苺パニック

第1章 [下っ端店員戸惑い編]



第6話 緊急避難 〜爽〜



「そ、それじゃ、あ、あの、これで」

店頭まで一緒についていった爽に、彼女はぺこんと頭を下げる。

「ええ。明日の午後、お待ちしていますよ」

そう口にしてしまい眉を寄せる。いまの言葉、雇い主としては適切ではなかったか。

それでも、私にとって、この鈴木苺は……単なる従業員ではないからな。他の者達とは態度や言葉遣いが違うものになるのは致し方ないだろう。

ぺこぺこと繰り返し頭を下げた苺は、くるりと背を向けた途端、全速力で走り去っていった。

呆気けにとられた爽は、彼女の姿が視界から消え、ようやく我に返った。

面白い!

心の中で叫ぶ。

これは、パンダよりランクが上だな。突飛な行動が、私の興味を際限なくかき立ててくる。たかが面接が、こんなにも楽しいなんて。

面接中のことが思い出され、噴き出しそうになる。

自分の提示する雇用条件に、彼女ときたら、いちいちびっくり顔をするのだからな。

作り物ではない驚き、純粋な反応……なんというのか……心地いい。

それにしても、あの片えくぼ……あれは反則だな。あんなものを隠し持っていたとは思わなかった。

笑顔になった途端、出現したえくぼに、してやられた気がする。

あー、明日からが楽しみだ。早く明日になればいいのに。

胸が弾むという現象を愉快な気分で味わいながら、爽は踵を返した。

そのままスタッフルームに戻ろうとした彼は、要が自分を見ていることに気づいた。

目が合った瞬間、要はスマートに軽く頭を下げる。

こいつ……

冴えない彼女……鈴木苺が現れてからいまに至るまで、爽は彼女に気を取られ、他のことはすべて意識から消えていた。

彼女に声をかけ、履歴書を拾い、スタッフルームで面接をしたわけだが……

要は、爽とは違う意味で、これは面白いことになったと思っているに違いない。

爽は要に歩み寄っていった。来ることがわかっていたように、要は爽を迎える。

「来い」

足を止めずに声をかけ、ふたりはスタッフルームに向かう。

テーブルの上の履歴書を取り上げた爽は、要に向けて口を開いた。

「準社員として雇うことにした」

事務的に伝えた爽はデスクチェアに腰かける。

「そうですか」

「明日の午前中までに社員証と必要書類を揃えておいてくれ。彼女は明日の午後、来ることになっている」

「了解しました。では、明日の月曜日は、爽様も午後にはこちらにいらっしゃる。……ということですね?」

意味深な口調の要に内心むっとしつつも、爽は平静を装って「ああ」と答えた。

「仕事に戻ってくれ」

ノートパソコンを起動しながら要に命じる。

「爽様」

「なんだ?」

「準社員として雇われた、とのことですが……」

要は首を傾げながら口にする。

「それが?」

「あの方に対して、我々藤原カンパニーのスタッフは、今後どのように対応すればよろしいのでしょうか?」

即座に返答できなかった。澄ました顔で爽の返事を待ち続けている要に、苛立ちが湧く。

「彼女は……」

そう口にしたものの、なんと答えて良いものかわからず口ごもる。

要は軽く頷き、続きを待っている。

「だからこの店の準社員だ。お前と怜をのぞく他のスタッフとは別物だ」

「つまり……それは……この店の、店長というお立場の爽様の部下であり、私や怜と並ぶ位置付けと、受け止めればよろしいのでしょうか?」

要や怜と並ぶ位置付けとは、藤原カンパニーを統括している爽の直属の部下ということ。だが実際に、鈴木苺をそんな大層な地位に据えるわけではない。

「ああ、それでいい。それから言うまでもないだろうが……彼女の指導は、私が行う」

「わかりました」

要は頭を下げ、爽の前から下がろうとしたが、「爽様」と再び声をかけてきた。

「お名前を、お聞きしておきたいのですが」

「鈴木苺だ」

要は小さく頷いたあと、少し考えてから、「鈴木さん、と呼ばせていただこうと思いますが」と言う。

「ああ、それでいい」

「では」

頭を下げて要が店に戻ったのを確認し、爽はふっと息を吐いた。
有能なやつだが……それ以上に厄介なやつだ。

とはいっても、その厄介さが気に入っているのだが……。おとなしく、言いなりになっているだけの部下では、つまらない。

口元に笑みを浮かべた爽は、パソコンのキーを素早く叩き、彼の所有している物件の中から、彼女に提供する住まいを探し始めた。

このショッピングセンターにほど近い、アパートかマンションというと、だいぶ数が限られるし、空室となればなおさら少ない。

彼女はワンルームが希望と言っていたが、ワンルームに空きはなかった。

2LDKしかないが……広いぶんには文句は言わないだろう。

突然、胸ポケットの中で、ビーッビーッという警告音が鳴り始めた。

即座に立ちあがった爽は、ノートパソコンを閉じて脇に抱え、スタッフルームの裏口から飛び出した。

この警告音は、緊急を知らせるためのものだ。

要か怜が、爽とすぐに連絡を取りたいときなどにも使用されるが……。

今回は、まず間違いなく、祖母がやって来たのに違いない。

祖母が勝手に計画した、昼食会という名の見合いを無視したことに対して、文句を言うために。

店頭に出ていなくてよかった。

爽はほっとしつつ、従業員専用通路を通り、外に出た。

羽歌乃が来てしまった以上、このままショッピングセンターの中にいるのは危険だ。爽を探してショッピングセンターの中を見て回るかもしれない。だが、こういうときの避難場所は確保してあるから、なんの問題もない。

避難場所であるマンションは、ショッピングセンターから車ですぐだ。

パソコンも持ってきたし、仕事に支障はない。

マンションに到着し、部屋に入った爽は、まずはティータイムにしようと、紅茶の準備を始めたのだった。





   
inserted by FC2 system