書籍
苺パニック2

[イチゴサンタ編]
 P106の部分です。


「失敗は笑いとともに」爽視点


前方に、一目で農家を営んでいるとわかる家があった。

苺の案内どおりに、右側の狭い道に侵入する。敷地に入ると、庭もかなりの広さだ。

そこには、この家の者だろう人物がいて、見慣れない車がやってきたのを目にして、怪訝そうに見つめてくる。

「あのひとは、母の従兄、伊藤のおじさんです」

彼女の親戚の家か……母からの頼まれごととのことだったが……ここになんの用事できたのだろう?

「おじさーん」

こちらへと歩いてくる相手に、苺は元気よく手を振る。爽ばかりを見ていた相手は、その声に驚いた様子で苺に視線を向けると、口をあんぐりと開けた。

「い、苺ちゃんか?」

「うんうん。……え、えーと、店長さん、窓はどうやって開けるですか?」

そう聞かれた瞬間、爽は窓を開けてやる。

「おっ、ありがとです。おじさん、こんちは」

「ずいぶん立派な車が入り込んできたんで、驚いたぞ」

苺がドアを開けたのを見て、爽は素早く降り苺のほうに回り込んだ。

彼女の親戚は、近づいてきた爽をまじまじと見る。爽は頭を下げた。

「初めまして」

「あ、ああ……君は?」

「店長さんだよ」

「店長さん?」

「うん」

返事をし、苺は車から降りてこようとする。

「鈴木さん、手を貸しますよ」

声をかけ、苺に手を差し伸べた。彼の手を握り返し、苺は用心しつつ車から降りてくる。

「店長さん、すみません。ありがとうございます」

「苺ちゃん、このひとは?」

彼女の親戚は、爽の全身を遠慮なしにじろじろ眺め回してくる。

あまりいい気分ではなかった。

「苺のお勤めしてるお店の店長さんなの」

「藤原爽と申します」

相手の印象はあまりよろしくなかったが、そこはマナーを守り、礼儀正しく挨拶する。

「お、こ、こりゃどうも。わたしゃ、伊藤ですわ」

驚きから覚めたかのように、相手は急に人懐こそうな笑顔になった。この変化に、相手の印象もがらりと変わった。

なんだ、よさそうなひとではないか……

「おじさん、土日温泉行ってきたんだって? どうだったの?」

苺は、伊藤に話しかけながら、痛めた片足を無意識に庇っているようで、爽の腕に頼りきってくる。

悪い気分ではなかった。

「お、おお」

どうやら、苺の爽に対する態度が、伊藤を激しく困惑させているらしい。

目を白黒させていた伊藤だが、苺に向いて笑みを浮かべる。

「飯は旨いし、露天風呂も広くて最高だったぞ。母ちゃんも大喜びだ。せっちゃん、いいとこ教えてくれたよ」

「あんま褒めないほうがいいよ。お母さん、礼の分だけ、もっと安くしろって言い出すに決まってるもん」

せっちゃんというのが、彼女の母親か。

一応、このミニ情報もインプットしておく。

安くしろと言うところをみると、苺は母親に頼まれて、ここに何か買いに来たらしい。

「これ以上安くしちゃ、おいらの商売上がったりだ」

伊藤の豪快な笑いに、爽もつられるように笑みを浮かべる。もちろん苺も楽しそうに笑っている。

「おばちゃんは?」

家の方に視線を向けて、苺が伊藤に尋ねる。

「今日は用事があってな、出かけておらんのだわ。苺ちゃんが来るってのにって、母ちゃん、がっかりしとったわ」

「そっかぁ。わたしも会えなくて残念だよ。そいじゃ、お花見せてもらおうかな」

お花? 花を買いに来たのか?

この冬の時期に、どんな花を販売しているのだろうか?

「おお。今年の出来はええぞ」

伊藤は意気揚々といった張り切りようで、家の裏手に案内する。歩き出してすぐ、遅れがちなふたりを振り返って、眉をひそめた。

「苺ちゃん、足をどうかしたのかい?」

爽に頼り切って歩いてくる苺を見て、ようやく気づいたらしい。

「実は、美味しいもの食べたあと、階段で足を滑らしちゃってさ。足首捻ったの」

「そりゃ、災難だったな。大丈夫なのかい?」

「うん。支えてもらってるから、全然大丈夫だよ。ほら、行こうよ。おじさんの傑作、早く見たいし」

「おお、そいじゃ行くが……藤原さん、いいかね?」

「ええ、大丈夫ですよ」

爽の返事に、いくぶん安心したようで、伊藤はふたりの歩みを配慮しつつ先を歩き出した。

案内されてやってきたのは、大きくて立派な温室だった。ビニール越しに、花だろう鮮やかな色が窺える。

「伊藤さん、ここではどんな花を?」

すでにだいたいの予想はついていたが、あえて質問する。

伊藤はまっていましたとばかりに振り返り、顔中に笑みを浮かべた。

やはりこのひとの笑顔は、なんともいいな。さすが苺の親戚だけある。

「シクラメンですよ」

「やはりそうでしたか」

「すっごい奇麗ですよ。うちのお母さん、毎年ここで買って、親しいひとに贈るんです」

その言葉どおり、温室の中には、色とりどりの見事なシクラメンが勢ぞろいしていた。

「なんとも素晴らしいな」

思わず感嘆し、呟くように口にしてしまう。

「そう言ってもらえると、嬉しいねぇ。藤原さん、ありがとよ」

「い、いえ、本当のことですから……」

伊藤のあけっぴろげな感謝に少し戸惑い、うまい言葉が口にできなかった。だが、伊藤のような素朴な相手に対して、言葉を飾る必要はないのかもしれない。伝えたいものはきっと受け取ってくれている。

それから、苺は爽の支えを借りて、温室中を歩き回った。

母親から手渡されたという、細かい指示を書いたメモを片手に、シクラメンの鉢を選んでゆく。

見事な花を見ると、自分も欲しくなってきた。

「伊藤さん、私にも売っていただけますか?」

「おお。そりゃ、いいさ。ああ、ほんだが……」

伊藤は、どうしたというのか、急に困った顔をする。

「贈り物かね?」

「ええ。何鉢かはそうですが」

羽歌乃さんと坂北にあげたら喜ぶだろう。それと吉田にも……

「今日持って帰るんだろう?」

「はい。そのつもりですが……それですと、不都合でも?」

「そうか。いやな、奇麗に包むんは、母ちゃんと嫁っこがやってくれとるんだわ。わしゃ、やったことねえでなあ」

「ああ、それでしたら、鈴木さんにやっていただきますよ」

「へっ、苺ちゃんかい?」

爽の言葉はかなり意外だったようで、伊藤は苺に振り返り、問うような眼差しを向ける。

「い、苺?」

爽と伊藤の両方から見つめられ、苺は困惑顔で口にしたあと、否定するように首を振る。

「店長さん、苺はこういうののラッピング、ぜんぜんまったく経験ないですよ」
「鈴木さんなら、大丈夫ですよ」

確信がある。あのラッピング技術なら、なんなくやり遂げるだろう。

「ま、まあ……店長さんがいいってんなら、いいですけど」

苺は渋々といった様子だが頷いてくれた。

「よかった。では、伊藤さん、お願いします」

「おお、どれにするね」

苺と温室を巡りながら、すでに目星はつけてある。爽は目当ての棚に歩み寄った。

この棚にある鉢は、どれもこれも株が大きく、見惚れるほど見事な花を咲かせている。

「この棚のものから選ぼうかと思っているんですが、鈴木さん、どれがいいと思いますか?」

「こ、ここから選ぶですか?」

なぜか苺は焦ったように言い、伊藤に振り返る。

「ええ。そのつもりですが……もしやこれは、売り物ではないのですか?」

「いや、そんなことはないんだが……藤原さん、あんた、何鉢欲しいのかね?」

「そうですね。五鉢ほど」

「あ、ああ。それなら大丈夫だ。ここのは注文もらって作ってる品なんだが、数に余裕はあるから、五鉢なら譲ってやれる」

「それはよかった」

「いや、だがな藤原さん。おいらもお勧めの花だが……特選の品で、売り手のおいらが言うのもなんだが、こいつは安かねぇぞ」

「もちろんそうでしょうね。では、選んでいいのでしたら……」

遠慮なく気に入った五鉢を選ぶと、伊藤が空いている台車に載せてくれた。
積み終わった台車をそれぞれ押し、三人は温室から出た。


花を運び込んだのは、真新しい小さな建物だった。事務所になっているようだ。

大きな机があり、棚にはラッピングの材料が詰まれて、ずいぶんカラフルで楽しい眺めだ。

壁際に事務机があり、パソコンが置かれている。

この場の様子から、ネット販売もしていることが窺える。

「こいつで商売をやるようになってから、注文も増えたんだわ」

爽がパソコンに視線を向けているのに気づいたようで、伊藤はパソコンに触れて説明する。

「シェアが大幅に広がりますからね。提供する商品の品質が良ければ、口コミで客は増えてゆきます」

「息子もそう言ってな。まあ、おいらは全部若夫婦任せなんだがな」

「けど、おじさんがいなきゃ、商売も成り立たないけどね」

 そう口にした苺は、手近な花びらをちょこんとつつき、伊藤を振り返る。

「おじさんじゃなきゃ、こんなきれいな花は咲かないよ。花がないんじゃ、商売はできないもんね」

苺の言葉に、伊藤は照れた様子で頭に手を置く。

「苺ちゃん、嬉しいこと言ってくれるなぁ」

「えっ? 苺、ほんとのこと言っただけだけど……まあ、伊藤のおじさんが嬉しいならそれでいいや」

伊藤は何とも言えない表情になり、苺に歩み寄った。そして彼女の頭を力を込めて数回撫でた。

撫でられながら、苺は楽しそうにくすくす笑う。

見ていて胸のじんわりする光景だった。

苺の本質にまた触れられたようだ。おかしなことに、胸の辺りが妙にくすぐったい。

「おじさん、苺、もう子どもじゃないよ。頭撫でられて、能天気に喜んだりしないよ」

「そりゃあ、残念だな。よーし、ならひとつ喜ぶものをやるかな」

苺は華やいだ笑顔になり、「おっ、来たね」と勇んで言う。

どうやら、伊藤の言う喜ぶものが何か、彼女はわかっているらしい。

「だが、苺ちゃん、まずはラッピングだぞ」

「そうでした。それじゃ、やってみちゃうかな」

腕まくりの仕種をし、苺はラッピングを始めた。最初は試行錯誤していたが、ふたつ目になると途端に手際がよくなった。

「おおっ、凄いじゃないか?」

完成したラッピングを見て、伊藤は目を丸くして称賛する。

爽の目にも、見事だと思う。

初心者がよくやる、主役の花が見劣りするくらい飾りすぎるミスをしてしまうのではないかと思ったのだが、そんなことはなかった。

天賦の才能だな。この才能だけでも、宝飾店の店員のスキルとして、優をつけられる。

「伊藤さん、支払いのほうをすませたいのですが」

財布を取り出しながら、爽は伊藤に申し出た。

「三万四千円なんだが……」

指先でそろばんを弾く真似をし、伊藤はなぜか申し訳なさそうに言う。

「ええーっ、いくらなんでも、おじさん、それって高すぎない」

「おいおい苺ちゃん、これからおまけさせてもらおうとな。……藤原さん、三万でいいかね?」

一鉢につき、四千円も値引いてくれるのか?

「いいのですか?」

「ああ、苺ちゃんの知り合いだからな。もう、大盤振る舞いだ」

苦笑しつつ言い、伊藤は苺に振り返り、わざとらしく眉を上げた。

「よっ、おじさん、いい男だねぇ」

「おお、だろう」

伊藤の返事に、苺はきゃっきゃっとはしゃぐ。

ふたりの楽しいやりとりに笑みを浮べながら、爽は支払うお金を取り出した。

二万円も値引いてもらうことになって、少々申し訳ない気もするが……

爽は「では、これで」と、十五万円を伊藤に差し出した。だが伊藤は受け取らず、お金を凝視するばかりだ。

「伊藤さん、どうされました?」

「い、いや……そ、そりゃあ、いくらなんでも多いぞ、藤原さん」

「はい?」

戸惑っていると、ラッピングを中断し、苺が顔を上げてきた。

「どうしたの?」

「いえ」

苺に向けて手を上げ、爽は伊藤に向き直った。

「伊藤さん、多くありませんよ。一鉢を三万円にしていただいて、五鉢ですから……」

「て、店長さん、違いますよ。一鉢じゃなくて、全部で三万円ですよ。ねぇ、おじさん」

えっ?

「一鉢の価格ではなかったのですか?」

ふたりから唖然とした目を向けられ、爽はいたたまれない気分を味わった。

「ぷっ、あっはっはっはっは……

苺が馬鹿笑いを始め、その笑いに伊藤も加わる。

ふたりから笑われてむっとしていると、伊藤は笑いに合せて爽の背中をパンパンと叩いてきた。

背中に感じる刺激は不思議と好ましく、むっとしていた口元が自然と緩んでしまい、最後には爽も噴き出していた。

そんなつもりもなかったのに、ふたりに合せて笑っている自分がよくわからなかったが、爽の勘違いによる失敗は、笑いとともに流されてしまったようだった。

「あー、面白かった」

「藤原さん、あんた、案外面白いんだな」

勘違いしてしまったのは恥ずかしいが、いまの失態のおかげで、伊藤がぐっと近い存在になったように感じられた。

苺の周りにいるひとたちは、みんな、このようなひとばかりなのだろうか?

「それにしても、これほど見事なものなのに、お安いですね」

爽は照れながら言った。

「こんな高いの、いっぺんにこんなに売れるなんてさ、おじさんウハウハだね」

「苺ちゃ〜ん。そんな風に言われちゃ、おいちゃん、恥ずかしいじゃないか」

「あはは! ね、おじさん、ラッピング終わったよ。そろそろ例のものを、頼むよぉ」

「おお、そうだな。よし、ふたりともこっちだ」

ふたりはいったいなんの話をしているだろうかと思いながら、爽は苺に手をかして立ち上がらせ、伊藤のあとについて行った。





 
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