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第2話 とんでもなく羞恥心
「はい? 今なんて言いました?」
爽の口にした言葉を頭が受け取り損ね、苺は彼に問い返した。
いま苺は、苺のワンルームに爽と一緒にいる。
もう夜中で、ふたりともすでにお風呂に入り、もうすぐ寝るところなんだけど、パソコンを開いてお仕事をしている爽に付き合って、苺は漫画を読んでいた。
そこに爽が話しかけてきての、会話中だったのだが……
「これからは、あちらを我々のホームにしましょうと、そう言ったのですよ」
爽は噛んで含めるように言う。
苺は眉間をぎゅっと寄せた。
爽の屋敷に住むってことは、このワンルームを引っ越すってことだ。
あまりにも突然で、ちょっと受け入れられない。
「どうしてですか?」
「その方が、これからは都合がいいからですよ」
「どう都合がいいってんですか?」
「我々は、もうすぐ新しい仕事に移ります。屋敷から通う方が近いですからね」
「でも、苺はここが気に入ってるんですよ。ここから通えばいいじゃないですか」
「屋敷がお嫌いなのですか? 吉田が悲しみますよ」
うっ!
それを言われると……
「け、けど……」
苺は反論を口にしつつ、ワンルームの部屋を見回した。
すっかり馴染んでしまった部屋。
爽との大切な思い出が、いっぱい詰まった場所。
ここは苺のお城なのに……手放すのは辛いよ。
「これからしばらくは忙しくなりますが、それでもここで過ごす時間だって取れますよ」
へっ? そ、それって?
「引越して、ここを手放すわけじゃないんですか?」
「ああ、そう受け取ったのですか? そんなつもりはありませんよ。ここは便利な場所ですし、手放すつもりはありません」
それを聞いて、心が晴れた。
「それならいいですよ」
思わず勢いでそう言ってしまったが、ちょっと引っ掛かりが残った。
「そうですか、よかった」
爽が笑顔で言い、苺は「ちょっと待って」と口にしてしまう。
「はい? どうしました?」
「い、いえ……なんか、やっぱり、ちょっと」
「うん? 何を言いたいんです?」
「つまり……苺は爽のお屋敷に居候するってことになるんですね?」
爽は苺の発言を聞き、少し考えた後、「まあ、そういうこと……ですね」と言う。
ふーむ。てことは、苺は爽の屋敷のスタッフさんたち……藍原さんや岡島さんと同じ立場だから……
「藍原さんや岡島さんたちが住んでいるスタッフ専用の住居に部屋を……」
「違います!」
話している途中でピシャリと言われ、苺はちょっと怯んだ。
「違うんですか?」
「当り前でしょう」
「でも、苺は爽の部下なんですよ」
「部下である前に、フィアンセでしょう?」
フ、フィアンセ!!!
うひょーっ、背中がむず痒いっ!
「何をやってるんです?」
真面目に問いかけられ、腕を後ろに回して自分の背中を掻いていた苺は動きを止めた。
「いえ……なんか背中がむず痒くって」
「背中が? ならば、私が掻いて差し上げましょう」
そう言った爽は、言葉通り苺の背中を掻いてやろうと後ろに回ってこようとする。
苺は両手を振り、「いいですよ」と、慌ててご遠慮した。
「苺は、ただフィアンセって言葉に、反応しちゃっただけですよ」
「どういうことです? 意味が分かりませんね?」
「いや、だからね。爽にはとっても似合ってるの。けど、苺に似合わないもんでね……」
苺の説明は、ますます不可解だったのか、爽は眉を寄せる。
うーむ。確かに爽にすれば、苺のこの行動はよくわかんないか?
「まあ、いいですよ。とにかく……って、今、なんの話してましたっけ?」
話を戻して先に進めようとしたら、爽がじーっと見つめてくる。
まるで苺の心を見透かそうとしているような眼差しだ。
ちょっとタジタジになっていたら、爽はふいっと視線を逸らした。そして、口を開く。
「貴女は私の屋敷に住むが、スタッフと同じ部屋に住むわけではないという話をしていたのですよ」
「そうでした。……なら、どこに住むんですか? あっ、苺、善ちゃんの近くがいいなぁ」
「吉田の?」
「はい。善ちゃん、ほんとのおじいちゃんみたいだし、善ちゃんの近くの部屋は居心地よそさうです」
「貴女の部屋は私が用意します。どこに住みたいかを選ぶ権限は与えられませんね」
なんだか爽は機嫌を損ねたようだ。
確かに苺、ちょっと調子に乗っちゃったな。
苺は爽の部下なんだもんね。上司の爽の命令が絶対だよね。
「もちろん爽の用意してくれる部屋でいいですよ。よろしくお願いします」
ペコンと頭を下げて顔を上げたら、爽が変な目で苺を見てくる。
「どうしたですか?」
「いえ……なんでもありませんよ」
爽はそう言ったが、口の中で何やらブツブツ言っている。
「何を言ってるんですか?」
「ちょっとこっちに来なさい」
ふて腐れたように言いながら、爽は身振りをして命じてくる。
ちょいと躊躇うものがあったが、躊躇っていては爽のご機嫌は悪くなってしまう。
苺は漫画をテーブルに置いて立ち上がり、テーブルを回って爽の側に行く。
すると、腕を取られ、思い切り引っ張られた。
「きゃっ」
よろめき、爽のほうに倒れ込んでしまう。
爽はさっと苺の身体を支え、苺を抱え込んだ。
「び、びっくりしたですよ!」
文句を言ったが、すっと唇をなぞられ、苺は固まった。
ひはっ! くっ、唇が甘く疼いたぁ!!!
身体の芯がもぞもぞっとして、苺はふるっと身を震わせた。
その反応に、爽は嬉しそうに笑む。
なんかなぁ。
爽ってば、苺が困るのが楽しいみたいで、こういうこと頻繁にするんだよね。
苺はまだまだ、恋人経験不足で、やられるたびにおたおたしちゃうってのに……
「もおっ」
頬を赤らめて文句を言ったら、爽がくすりと笑い、その直後、ふたりの唇が重なった。
爽の唇はイチゴヨーグルトより芳醇な味わいで、心が酔ってしまいそうになる。
そんなことを考えている自分に、苺はとんでもなく羞恥心を煽られるのだった。
つづく
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