますが。……そうですか。ありがとうございます。……はい、それでは楽しみにしています。では、苺さんに代わりますので」
苺は話しを終えた店長さんから、携帯を受け取った。
「お母さん、お父さん、すっごいがっかりしてたし、早いとこ知らせてあげてね」
「わかったわ。ほんと助かったわ。やっぱり、藤原さんって、凄いわねぇ」
母はしきりに感心している。
「あの、それでさ。苺は今夜は、店長さんとご飯を食べることにになったから、夕食はいらないからね」
「あら、そうなの。わかったわ」
「うん、それじゃあね」
電話を切り、朝食に戻る。
母との会話で、取りついていた眠気も払えたようだった。
「あー、苺、もうお腹パンパンですよ」
店長さんとふたり、もう豪華すぎる夕ご飯だった。
善ちゃんは付きっきりで色々世話を焼いてくれ、ボスシェフの大平松さんも一度顔を出してくれた。
最後は、とどめのイチゴヨーグルト♪
大平松さんに感謝を伝えながら、美味しく味わった。
苺のお腹には、もうご飯ひと粒だって入らない状態だ。
「はふぁーっ」
お腹が満ちたせいか、眠気に襲われ、大きな欠伸が出てしまった。
「もう眠いんですか? まだ十時ですよ」
「うん? 苺の就寝時間は、もともと十時ですよぉ」
「お風呂は入れそうですか?」
そう聞かれた苺は、眉を寄せた。
「これからワンルームに帰るんですよね?」
確認を取るように聞いたら、店長さんが黙り込み、苺は眉を寄せた。
「店長さん?」
「言うのを忘れていたようです。今夜はここに泊まります」
「ええーっ!」
満腹なお腹をさすりながらソファにもたれかかっていた苺は、飛ぶように身を起こした。
「い、苺、帰るもんだと! 泊まる気なんてなかったから、着替えも持ってきてませんよ。どうして前もって言ってくれないんですかぁ」
「用意してありますよ」
「はい? 用意って……また店長さんのを借りるなんて嫌ですよ」
店長さんの黒パンツ借りて、どんだけ気まずく恥ずかしい思いをしたか……
靖代ちゃんと香子ちゃんに見られちゃって……
ああ、思い出しても顔に血がのぼってきそうだよ。
「私のではありませんよ。まだご飯をベ終えたばかりですし、もう少ししてからお風呂に入るといい。それまで寝ないように……そうだ苺、今度行く温泉近くの観光地をパソコンで検索してみませんか?」
「おっ、それはいい……って、ちょっと店長さん、話をすげ替えないでくださいよ。まだ着替えのことが解決してませんよ」
「ですから、ちゃんと用意してあるから心配しなくていいと言っているでしょう」
「どんなのが用意してあるっていうんですか? それを確認してからじゃないと、苺はここには泊まりませんよ」
苺は胸の前で腕を組み、店長さんをぐっと睨む。
「やれやれ……」
店長さんは呆れたように言い、善ちゃんを呼び付けた。
「はい。爽様」
「苺のために用意した寝間着を、こちらに持ってきてくれないか。苺が確認したいそうだ」
「はい、ただいま」
そう答えて部屋から引き下がった善ちゃんは、すぐに戻ってきた。
その手にはおしゃれな籠を持っていて、苺の前のテーブルに置いてくれる。
籠の中のものを取り上げて、広げた苺は目を見開いた。
意外や意外!
「わわっ! 超可愛い♪」
まるでお姫様のネグリジェのようじゃないか。
フリフリもたっぷりで、とんでもなく豪華なデザインだった。
「さあ、それで納得したでしょう?」
「は、はい。わあっ、今夜、こんな超可愛いネグリジェを着て寝られるなんて、嬉し過ぎですよ」
「では、納得できたところで、観光地の検索をしませんか?」
「はーい」
苺がネグリジェをカゴに戻すと、善ちゃんは一礼してすぐに持ち去ってしまった。
「あー、早くあのネグリジェを着たいなぁ。でも、観光地の検索もしたいしぃ……」
胸元で手を組んで身を捩りながら思わずそう口走ってしまったら、店長さんが愉快そうに笑い出した。
もちろん、咎めるつもりはない。
「さあ、店長さん、検索、検索♪」
苺は胸を弾ませて、店長さんを急かしたのだった。
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