苺パニック

第1章 [下っ端店員戸惑い編]



第0話 昼下がりのお誘い 〜爽〜



気品溢れる調度がさりげなく置かれた高級感溢れる部屋に、本のページをめくる微かな音……

巧妙な彫刻が施された、座り心地の良い椅子に座り、分厚い書物を熱心に読んでいるのは、この家の主である藤原爽だ。

そして、彼の心地よい空間を、いまにも破らんとする大仰な足音は、すぐそこまで近づいていた。


爽はふと顔を上げた。

足音が聞こえるな……

どうやら、こっちに向かってきているようだ。

そう考えているうちに、足音はどんどん大きくなっていく。

羽歌乃さんか? 今日はいったい、どんな厄介事を持ち込んできたんだろうな?

彼がシニカルな笑みを浮かべた瞬間、ドアがコンコンとノックされる。そして、彼が返事をする前にドアが開いた。

「爽さん、いまよろしい?」

よろしいもなにも、すでに部屋に突入しておられるのだが。

この傍若無人な婦人は、爽の祖母、藤原羽歌乃である。

「いらっしゃい」

彼が声をかけたときには、羽歌乃は早くも真向かいのソファに腰かけていた。

まあ、これもいつものこと。

「今日はお誘いに来たの」

そう言って、羽歌乃はしたり顔で見つめてくる。どんな誘いなのかについて問いかけてもらたいらしい。

もちろん、相手の期待に素直に応える性格は持ち合わせていない。

無表情で見つめ返していると、羽歌乃は露骨にむっとしたが、仕方がないわねぇというように「場所はここ」と言う。

「は?」

羽歌乃の言葉を訝しく思った爽は、思わず反射的に口から飛び出てしまった。

誘いと言いながら、なぜ場所がここなのだ?

ここは私の屋敷であって、羽歌乃さんの屋敷ではない。

「日曜日の十一時から。料理なんかの手配は、わたしと善一とでやっておくから、爽さんは何もしなくていいわ」

爽は祖母に呆れた。何もしなくていいという言葉に、乾いた笑いが込み上げる。

自分の屋敷の昼食に、自分が誘われるというのは、どう考えてもおかしい。
祖母の屋敷の昼食に爽が招かれるというのならわかるが。

「はい、これ」

祖母は、なにやらよくわからない、こげ茶色のファイルをテーブルに置いた。

「羽歌乃さん、これは?」

「それじゃあ、約束したわよ」

爽の問いには答えず、話は終わったとばかりに、羽歌乃はさっと立ち上がった。

「ちょっと待ってください」

呼び止めたが、すでに羽歌乃はドアノブに手をかけており、振り返ることなくそのまま部屋から出ていった。

遠のいていく足音を聞きながら、爽は顔をしかめた。

まったく、羽歌乃さんときたら……

私の声は間違いなく耳に入っていただろうに……返事もせずに出ていってしまうとは。

顔をしかめた爽は、祖母の置き土産を見つめ、手で触れようとして取りやめた。見ないほうが良い気がする。

爽はテーブルの上にある電話機のボタンを押した。

「はい。爽様」

礼儀正しい声が応える。この屋敷の執事頭である吉田善一だ。

普通、来客があった場合、吉田から必ず知らせが入るのだが……祖母の羽歌乃だけは例外だ。

爽と羽歌乃は、別々の屋敷に住んでいるものの、同じ家に住む家族と同じ感覚で、出入り自由なのだ。

爽の屋敷のスタッフも、そのように認識している。

だから、先ほどのように、羽歌乃は好きなときにやってきて、ずかずかと屋敷内を闊歩し、気が済んだら勝手に帰っていく。

それにしても、今度は、いったいどんなことを企んでいるのか?

どうせろくでもないことだろうが、これも祖母からの挑戦であれば……

爽は、ふっと笑った。

「あのひとは何をやるつもりだ?」

「大奥様の言葉をそのままにお伝えしますれば、『ちょっとした催し』ということでございました」

「ふーん。で、その催しを、お前はどう解釈している?」

「昼食会と」

「人数は?」

「爽様を入れまして、五人」

「誰が来るかは?」

「存じません」

その口ぶりで、どういった種類の客なのか、容易に推察できる。三人の客人は、若い女性ばかりなんだろう。もちろん未婚の……

爽は、こげ茶色のファイルを手に取り捲ってみた。やはり若い女性の写真だ。みな美しく着飾り、やさしげな笑みを浮かべている。二枚目、三枚目と捲って確認し、ファイルを閉じる。

「わかった。吉田、ありがとう」

爽は話を打ち切り、受話器を元に戻して椅子に深く座った。

日曜日か……

彼の仕事休みは月、木だ。それ以外は、彼が経営している店舗のひとつである「ジュエリーFujiwara」に出勤している。

もちろん祖母は、爽のスケジュールを知っている。だが、他のスタッフに代りに出勤させ、彼は休めばいいと考えているのだ。

けれど、爽には爽のルールがある。

それに、いまは絶対に土日は休みたくない理由があるのだ。

今週は、やって来るだろうか……?

爽は膝の上に置いていた分厚いファイルを手に取りながら、心の中で呟いた。





  
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