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15 金ぴかです(苺
「それでは、行ってらっしゃいませ」
車に乗り込んだ苺たちを、善一は深々とお辞儀して見送ってくれる。
「善ちゃん、行ってきまーす」
すぐに車が走り出し、苺はガラス越しに善ちゃんに手を振った。
この車は爽のではなく、大きな黒塗りのやつだ。運転しているのは岡島で、助手席はからっぽ、苺と爽は後部座席に並んで座っている。
なんか仰々しいねぇ。
いよいよ新しいお店に向かうことになり、ワクワクして玄関を出たら、この車が玄関先にデンと止まっていたのだ。
この車がどういう目的でそこにあったのかなんて苺にはわからないし、苺とは関係ないものとして、素通りして爽の車の方に歩いて行ことしたら……
「どこに行くんです?」
てな具合に、いつもな感じで爽に呼び止められた。
教えてもらってないんだから、苺が素通りするのは当たり前だってのにさ。
爽ときたら、わざと教えずに面白がってるんだ。
まったくもおっ!
思い出して、プリプリしてしまう。
腕を組んでむーっと唇を突き出した苺だったが、自分が着ている服に意識を向け、眉を寄せてしまう。
今日の苺、すっごいシックなスーツ姿なんだよねぇ。
爽にこれを着るように言われたんだけど……
今日からお勤めするお店が何屋さんなのか、いまだにわからない。
でも、このスーツからすると、かなり高級店っぽい。
宝飾店も改まったお店だったわけだけど……
なんとなく、今度は雑貨屋さんとか、花屋さんとかをイメージしていたんだよね。
こんなスーツを着て働くようなお店って、どんななんだろう?
苺で勤まるんだろうか?
宝石の知識を学んだみたいに、また一から勉強ってことになるのは覚悟してたけど、ハードルの高すぎるお店は勘弁してほしいなぁ。
けど、爽と一緒に働きたいなら、お店は選べない。
「腹を括るか!」
思わず声に出してしまった。
運転席の岡島は、ビクッとしたようだ。
爽のほうは?
「不意を突きますね」
クールに言って、くすっと笑う。
「急に大声出しちゃって、ごめんなさい」
「腹を括れたわけですか?」
爽ときたら、楽しそうに問いかけてくる。
「今日から働くことになるってのに、苺はいまだに、自分の仕事がわからないんですよ。しかも、こんな高級な感じのスーツ姿だし……」
「もう五分ほどですぐ着きますよ」
「えっ? も、もう着くですか?」
お屋敷を出発してまだ十分くらいだよね。今度のお店、結構近いんだな。
ドキドキしてきたよ。
苺は胸を押さえ、前方を眺めまわした。
この辺りって、ビルが多いなぁ。苺は来たことのない辺りだ。
こんなところにあるお店なら、確かに高級店ばっかりかも。
不安がむくむく湧いてきて、知らず眉が寄ってしまう。
「苺、眉間に皺を寄せるのはやめなさい」
爽が苺の眉間に指を当ててきて、くいくいと皺を伸ばす。
「お化粧が取れちゃいますよぉ」
なんせ今朝は、しっかりお化粧もされたのだ。自分ですると言うのに、爽は貴女には任せられないなんて言っちゃって……
「皺を寄せておいてよくいいますね。皺を寄せた跡が微かについていたから、ファンデーションをならして差し上げたんですよ」
さ、さいでしたか。これには反論できぬ。
「どうも……です」
ありがとうと素直に言えず、そう言ったら、「どういたしまして」と爽はそっけなく返し、手にしているファイルにまた目を落とした。
ぶっといファイルは相変わらずだ。
それにしてもさ、お化粧を恋人にしてもらうって、変だと思うんだよね。
苺だって、そんなにお化粧が下手ってわけじゃないのにさ。
まあ……きっちり化粧しろと命じられても、適当な感じにしちゃうか。
「てへっ」
頭を軽く小突き、苺は小さく舌を出した。
ファイルに集中していたはずの爽が、くるりとこちらに首を回してきた。
「集中できないじゃありませんか」
文句を言われたよ。
別に、苺の自由じゃないか。
「爽様、間もなく到着しますので」
苺と爽の不毛なやりとりを収めてあげようとして、岡島は声をかけてきたに違いないのに、爽ときたら、むっとして岡島を見やる。
「わかっている」
「はい」
岡島のその返事には、笑いがあった。
そして車は、大きなビルの地下の駐車場へと入り込んでいった。
「えっ? 新しいお店は、このビルの中にあるんですか?」
こりゃあ、想像してた以上に高級店っぽいな。
参ったなぁ。
苺は思わずピンと背筋を伸ばしていた。
駐車場に車が停められた。
そこには、連絡でももらっていたのか、藍原が待っていた。
藍原もダークなスーツ姿で、いつもよりさらにお侍さんのようだった。
「藍原さん、おはようございまーす」
車を降りて、苺は藍原に挨拶した。
「おはようございます」
きっちりお辞儀して挨拶を返してくれた藍原だが、苺の身体をチェックするように見てくる。
「合格ですか?」
思わず聞いたら、藍原は目を見開き、笑顔になった。
「ええ。合格です」
「わおっ、ヤッター! 爽、苺合格をもらいましたよ」
そう言ったら、なぜか爽は眉を寄せて苺を見てくる。見れば、藍原と岡島も、意味ありげな表情で視線を合わせている。
なんだ?
「どうしたんですか?」
「いえ……呼び捨ては、さすがにどうかと」
藍原が爽に向いて言う。
「そうだな」
「やはり、我々と同じように『爽様』と呼ぶのがよろしいのではないでしょうか?」
岡島が自分の意見を伝えると、爽は考え込んだ。
「……」
なんだなんだ?
「あの、店長さんでいいんじゃないですか?」
ずいぶんと悩んでいる三人に、苺は自分の意見を言ってみた。
「「「それはない」」」
三人が声をハモらせる。
びっくりして、苺は身を引いた。
「そっ、そうですか」
店長さんがダメだとは。それで、爽様もダメで……
「『爽さん』と呼ぶのでいい。苺がフィアンセだということを隠すつもりはないからな」
フィアンセ?
うひゃーっ。
苺に馴染まない単語を、いとも簡単に口にするとは。
さすが、爽だね!
おかしな感心をしていたら、藍原が、「それはちょっと」といただけないとばかりに反論した。
「いや、それでいい。苺、ここでは私のことは爽さんと呼びなさい」
命じられちゃったけど……
「苺も『爽さん』はないと思うですよ」
そう言ったら、爽はむっとし、藍原は、そらみろといわんばかりの顔をする。
「鈴木さんに『爽様』と呼ばれるのがおいやなのでしたら、藤原社長でいいのでは?」
岡島が間に割って入ってきてそんな提案をする。
「社長?」
店長さんが社長?
苺はきょとんとしてしまったが、
「まあ、それが一番しっくりしますね」
なんて藍原は頷く。驚いて爽を見ると、彼もまた同意しているかのようだ。
「ええっと、苺は、爽のことを、社長さんって呼ばなきゃならないんですか?」
「『さん』はつけなくていい、やめなさい」
爽がきっぱり言う。
「店長さんはよくって、なんで社長さんはダメなんですか?」
「藤原をつけてごらんなさい」
なぜか藍原がそんなことを言ってくる。
「藤原店長さん、藤原社長さん」
うほっ。確かに『社長』のほうに『さん』をつけると、おかしな具合だ。
「それでは、仕事中は爽様のことを『藤原社長」と呼ぶということでよろしいですね、鈴木さん』
「は、はい。わかったです」
「では、参りましょうか、爽様」
「ああ」
三人が歩き出し、苺もついていく。
エレベーターに乗り込み、苺は爽を見上げた。
『藤原社長』と心の中で読んでみる。
馴染みがなくて、呼ぶことに違和感はあるものの、なんかかっこいい。
「もはや、大会社の社長って感じですね」
苺は爽に言ってから、視線を扉に移した。
呼び名のことですっかり忘れていたけど、いよいよ新しい職場と、ごたいめーん♪
緊張とワクワクで鼓動を速めながら、エレベーターの扉を見つめる。
そのとき、小さく噴き出す音がして、苺は藍原に目を向けた。
「なんで噴いたんですか?」
噴き出すほど面白いことがあったとは、思えないんだけど。
「失礼しました。思わず。さあ、着きましたよ」
エレベーターの扉が開いた。
「わーい、一番乗りぃ♪」
ぴょんと飛んでエレベーターから降りた苺は、そのまま動きを止めた。
えっ? ここって、何?
想像していた高級店とかじゃない。
そこには重厚なドアがそびえたっていた。
さらにそのドアには、『社長室』と、金ぴかなまばゆいプレートがつけられていたのであった。
つづく
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