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その6 じわじわと不安
「苺お嬢様、何をしておいでです?」
笑いを含んだ声が聞こえるが、ベッドに潜り込んだ苺は無視した。
目を覚ませー、目を覚ますんだ、苺ぉ。
自分に言い聞かせていたら、執事の店長さんが「やれやれ」と呆れた声を出す。
「貴女ときたら、これが夢だと、本気で思い込んでいるとは……」
「だって、夢ですよ。まあ、確かに現実っぽいけど……でも、この部屋が夢の証拠です!」
きっぱり言い切る。
「ですから、夢ではありませんよ」
すぐ近くでその声が聞こえ、苺はぎょっとして目を開けた。
執事の店長さんは、驚くほど顔を近づけて苺の顔を覗き込んでいて、苺はドキドキした。
苺が目を開けたことで、店長さんが顔を離してくれ、ほっとする。
「トランプでポーカーをして、賭けで私が負けた。私は執事になると約束したから、それを実行したのですよ」
苺は目を開けて執事の店長さんを見る。
「けど、寝て起きたら、部屋がこんな風に変わってるなんてありえませんよ」
「私の寝室がこんな風に変わるわけがないでしょう。寝ている貴女を、この部屋に運んできたに決まっているじゃありませんか」
「は、運んできた?」
店長さんはこくりと頷く。
つ、つまり、これは現実なわけ?
苺が勝ったから、負けた店長さんは執事になるという約束を果たし、苺はお嬢様?
なんか、苺、店長さんに嵌められた気がしてきたんだけど……
だって、執事になってかしずいてくれるっていうから、それを素直に受け取って楽しみにしてたんだけど……
考えてみたら、相手はこの王様気質の店長さんだ。
誰より自分が楽しもうとするに決まってる。
だからあんな子どもっぽいドレスを用意して、苺に着るように強制してくるし……
これじゃ、どっちが勝者かわからない。
まるで罰ゲームだよ。
執事の店長さんに、お嬢様お嬢様とかしずかれて、楽しませてもらえるもんだと思い込んでいたのに……
楽しませてもらえるのか、もうはなはだ疑わしくなってきたぞ。
楽しいのは、店長さんだけなんじゃないのか?
「さあ、苺お嬢様、納得されたのなら、さっさと起きて着替えてください」
執事の店長さんは、そう言うと、いまだ唖然としている苺をベッドから引きずり出そうとする。
「わわわっ!」
叫んでいる間に、苺はベッドから下りていた。
「もおっ、こ無理やりベッドから引っ張り出すなんて、乱暴すぎるですよ。だいたい、いまの店長さんは苺の執事さんのはずなのに」
苺はぷりぷりしながら文句を言ってやった。
なのに、執事の店長さんはまるで堪えない。
やっぱり、王様気質はそのまんまじゃないか!
「朝食を準備してくれている吉田も、ティールームで待ちくたびれてしまっているかもしれませんよ」
そ、それはいけない。
店長さんにはムカつくが、善ちゃんに罪はない。
「急いで着替えるですよ」
そう言ったら、執事の店長さんはさっと動き、壁にかけられていたドレスを手に取り、苺にさしだしてきた。
「では、五分で着替えをなさってください」
執事がお嬢様に向けて、偉そうに命令するってのは、いまいち納得いかないけど……そんなことより……
「ちょっと待ってくださいよ。まさか、これを着て、本当にエステに行くんですか?」
夢の中でも嫌なのに……
「もちろんですよ。貴女様はお嬢様なのですから」
「い、いや……お嬢様だからって、これはないんじゃないですか? いくらなんでも、子どもっぽすぎますよ。苺はハタチを越えた大人なんですよ!」
真面目に申し立てたら、執事の店長さんはさもおかしなことを聞いたといわんばかりに、ぷっと噴いた。
「なんで噴くんですか? 苺は面白いことなんて、一言も言ってないですよ!」
「も、申し訳、あ、ありません」
ぷぷぷと笑いを噴き続けつつ、謝罪をもらう。
ちっとも謝られている気がしない。
「とにかく、今日のところは、これしか着替えはご用意できません。裸で朝食を召し上がりたくないのであれば、これに着替えていただくしかございません」
きっぱり言うが、そんなことはない。
「苺が昨日着てた服でいいですよ。さっさとそれ出してくださいよ」
「あの服は、お嬢様には相応しくございません。申し訳ございませんが、お出しすることはできません」
「はあっ。もおっ、いいですよ。執事とお嬢様ごっこはお終いにします」
苺はきっぱりと言い渡した。
「何をおっしゃっているんです。それはできません」
執事の店長さんは、苺以上にきっぱりと言う。
「ええっ! どうしてですか? 苺がポーカーの勝者なんですよ。苺にはやめる権利があるでしょう?」
「中止は絶対にありえません。お嬢様には、最後までお付き合いいただきます」
断固としていう。
これは絶対に引き下がってくれそうにない。
「最後って、いつまでなんですか? 今日の夕方ですか?」
そうせっついたら、急に執事の店長さんがうなだれた。
えっ?
「楽しんで……いただけると、思ったのに……」
がっくりと肩を落とし、哀しそうな目をする。
「う」
罪悪感がむくむく膨らんでくる。
「吉田もスタッフたちも……苺お嬢様に喜んでいただこうと、身を粉にして働き、これほどの準備を整えてくれたというのに……貴女に喜んでいただけないのでは……私は、彼らに合わせる顔がありません……」
辛そうに言い、執事の店長さんは苺からそっと顔を背ける。
さらに、スーツのポケットから真っ白なハンカチを取り出して、そっと目尻に当てた。
こ、これ、演技だよね?
そうだよ、絶対演技だよ!
そう思うのに、罪悪感が半端なく膨らんでゆく。
「わ、わかったですよ。そのドレス着ますよ。それでいいんでしょう?」
苺はやけくそで叫んだ。
「よろしいのですか?」
執事の店長さんは、奥ゆかしく聞き返しながら、苺にドレスを手渡してくる。
苺は仕方なく受け取った。
「では、お嬢様が着替えをなさる間、私はドアの外で待っておりますので、着替えを終えられたら、お声をおかけくださいませ」
畏まってお辞儀をした執事の店長さんは、すっと頭を上げ、満足そうに微笑んだ。
その顔に、さきほどまでの奥ゆかしさは微塵もない。
やっぱ、演技だったんだよなぁ。でも、演技とわかっていても、あんな顔されると……我を張っていられなくなるんだよね。
「では、苺お嬢様。この機会に、執事の私を、思う存分堪能していただきたく思います」
凛々しい顔で宣言し、執事の店長さんは颯爽として部屋から出て行った。
一人残された苺は、手にしている子どもっぽいドレスを見つめた。
じわじわと不安にとりつかれながら、苺はがっくりと肩を落としたのだった。
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