|
33話 疑問は棚上げ
「それじゃ、ついて来てください」
鈴木家に到着し、節子に挨拶し終えたところで苺が爽に言う。そして、彼女は階段に足を向ける。
一瞬戸惑った爽だが、折り紙を取りに行くのだろうと気づいた。
だが、折り紙を取ってくるくらいのことで、私について来いというのだろうか?
もちろん、それが不服なわけではないのだが……
「苺?」
娘の行動に、節子が怪訝そうに呼びかけた。
すると苺は母に振り返り、「折り紙取ってくるの」と伝える。
「折り紙?」
「うん。まこちゃんに喜びそうなもの作ったげようと思ってさ。爽も、折り紙で作るアジサイが見たいって言うから」
「そうなの」
納得したのかどうなのかあやふやな返事をし、節子は何か思いついた様子で「そうそう」と言う。
「空き箱と包装紙、全部あんたの部屋に置いといたけど」
「ああ。うん、サンキュー」
苺は嬉しそうにお礼を言い、階段を弾むように駆けあがっていく。
空き箱と包装紙?
その言葉が気になりつつ、苺に続いて階段を上がる。
苺が自分の部屋のドアを開け、中に入った途端、「わおっ!」と身体を後ろに引き気味に叫んだ。
すぐ真後ろにいた爽に苺の身体が当たり、爽は咄嗟に苺の肩に手をかけた。
「どうしたんです?」
早口に尋ねたら、苺はくすくす笑い出した。
「苺?」
「これですよ。これ」
苺は身振りで床を示す。視線を向けた爽は眉を寄せた。
なんと空き箱が積み上げられていた。そして、綺麗に折りたたまれた包装紙も。
「やっぱり大量すぎますよぉ」
苺は、ちょっと責めるような目を笑い交じりに爽に向けてくる。
「どうして責めるように言うんです?」
「だからぁ~、お土産、多すぎだってことですよ」
両手を腰に当ててそう言った苺は、これ見よがしにため息をついて見せる。
お土産?
そこでようやく理解した。
苺ととともに、あちこち出張に赴くたびに、鈴木家に土産を買った。これらはその菓子箱と包装紙だったらしい。
「ですが、どうして貴女の部屋に、これを?」
「空箱と包装紙は、苺がもらうことに決まってるんですよ」
その説明に、眉をひそめてしまう。
このようなものを、苺はどうするのだろう?
疑問に思っていると、苺は床に座り込み、空箱やら包装紙を手に取る。
ひとつひとつ確認しはじめた苺は、「ああ、これ!」と声を張り上げる。
「綺麗な包装紙だなぁって思ってたんですよ。やっぱ、綺麗! それと、この空き箱! 色合いも手触りもよくて……あっ、それにこれこれ、この空き箱の模様も、いい感じですよねぇ」
苺は興奮してはしゃいでいる。
そんな苺に同調できず、爽は戸惑いの目を向けてしまう。
楽しそうな苺に水を差せず、しばし黙って見守っていたら、興奮が冷めたのか苺は立ち上がった。そして、物入れを開けて、ごそごそやり始めた。
すぐに大きめの箱を取り出す。
「苺、それは?」
問い掛けたら、苺は箱の蓋を取りつつ、「折り紙に決まってるですよ」と言う。
苺に歩み寄って箱の中を見てみたら、大量の折り紙が入っていた。大小さまざまで、模様のあるものも多い。
「凄いですね」
「ほら、爽。どれでも好きなの選んでください。でも、アジサイなら、普通の無地の折り紙がいいかもですよ」
苺はオーソドックスな折り紙を取り出す。
一番上の金色の折り紙がキラキラしている。
爽は差し出されるまま受け取ったが、首を回して空き箱の山に目をやった。
「苺、この空き箱ですが……このようなもの、どうするのですか?」
「解体してみるんですよ」
「解体? それはどうして?」
「前の仕事、こういうの作ってたから、解体してみるのが習慣になっちゃってるというか……つまり、そういうことですよ」
ああ、そうか。合点がいった。
爽は「納得しましたよ」と言ったが、なぜすぐに思いつかなかったのかと、鈍い自分にいささか苛立ちを感じた。
「まあ、こんなに積み上がるほどってことは、もちろんいままでなかったですけどね」
空箱の山を人さし指でちょいちょいと突きながら、苺は笑う。
「鈴木家の皆様に喜んでいただけるので、つい……」
そう言ったものの、いまさらこの空き箱の山の高さに、いくぶん反省の気持ちが湧き上がる。
「ご家族の皆さんには、ご迷惑だったでしょうか?」
少し肩を落としてしまったら、苺は慌てたようだった。
「う、うちの家族に迷惑なんてこと、まったくないですよ。もちろん、嬉しいばかりですよ。ただ、こんなにいっぱい買う必要はないですよって、苺は言いたいだけで……」
「何揉めてんだ?」
ドアの所から急に声を掛けられ、爽は振り返った。
いま戻ったばかりなのだろう、スーツ姿の健太がドア口に立ち、こちらを見つめている。
「健太さん、お邪魔しています」
「いらっしゃい。で、何揉めてんです?」
「別になんも揉めてないよ」と苺が答える。
「そうか? 迷惑とか聞こえたけど……」
「それはもう解決したよ。ところでお兄ちゃん、まこちゃんは?」
「真理なら居間にいるぞ。いまは寝ちまってたけど」
仕事から帰って、着替えるより先に息子の顔を見て来たのらしい。
やはり可愛いものなのだろうな。
もちろん爽にとっても、真理はとても可愛いのだが……
しかし、息子か……
いまの自分は苺と過ごせるだけで満足だ。自分の子どもをという気持ちは湧かない。
着替えをすると健太が自分の部屋に向かい、爽は苺から受け取った折り紙を手に、彼女と居間に向かった。
真理が寝ているということを配慮し、苺はそっとドアを開けて居間の中を覗く。
「ただいまぁ」
小さな声で苺が声を掛けると、同じような小声で、「おかえりなさい」と真美が返す。
真理の寝顔を見て和んでいたら、着替えを終えた健太がやってきた。彼は、それはもういそいそと息子に寄り添う。
まことに微笑ましい。
爽はそつなく立ち上がり、場所を健太に譲ると自分はソファに移動した。
「それじゃ健太さん、まこをお願いね」
そう夫に言って真美は立ち上がり、キッチンに行く。
節子と夕食の準備をするのだ。調理はふたりがやってくれ、苺はいつも食後の片付けを手伝っている。
真理の寝顔に見入っていた苺が、満足したのかようやく顔を上げた。
「そう言えば、お父さん、今日はまだなの?」
苺は節子に向かって聞く。節子は調理の手を止めずに返事をくれる。
「ちょっと遅くなるって連絡あったんだけど、あと三十分くらいで戻ると思うわよ。ご飯はそれからね」
「オッケー」
返事をした苺は、「さて、ご飯の前に、いっちょ仕上げるとするかな」などと言いつつ、爽の隣に腰かけてきた。
そして、爽がずっと手に持っていた折り紙を取り上げる。
「何色がいいですか? 紫、青?」
両手で選別するように大きく広げた折り紙を見つつ、苺は尋ねてくる。
爽は、カラフルな折り紙の色合いを目にして目を細めた。
なんだろうな、不思議と心が弾む。
どうやら苺も爽と同じ感覚を覚えているようだ。
彼女の口元はいい感じに緩んでいる。それにつられて、爽はやわらかに微笑んでいた。
「アジサイであれば、水色では?」
そう提案すると、苺は指を一本立てて唇にくっつけ、考え込む風をする。
その可愛らしいしぐさに甘い感情が湧き、この場に誰もいなければ、その唇を塞いでしまいたい欲求にかられた。
「なら、青にするですよ。あとで、どうにでもなるから」
「どうにでもなる?」
苺の言う意味が分からず聞き返したら、「水でね」と答えるが、ますますわからない。
「水?」
「いいから、いいから、まずは折りますよ」
こちらの疑問を棚上げされて、つい顔をしかめてしまう。
「気になるんですが」
催促したが、苺は「あとでわかるですよ」と言うばかり。
さらには、「最初に全部しゃべっちゃったら、お楽しみがなくなりますって」などと言い出す。
その言葉で、さすがに催促できなくなった。なにせそれは、爽が苺に対してよく口にする言葉だからだ。
「お楽しみなんですか?」
諦めてそう言ったら、すでに折り紙を折り始めていた苺は、「そうですよ、お楽しみですよ」と、上の空な返事をする。
爽は仕方なく、真剣な眼差しで折り紙を折り続ける苺を見守ったのだった。
つづく
|
|