苺パニック

文庫版「苺パニック」刊行記念 特別番外編

藍原要視点


『望む主君を』


分厚い書類に目を通し終え、藍原要は小さく息を吐いた。

事業は順調だが……つまらない。

彼は、とある会社の社長秘書をしている。

だが、いまの社長はまるきり仕え甲斐がない。

私に頼り切りなのだからな。

社長という立場を、彼はまるで理解できていない。

以前勤めていた会社を要が辞めたのも、実は同じ理由からだった。

正直、投資で充分なほど稼いでいるので、経済的に困ってはいない。

いまの仕事に就いたのは、傾いた事業を立て直すことにやりがいを感じられそうだったからだ。

だが、もう事業は持ち直した。

大変な時期は過ぎてしまい、退屈の比重が日々大きくなっていく。

「辞めるか……」

そう呟いた瞬間、心が決まる。

要はデスクの引き出しから、必要なファイルを全部取り出し、机にうず高く積んだ。

辞表を提出する前に、引き継ぎがスムーズに行くよう、書類を作成するとしよう。





「藍原君、な、なんだね、これは?」

なんだね、これは? と聞く必要もなく、封書には『辞表』と書いてあるのだが……

「……辞表ですが」

「そ、それは見ればわかるが……ど、どうしてだ? 君のおかげでようやく事業も軌道に乗って、問題なく順調に進んでいるじゃないか」

その通りだ。

だから辞めるのだ。

退屈だから。

「順調であるがゆえに、私はもうこちらには必要ないと判断致しました。では、失礼します」

お世話になりました、とは、全面的に世話をした立場の要が言う必要はないだろう。

「ちょ、ちょっと待ちたまえ、藍原君! 君に辞められたら、また立ちいかなくなるかもしれない」

「私に辞められたら立ちいかなくなるなんて、情ないことを言うような貴方だから、私は辞めたくなったのですよ。私以上に頑張るべきだ。貴方は社長なのだから」

苦言を呈するつもりはなく、思ったまま口にしたのだが、社長は苦い薬を呑んだような顔をし、黙り込んだ。

「もう何をおっしゃったところで、私の気持ちは変わりません。では」

踵を返し、要はさっさと社長室を出た。

それから三ヶ月後、自宅の縁側に座り、抹茶と和菓子をいただきながら、要は思案に暮れていた。

独り暮らしの要の住まいは、素朴な和風の家だ。

古い家屋を買い取って住めるように手を入れた。

家事は苦にならないし、独り暮らしは気楽でいい。

会社を辞めてからしばらくは、海外で羽根を延ばしたりして有意義に過ごしてきたが、もうそれにも飽きてきた。

私の能力を最大までいかせる、やりがいのある仕事はないものかな?

事業の案はいくらでも思いつくのだが……

自分で事業を起こして社長職に就くか……

うーむ。

そのとき、バイクの音が聞こえてきた。

垣根の向こう側に目をやると、顔見知りのと郵便局員がバイクに乗ってやってくる。

「藍原さん、今日もたっぷり届いてますよ」

笑いながら大量の郵便物を見せてくる。

要は下駄を履いて縁側を下り、垣根越しに郵便物を受け取った。

「ご苦労様です」

「それにしても、相変らず粋ですねぇ」

「うん?」

「藍原さんほど和装の似合う男は、そうそういませんよ」

「和服を着る男が少ないからな。だが、和装のほうが身体にしっくりくるんだ」

「現代のお侍ですよ、藍原さんは」

お侍ねぇ。仕える主君のいない牢人というやつだな。

バイクが去って行く音を聞きつつ、郵便物を確認する。

「うん、これは?」

気になる郵便物を見つけ、要は手に取って眺めた。

毛筆を使い、達筆な字で宛名が書いてある。

ひっくり返して見たら、吉田善一と名があった。

覚えがないな。

いったい誰だろう?

縁側まで戻り、座って開封し、便箋を取り出す。

宛名同様に達筆な文字が並んでいた。

要のこれまでのキャリアを見込んで、是非会って話がしたいとのことだった。

吉田は、藤原財閥の筆頭執事らしい。

こんな完璧な文字の書ける人物なら、会ってみてもいい。

どんな話を聞かせてもらえるのか興味も湧いた。

そんなわけで、三日後、要は藤原家の屋敷を訪問していた。

吉田本人が外で待ち受けていて丁重に出迎えてくれたが、正面玄関は使わず、従業員専用の玄関から中に入る。

さらに通された部屋は、吉田の自室のようだった。

この屋敷の主人に招かれたわけではないからだろう。

お茶と茶菓子でもてなしてくれた吉田は、用件に入る前に、藤原家の事情を大まかに語って聞かせてくれた。

藤原家の当主は羽歌乃という婦人であること。いまのところ、その婦人がほとんどの事業を取り仕切っているとのことだった。

さらに、羽歌乃には爽という孫がいて、彼は海外の大学を飛び級して卒業し、いまは自分で興した複数の事業を手掛けているという。

「藍原さん、一度、爽様と会っていだたけませんか?」

「それはどういった意味で?」

突っ込んで問うと、吉田は困ったような顔をする。

「私は貴方の能力を高く評価しています。爽様の片腕として、貴方以上の適任者はいないと思っています。ですが、爽様がそう思われないことには……それは藍原さん、貴方も同じではありませんか?」

要は納得して頷いた。

藤原爽か……

どんな人物なのか、それなりに興味が湧く。

会ってみるのも悪くないか。

「お会いできるんですか? それはいつです?」

「爽様次第、ということになります」

その言葉で、要は自分の立ち位置を改めて自覚することとなった。

爽という名の要より年下の男は、この話がまとまれば、要が仕える主君となるのだ。

つまり、爽は要の主。要は部下となる。

年下か……

飛び級で卒業し、若い身空でいくつかの事業を手掛けているということは、才覚はあるのだろう。

「いま、彼には、片腕というような立場の人物はいないんですか?」

「おりました。ですが、みな辞めていきました」

「どういう理由で?」

「爽様が役に立たないと……いても邪魔なだけだと申されまして」

ふむ。

「わかりました。お会いできる日時が決まったら、連絡をください。指定された日時に参りましょう」

そう言うと、吉田はほっとしたような表情になり、嬉しそうに頷いた。

それからしばらく吉田とたわいのない会話を楽しみ、要は藤原の屋敷を辞去した。





藤原の跡取りと会うことになったのは、その一週間後だった。

爽が手掛けている事業のひとつである、店舗のほうに来て欲しいとの連絡をもらい、要は出掛けて行った。

輸入雑貨の店だった。

スーツ姿のすらりとした男が出迎えてくれた。

まだ二十代前半だ。なのに若造という印象はまったくない。

不思議な雰囲気をまとった男だな。

「藍原要さんですね?」

「はい」

「藤原爽です」

丁寧に頭を下げられ、少し意外に思う。

高慢ちきな小僧を想像していた。

「初めまして、藍原です」

店の奥に連れて行かれ、スタッフルームに通された。

店舗には、爽の他に、ふたりの男性の店員がいた。

どちらも爽と同じくらい若いようだ。

教育が行き届いているのが、ひと目でわかる。

どうぞと椅子を勧められ、座らせてもらう。

まだ主従関係にはない。

彼を主のように接する必要はないし、遠慮も必要ないだろう。

驚いたことに、爽自身が淹れた紅茶でもてなされた。

飲んでみると、文句なく美味い。

茶葉も高級だとわかるが、それだけではないこだわりが生かされている。

「美味しい」

思わず称賛するような声が漏れてしまう。

「ありがとうございます」

爽のその言葉は、要をとても驚かせた。

自分の淹れたお茶を褒められた、純粋な喜びが込められていたからだ。

「藤原さん、ひとつ質問させていただいてもよろしいですか?」

「ええ。何を聞きたいんですか?」

「上に立つ者に必要なものは、なんだとお考えですか?」

「見極めですね。部下の能力を見極め、最大まで開花させる」

「貴方はそれができると?」

「その問いに私が答える必要はないでしょう。答えは貴方が出せばいい」

「うまいことをおっしゃる」

「藍原要さん、明日から来ていただけますか? そのお気持ちがあるのであれば、これから契約を取り交わしましょう」

それが藤原爽と要の出会いとなった。

要は望む主君を手に入れ、退屈とは無縁の生活を送ることとなった。






プチあとがき

「苺パニック」文庫の第1巻が刊行された記念に、藍原要視点を掲載させていただきました。

実はこれ、文庫本のほうに収録されることになる書き下ろしとして書いたんですが、そちらは苺か爽の視点がいいということで、刊行記念として、サイトのほうに掲載させていただくことにしました。

自分ではかなり、お気に入りです。笑

楽しんでいただけたなら嬉しいです♪

fuu(2015/1/13)



  
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