|
第9話 大人な気分 ~苺~
目の前の鱈の野菜あんかけは、とってもおいしそうだ。ピーマンともやしが、誰よりもたっぷり載せられていることに苺はにんまりしていた。
家族のみんなは思ったとおり、ショッピングセンターに行った苺が、自転車を忘れて歩いて帰ってきて、また歩いて取りに戻ったマヌケ話で盛り上がっている。
いつもならば、むくれるところだが……いまの苺は自分の失敗談も笑い飛ばせてしまうのだ。
みんなと一緒にケラケラ笑っている苺を見て、健太が変な顔をしているのが、また笑える。
就職が決まったことを話そうと思うのだが、どうにもきっかけが掴めない。
再度確かめに行ったことで、宝飾店にお勤めすることは現実なのだと自信を持てていたが、やはり職種がひっかかるというか……
宝飾店の店員などというものが、はたして苺に務まるのか……自信が持てない。
そのせいで、ひどく不安になってきたのだ。すぐに役立たずの烙印を押されて、辞めろ、などと言われたら、目も当てられない。
ワンルームに引っ越すのは、クビにならずに済みそうだと、見通しが立ってからのほうがいいのかも。
苺はため息をついた。
「どうしたのよ?」
母親から右肩をくいくいっと押され、苺は顔を上げた。
「なあに?」
「らしくなく、ため息なんてつくんじゃないの」
母は眉を寄せ、叱るように言う。苺はむっとした。
ため息ついたくらいで、なんでお小言なんか、もらわにゃならんのだ。
「苺も、苺なりに、人生ってもんを考えてるんだろう」
思いやるように父が言ってくれたというのに、健太は鼻で笑う。
「就職が有利になるからって専門学校に通ったのに、スリーシーズン過ぎ去ろうとしてるいまになっても、いまだ定職につけずじゃ、いちごう、そりゃため息も出るか?」
こ、こいつめぇ、痛快そうに言いやがって!
苺は目を吊り上げて兄を睨んだ。
「仕事見つかったもん!」
勢いそのままに叫んでしまい、苺は顔をしかめた。
し、しまったぁ!
まだ言うつもりなかったのにぃ。
「見つかった?」
家族四人の目が、苺に集まる。
「苺? ほんとに見つかったの?」
「う、うん。まあね。今日、面接受けたの」
苺はうつむきながら、ぼそぼそと答えた。
たまたま履歴書を落として思いがけず……というやつだが。
「そんなこと、あんた、なんにも言ってなかったじゃないの」
「不合格だったら、顔向けできないと思ったんだろう」
父が口添えしてくれる。
「それで? いちごう、今日面接して、もう合格の返事もらったのか?」
「う、うん。明日からって言われた」
「どこの会社? ここから近いの?」
「会社とかじゃなくて、ショッピングセンターの……」
「ショッピングセンター? おい、いちごう、お前、もしかしていま働いているところ、辞めさせられたんじゃないのか?」
眉を寄せて健太がそんなことを言い出し、苺は顔をしかめた。
「な、なんでよ? 苺は辞めさせられてなんかいないよ」
そう口にしたとき、苺はいまになってようやく、『そ、そうか、いまのバイト、明日辞めなきゃならないんだ』と自覚した。
「それじゃ、なんで仕事を替えるんだ。いまんとこ、辞めたいほど嫌なやつでもいたのか?」
「そんなひといないよ」
苺は頬を膨らませて言った。
バイト先のおばさんたちは、みーんなみーんな、いいひとばっかりだ。
「そ、そういうんじゃなくて……」
そっか、苺、おばさんたちとお別れしなくちゃならないんだ。
胸が疼き出し、なんともいえない気持ちに囚われる。
「だって、みんな、社員になれ、定職につけって言ってたじゃん。バイトじゃなくて……」
「社員なのか?」
苺は顔を歪めた。残念ながら正社員ではないが……
「じゅ、準社員だけど……。まずは、ってことなんだよ。頑張ったら、正社員にしてくれるの」
「あっらあ~、どうやらほんとみたいじゃないの」
母の言葉に苺はカチンときた。
「苺、嘘ついたりしないよっ!」
母は、娘の憤りを華麗に無視した。
「よかったじゃないの。なら、雇用保険もあるのね?」
「も、もちろんだよ。準とはいえ、社員なんだからさ」
ボーナスだってあるのだ。それも二ヶ月分だぞ!
「よかったじゃないか。苺、準社員から正社員になれるように頑張れ、なっ」
やさしい父の励ましに、苺は笑みを浮かべて頷いた。
給料二十五万や、ボーナス二ヶ月分の話もドバーンと披露して、ぐいっと胸を張って自慢してやりたいところだったが我慢した。
あまりの好条件ゆえに、お前、騙されてるんじゃないのか? なんて、ちゃちゃを入れられそうだし。
それにワンルームの部屋にタダで住めるなんてつけ加えた日にゃ、『この世の中、そんなうまい話が転がってるわけないだろ!』と頭ごなしに怒鳴られそうだ。
母とふたりで夕食の片づけを終えた苺は、今日の自分へのご褒美に、冷蔵庫を開けてイチゴヨーグルトを探したが、どこにもない。
そ、そうだった。
買ってくるつもりが……色々あったせいで、買い忘れちゃったんだ。
あ~ん、苺の馬鹿ぁ!
「苺、冷蔵庫開けっ放しにしないの」
母の叱責に、苺は慌てて冷蔵庫を閉めた。
「だって……」
「だってじゃない!」
反論できなかったがむしゃくしゃが込み上げてきて、苺はほっぺたを膨らませ、一気に二階まで駆け上がった。
あー、早くワンルームに住みたいなぁ。
そしたら、冷蔵庫をいくら開けてたって、誰からも文句言われないもんね。
部屋に入った苺は、あっという間に機嫌を直し、自分の部屋の中をスキップしながらくるくる回った。
いまや未来は、眩しいほどに輝いている。
スキップを続けながら、脳内でワンルームを飾り立て始める。
淡いピンクのカーテンとラグ……
家具はできれば白で統一。
冷蔵庫に電子レンジ。あと、洗濯機に乾燥機、えーとあとはぁ?
そうそう、もちろんテレビも。
大型でなくてもいい、ちっちゃいので。
くっふふう。
苺専用テレビかぁ~。
それからそれから……
そうだ、ここにある漫画も、全部持ってゆかなくちゃね。
置いていったりしたら、お母さん、すぐ、リサイクルに出しそうだもんなぁ。
電気代とか、ガス代とかも、ひとり暮らしになったら、全部自分で払わなきゃならないんだよね。
「たーいへん!」
苺は内心にやにやしながら、しかめっ面で叫ぶ。なんか突然、自分が大人な気がしてきた。
うきゃー、苺ってば、マジで大人の仲間入りだよ。
「にっしっし」
苺は、にやけ顔で、自分の部屋を見回した。
この部屋、苺がいなくなったら、いずれ兄夫婦の子ども部屋になるんだろう。
なんだか寂しさが湧いたが、同時に誇らしさも感じて、苺はくいっと顔を上げた。
「大人になるというのは、つまりは、そういうことなのだよ、苺君」
|
|