苺パニック

第1章 [下っ端店員戸惑い編]



第5話 これって何? な面接



苺は自分の前を歩いていく背の高い男性を、恐れの目で見つめた。

彼の右手は、苺が書いた履歴書を握っている。

それは違うんです!

そう言いたいが、口を挟める隙がないというか……

「さあ、どうぞ」

背のすらりとした店員さんは、店の奥の白いドアを開けて、苺が入るのを待っている。

「あ、あのっ……その……」

あわあわしすぎて、言葉が出てこない。

ドアの前で動かない苺の背にソフトに手をかけ、店員さんは彼女の身体を中へと押し込んだ。

店の奥の部屋は、なんだか店内とは別世界のようだった。

広さはさほどないが、素敵なテーブルと椅子が置かれ、洋画とかで観たことのある洒落た客間のような雰囲気の部屋だ。

「では、そこに座ってください」

店員の言葉に、苺は浮き足立ったまま椅子に浅く腰掛けた。

封書から、苺の履歴書が取り出されるのを見つめている間に、心臓がバクバクしはじめる。

き、緊張するぅぅぅ。

それにしても、このひと、なんか、めったやたらかっこいいひとだぁ〜。

こんなひと、現実にいるんだ。

真美さんは、兄貴ほど素敵な人はいないと思っているようだが…この人を見たら、兄貴は危機に陥るかもしれない。

苺は相手の手に魅入った。

男のひとなのに、驚くほど綺麗な手をしている。

指は長いし……

その指が動くさまは、なんともいえない色気があって…

「鈴木苺さん」

「は、はいっ」

瞳を桃色に染めて、店員さんの手に見惚れていた苺は、バツの悪さにぴょこんと飛び上がりつつ、姿勢を正した。

店員さんの口元が、かすかだがピクピクと動いた。

わ、笑われちゃったよ……

苺は頬を真っ赤に染めて俯き、テーブルを見つめた。

「専門学校を卒業されて、いまはこの会社にお勤めされているわけですか?」

「は、はい。アルバイト……なんですけど……」

「アルバイト?」

「はい。その……正社員では、なかなか雇ってもらえなくて」

「そうですか。いまの仕事は? すぐに辞められるのですか?」

「せ、正社員で雇っていただけるところがあったら、いつでも辞めるで、ま、ます」

うっ、わあっ、噛んじゃったよ。

「いまの仕事に不満が?」

「いえ」

苺は顔の前で手を横に振った。

「仕事は気に入ってるんです。お菓子の箱を作ってる工場で……綺麗な紙をハサミで切ったりとか……まるで工作の時間みたいな仕事で、楽しいんです」

「……宝石には興味がおありですか?」

苺が言葉を言い終え、何秒か沈黙が落ちたあと、店員さんはそう質問してきた。

彼女は、この面接の失敗を悟った。

辞める仕事を絶賛しちゃうなんて……

苺、ば、ばかだぁ。

「あ、あのっ」

なんとかしてこの失敗を取り返さなきゃと思うのだが、パニックにかられた頭は真っ白で、ちっとも言葉が出てこない。

「そのネックレスは、ここでお買い上げいただいたものですね」

その言葉に、苺はネックレスの恩恵を思い出した。

そ、そうだった!

いまの苺には、このラッキーアイテムがある。

「は、はい。宝石にはあまり興味なくて、やっぱり高いし……で、でもですね、ここの三千円均一なら買えるなって」

苺は思わずにっこりと笑った。

「これつけてると、ウキウキするんです。なんかわかんないんですけど、元気をもらえるんです」

「それは嬉しいですね」

そ、そうですか?」

「ええ」

貴族っぽい店員さんの微笑みには、ちょっと苦味が含まれていて、苺のハートをときめかせた。

ビターチョコみたい。

それに、このひと、男のひとなのに、驚くほど綺麗な手をしてる。

指も長くて……その指が動くさまは、なんともいえない色気があって……

「土日祝日も、仕事をしていただけますか?」

指を凝視していた苺は、その質問にハッと顔を上げ、あたふたと姿勢を正した。

「は、はい。もちろんしていただけ……い、いえ、するで……し、します。できます」

焦って言葉を言い間違えてしまい、さらに墓穴を掘りまくり、苺は顔をしかめた。

敬語をうまく使えないことは、よく指摘される。だが、うまいことしゃべろうと思えば思うほど、おかしなことになるのだ。

「そうですか。……しばらくは準社員として働いていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

貴族っぽい店員さんは、どうしてか申し訳なさそうに言うが、苺はただただ驚いた。

そ、それって……敬語が使えないせいで、この面接も不合格だと思っていたのに……

採用? 面接、合格? 合格なの?

「は、はい〜っ」

ついつい、声が裏返る。

お、おちつけ〜、おちつけぇ、苺ぉ〜。

「給料のほうは月に二十五万。ボーナスは夏と冬、それぞれ二ヵ月分程度ということで」

苺はその説明に目を丸くした。いや、冗談でなく、目玉が飛び出たかもしれない。ボーナスの言葉に、心が舞い上がる。

ボ、ボーナス! ボーナス! な〜んていい響きなの。

頭の中で、八分音符がぴょこぴょこ跳ね回る。

給料の二か月分ということは……一回、ご、ご、ごじゅう……まん? まっ、まじでぇ?

「住居も、この近くの物件を提供できますが」

「はいっ? じゅ、じゅうきょ?」

意味がわからず、苺は目をパチパチさせた。

「賃貸のアパートですよ。こちらが提供する住居であれば、私のほうで賃貸契約をし、家賃もこちらで振り込みますが」

もう絶対、苺の目玉は飛び出たに違いない。びっくり仰天、ゴボウ天。

「そ、そんなおいしい話、あるですか?」

あまりに突飛な話に、思わず飛びつくように口にしてしまう。

「は?」

高貴で貴族っぽい店員さんは、呆気にとられていたが、その直後、上体をねじって口元に手を当て、くっくっくっと笑い出した。

おいしい話という表現は、そんなにもおかしかったのか?

「おいしい話、受けますか?」

改めて真面目な口調で尋ねてきた店員さんだが、その目元には、楽しそうなからかいの色が浮かんでいた。

その反応を見た苺は、上品すぎて気後れしてしまっていた店員さんに対して、ちょっぴり親しみを感じた。

「う、受けたいです。よろしくお願いしますです」

「鈴木さん」

「は、はい」

「明日から、というのは無理ですか?」

「あ、明日ですか?」

「ええ。午前中にバイト先は辞職されて、午後から」

「ははぁ」

あまりにもおいしい話に、呆けた返事をしてしまう。

「午後からが無理でしたら、ここに連絡してください」

店員さんが差し出してきた名刺を苺は受け取った。

「それから、休みは月曜日と木曜日になります。ただ、今週だけは金曜日ということで、構いませんか?」

「はい。ぜんぜんそれで構わないです」

「住居は、間取りとか希望がありますか?」

受け取った名刺を見ようとしたが、そう問われて反射的に顔を上げる。

「ワ、ワ、ワンルームでお願いしますっ」

声をうわずらながらも右手をさっと上げ、苺は元気よく答えた。

「ワンルーム……ですか?」

「はいっ」

苺は心を躍らせながら頷いた。

「鈴木さん」

「はい」

「笑って」

不意をつかれ、苺はぽかんとした。

「笑ってみてください」

笑みを浮かべ、店員さんは重ねて言う。

こ、これは、営業スマイルの練習というやつか? よ、よしっ。ここは思い切って、精一杯の営業スマイルを……

苺は、にはっと笑った。

そのとき、細くて綺麗な指が伸びてきて、その指先が苺のえくぼのくぼみにつっこまれた。

こ、これって、何?

パニックに駆られ、苺は目を泳がせた。

「申し遅れましたが、私はこの店の店長で、藤原と申します」

ありえない行動に出ておきながら、実にさわやかな笑みを浮かべて彼は自己紹介する。

こ、このひと、店長さんだったのか……

しかし、なんでいま、苺はほっぺたをつつかれたんだ?

「では、鈴木さん、これからよろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いするです」

立ち上がった店長さんを見て、苺も慌てて立ち上がり、彼女はクエスチョンマークを浮かべたまま、ぺこぺこと頭を下げたのだった。





   
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