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28 意外な参上
あーうーへーほーひーーーーっ。
意味のないひらがなを胸の内で叫ぶことで気を晴らし、苺は自分のお腹をさすった。
苦しいよぉ。お腹の皮がはちきれそうだよぉ。
ううーっ。さすがに調子に乗りすぎちゃったよ。
いくらでも出てくるから、つい食べ過ぎちゃってさ……
「苺、大丈夫……ではなさそうですね?」
パンパンのお腹を抱え、なんとかこの苦しさを紛らせられないものかと、車の後部座席で身体の向きを変えていると、爽が話し掛けてきた。
何か返事をと思ったが、いまは声を出すことすら辛い。
「鈴木さんは、腹も身の内という言葉をご存じないのですか?」
淡々と言ってきたのは藍原だ。
苺は顔を歪めた。
腹も身の内ね……
言葉はご存じだよ。だからって、それを戒めとして暴飲暴食を改められるものでもないよね。
そんな風に、心の中では藍原の言葉にちゃんと反応しているのだが、外見的には眼差しが藍原に向いただけ……
なんせもう、表情を変えるのすら苦しいんだよぉ~。
「声も出せないようですね?」
爽が苺の顔を覗き込んで言う。
苦笑している爽と目を合わせた苺は、返事の代わりにこくりと頷いた。
すると爽の手のひらが、苺のお腹に当てられた。そっと撫でてくれる。
ありがたい。苦しいのがどんどん薄れていく気がするよ。
そんなことで、爽のやさしさにどっぷり甘えながら車に揺られること四十分ほど、車は目的のホテルに到着したようだった。
ぐったりと爽に凭れていた苺は、眩しいほど明るい窓を目に入れて、びっくりして飛び起きた。
「わわわ」
「ようやく声が出ましたね」
笑い交じりに爽が言う。
「爽がお腹をさすってくれたから、だいぶよくなりましたよ。……それにしても、ここが今夜泊まるホテルなんですか?」
緑に覆われたホテルだ。広々とした敷地に建っていて、三階くらいしかない。
それにしても、おしゃれだね。
こんなデザインのホテルなんて、見たことないよ。
「鈴木さん、お気に召しましたか?」
藍原が尋ねてきた。苺は大きく首を縦に振った。
「すっごいお気に召しましたよ」
これだと、部屋のほうもどんなだか、大いに期待しちゃうな。
「ここらではかなり人気のリゾートホテルのようです」
藍原さんのその説明に納得だよ。
リゾートホテルかぁ?
とすると、この近くにスキー場とかあったりするのかな? それとも観光地があるのかな?
それにしても、明るい窓からは中がよく見える。そこはレストランに違いない。
きっとおいしいお料理を食べられるんだろうな。
カニもすっごい美味しかったし、大満足なんだけど……このホテルのレストランの料理も食べてみたかったなぁなんて、思わざるを得ないよ。
食い過ぎで苦しい思いをしたばかりだというのに、至極残念に思う苺だった。
車から降りて、苺はほっとした。
どうやら満腹だったお腹も落ち着いたようだ。まだ苦しいものの、動けるくらいにはなっている。
三人してホテルに入り、藍原がフロントで手続きをしている間、苺は爽とともにソファに座った。
「うわっ、ふかふかで座り心地いいですね」
そんなことを口にしつつ心を弾ませていた苺だったが、ハッと思い出す。
苺は慌てて爽に顔を向けた。
「爽、いわんこっちゃないですよ」
「うん? 何がです?」
「着替えです。着替えがありませんよ」
そう文句を言ったら、爽は「ああ、そのことですか」とこともなげな反応を見せる。
「そのことですよ」
こうなったら、明日は同じものを着なきゃならないのか?
「それについては、すでに手は打ってありますから、大丈夫ですよ」
手を打ってる?
「いったいどう手を打ったって言うんですか?」
戸惑いながら聞き返していたところに藍原が戻ってきた。
「爽様」
藍原の呼びかけに、爽が頷いて立ち上がったので、苺も立ち上がる。
着替えについてどう手を打ったというのか、とても気になったが、爽が手を打ったというのなら、その通りなのだろう。
もしや、今夜泊まる部屋に入ったら、スキー場のホテルの時みたいに、すでに着替えが用意してあったりするんじゃないのか?
けど、そんなこと可能なのかな?
北の国に泊まることが決まったのは、大野さんの家を出たあと……いまは、九時になろうかという時刻だ。
泊まる部屋は、これまたとても洒落ていた。
苺が気に入ったのは、斬新なデザインの椅子。ものすごくくつろげそうな角度に曲がってる。
「これ、面白いですね」
さっそく座り心地を確かめてみる。
「いいかも。爽も座ってみるといいですよ」
椅子から降りて爽に勧め、今度は窓に駆け寄る。
夜だけど、庭はライトアップされているので、緑がそれは綺麗に浮かび上がっていた。
「うわーっ、綺麗です」
激しく感激していたら、爽が隣に並んできた。
「悪くありませんね」
爽も満足そうだ。
そんな彼の表情を見ていると、苺の気持ちも満ち足りてくる。
と、そこで思い出した。
「あっ、そうだ」
苺は叫び、浴室に走って行った。
ちゃんと着替えが揃っているのか、確かめなきゃだよ。
洗面所を確認したが、着替えなどどこにもなかった。
「なんだ、ないじゃん」
拍子抜けし、苺は爽の所に駆け戻った。
「着替えなんてありませんでしたよ」
「まだ届いていませんからね」
「届く? 宅配便かなんかで届くんですか?」
「違いますよ。ですが……そろそろ」
爽がドアに振り返ったところで、ドアがノックされた。
藍原さんかな?
そう予想を立てつつ、苺は爽とドアに歩み寄った。
爽がドアを開けると……
「へっ? ぜ、善ちゃん!」
そこにはなんと、にこにこ顔の善一が立っていたのだった。
つづく
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