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22 精霊消滅?
工房の入り口に向かっていたら、ひょろりとした中年の男の人が慌てたように出てきた。
「これはフジワラ様、ようこそ来てくださいました」
男の人は腰をかがめ、ヘコヘコしつつ歓迎してくれた。
揉み手をする姿がこびへつらうようで、苺はちょっと引いてしまう。
藍原と爽がそれぞれ挨拶をすると、男の人は「さあさあ、どうぞ」と中に入るよう促してきた。
まず藍原さんが中に入り、苺は爽の後に続いて工房の中に入らせてもらった。
そこはこじんまりとした店舗になっていた。
ハクジという名がついているくらいなので、白磁の製品だけを取り扱っているようだ。
店内いっぱいに白い陶磁器が並べられている様は、ちょっと圧巻だ。
品物は大小さまざまで、種類も多岐にわたっているようだった。
初め、感激した苺だが、なんとなく、あれっ? と首を傾げてしまう。
小さな花瓶にさしてある観葉植物のツルが、あまり元気がない。
そのことに気づいた途端、魅力的な店内なのに、精細を欠いている気がしてきた。
なんか、すっごい惜しいな。ここ。
さっきまで白磁の精霊さんがいたのに、いまはその姿が消えてしまった。……そんな感じ。
そんな風に思っていたら、藍原が男の人に「小沢さん、森村さんはどうされました?」と聞いた。
藍原は、その人がここにいないという事実が、ひどく意外そうだ。
森村って人も、出迎えてくれるはずだったんだろう。
「ああ、それが……」
男の人は口にしずらそうにもごもごと言う。
すると、まるでそのタイミングを待っていたかのように、店の奥のドアが、ガチャッという音とともに開いた。
そんなに広くない店舗なので、みんな気づいて開いたドアに顔を向けた。
すると、そこに女の人が姿を見せた。
この人が、森村さんなのかな?
ちょっとハッとするくらいの美人だ。
その人は、まるでモデルがファッションショーでセンターを進むかのごとき歩みで、男の人の隣に立った。
その位置は、爽と藍原を前にする位置でもあり、女の人は目を瞬きながらふたりを眩しそうに見上げた。
ま、睫毛、長っ!
この女の人、なんとも女子力凄いっ!
瞬きするたびに、エロいフェロモンが周りにふりまかれている気がするんですけど。
「いらっしゃいませ。藍原さんおひさしぶりです」
どうやら、藍原とは顔見知りのようだ。
爽も会ったことがあるのかな?
だとしたら、なんかやだなぁ。と苺は思ってしまった。
色気で負けてるのは明らかで、胸が超もやもやする。
そんな苺の思いを知ってか知らずか、女の人は上目遣いに爽を見た。
ぎょーーっ!
心の中で変な叫びを上げてしまう。
嫉妬心を煽られ、どうにも苺のハートはジタバタする。
ややもすると、ふたりの間に割り込んで行きたくなる。
だって、爽に向ける視線が、フェロモンいっぱいでいやらしいんだもん。
そんな目で爽を見ないでほしいと思ってしまう。
すると、まるでその願いが聞こえたかのように、爽はすっと動いて苺の後ろを回り、反対側に立った。
女の人を拒んだのがあからさまで、その瞬間、綺麗な顔に刺々しいものが浮き出た。
爽の行動は嬉しかったが、怖くてびくんと震えてしまう。
すると爽は、苺を守るように肩に手をかけてくれる。
もちろんそのせいで、女の人の表情には益々刺々しいものが浮いてくる。
それなのに微笑んでいるものだから……
な、なお怖いんだよぉーーっ‼
言葉を交わさず、複雑で壮絶なバトルが行われている感じ。
いや、こんなバトル、苺はやりたかないですっっ!
「それで、森村さんは?」
そんなバトルにお構いなしに、藍原が再度、男の人に尋ねた。
あれっ、この人が森村さんじゃなかったのかな?
どうしてかはわかんないが、なんか妙にほっとする。
「それが……」
男の人は言いにくそうに、またもごもご言う。
「あの人なら、お店のお金を使い込んで、クビになりましたよ」
女の人がさらりと言った。だが、その表情はなんとも清々しそうで、苺はびっくりした。
事情はまったくわからないけど、お金を使い込んだとか、クビになったとか……
そんなことを、そんな清々しそうに言うなんて……?
「そういうことなんです」
男の人は、女の人の言葉を残念そうに肯定する。
だが、すぐに表情を改め、また歓迎ムードに戻った。
「まあ、森村君のことはもういいとして。フジワラさん、さっそく商談の方を。どうぞ奥に」
喜々として、爽たちを奥のドアへと促してくる。
「どうぞ、こちらに」
男の人に便乗するように、女の人もさあさあと促す。
正直、苺は奥には行きたくなかった。
なんだか、この場所、嫌な感じしかしないんだもん。
まあ、この女の人が、苺の爽にフェロモンたっぷりに色目を使ったせいで、苺は悪い印象を持っちゃったのかもしんないけどさ……
いまとなると、心奪われるほど魅力的と感じていた白磁たちも、すっかり魅力が抜け落ちてしまったように感じる。
「爽……あっと社長、すみませんけど、わたし、車で待ってていいですか?」
駄目と言われる前に、苺はその場から逃げ出そうとしたが、肩に置かれていた爽の手に力がこもり、阻止された。
うっ! ざ、残念っっ!
そう思ったのだが……
「小沢さん、何も言いますまい。今回の商談はなかったことに。では、失礼いたします」
藍原はそう言うと、彼の言葉に呆気に取られている男の人に向けてお辞儀し、「爽様」と爽に声をかけた。
すると爽は無言で頷き、苺を連れて店を後にする。
急展開に目をぱちくりし、苺は爽に促がされるまま一緒に工房を出た。
車に向かっていると、先ほどの女性がバタバタと追いかけてきた。
「ちょ、ちょっと待ってください! なんなんですか、そちらから商談を持ち掛けてきておいて、手のひらを返したみたいにっ!」
苛立ちを込めて怒鳴ってくる。
「そうですよ。フジワラさん、どういうことなんですか。こちらはまるで納得できませんよ」
女の人に続いて、男の人も追いかけてきて、大声で喚く。
それに対峙するように、藍原はふたりを前にして立った。
「小沢さん、ならば教えて差し上げましょう」
藍原はそう言って、おもむろに続ける。
「わからないということが、商談を白紙にする理由ですよ」
藍原はお侍のごとき迫力で、ふたりに強烈なひと太刀を浴びせた。
ふたりはぎょっとして立ち竦む。
「では。もうお会いすることもないでしょう」
最後通牒のように言葉を投げ、藍原は運転席に、苺も爽に促がされて後部座席に乗り込んだ。
あっという間に、工房から離れてしまう。
よくわかんないんだけど……
白紙にしたのは正しい気がした。
商談を持ち掛けたことからして失敗だったように思う。
「森村とは連絡が取れるのか?」
爽が藍原に聞く。
「名刺はありますが、彼女個人の連絡先まではわかりません。ですが、いくつかあてはあります」
「そうかよかった」
爽はほっとしたように言い、苺に顔を向けてきた。
「苺、『いまのはどういうことなんですか?』と、聞いてこないんですか?」
爽はちょっと不思議そうに言う。
「商談がなしになって、ほっとしたもんで」
正直なところを口にしたが、ちょっと顔が熱くなる。
「あの女性、ですか?」
少し含み笑いをして爽は問い掛けてくる。
当たりなので、苺は頷き、「それに」と口にした。
「それに?」
「白磁の精霊さん、ついさっきまでいたのにいなくなってたって……そんな感じしたから……あのお店の魅力はどんどん消えていく感じでした」
残念な気持ちで言ったら、爽が目を見開く。
「驚きますね。まさにそういうことですよ」
「ええっ! あの工房には、ほんとに精霊さんがいて、消えたっていうんですか⁉」
仰天して聞き返してしまう。
「あなたときたら」
苺が真に受けたのが可笑しかったようで、爽はくっくっと笑い続ける。
なんだ、違うのか。
真に受けてしまって顔が赤くなり、苺は話題を変えることにした。
「それで、森村さんって人をこれから探すんですか?」
お店のお金を使い込んでクビになったって、あの女の人は言ってたけど……
爽と藍原さんの様子を見るに、どうやらそういうことじゃないみたいだ。
「そうですね。ここにこのタイミングでやってきたのも、神様の思し召しなのでしょうから……きっちり片を付けてから、戻るとしましょう」
「了解しました」
爽の言葉に、藍原はお侍らしく、キリリと返事をした。
苺まで、きゅっと気が引き締まる。
分からないことだらけなんだけど、なんか苺わくわくしてきたよ。
そして車は、藍原の目指す目的地へと向かうことになったのだった。
つづく
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