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36 それは妙案 (水木澪
「夏の色、夏の色……」
小さな声で呟きながら、水木澪はパレットの上で夏空をイメージした色を創っていたのだが……
顔をしかめ、うーんと唸り、締め切った窓の外に目をやる。
「なんかなぁ……こんな雨の中じゃ、どうしたって夏のイメージには入り込めないよ」
プチ挫折を感じ、澪はふうっと息を吐いて筆をおいた。
「いまは梅雨の真っ最中だもんね。雨が続くのも当たり前……か」
けどさ、のんびりもしてられないんだよね。
……とはいえ、イメージに入り込めないのではどうしようもないわけで……
澪は仕方なく、仕事を続けるのを諦めた。
いま描いているのは、タウン情報誌の挿絵。急にこの仕事をいただいたのだ。
向こうから仕事が転がり込んでくるなんてほぼないから、もう大喜びで引き受けた。
八月号の挿絵だから、締め切りまであと数日しかないんだよね。
しかも大小合わせて六枚もあるのだ。
なんでも絵を描いていた人が、突然なんらかの事情で辞めてしまったらしい。
小さなタウン誌だから、これまでイラストレーターになど頼まず、絵の上手い社員に描いてもらっていたのだそう。
その人が突然いなくなり、大慌てで描いてもらえる人を探していたら、大家さんが私のことを推薦してくれて……
ほんと大家さんには感謝しかないよ。まったくお世話になりっぱなしだ。
大家さんの住む家に向けて両手を合わせ、心を込めて感謝を捧げる。
……さてと、気分転換にお茶でも飲もうかな。
よいしょと立ち上がってキッチンに向かいつつ、「感謝かぁ……」と呟いた澪は、去年の暮れに思いを馳せた。
あの頃、仕事が完全に無くなって、もう実家に戻るしかないという大ピンチに陥った。
けど大親友の苺のおかげで、いまもこうして絵を生業にして生きていられる。
苺……
親友の顔を思い浮かべ、澪は微笑んだ。
ほんと、苺が幸せでなによりだよ。
苺の幸せは、自分のことみたいに嬉しい。
それにしても、初めて藤原さんとお会いした時には、びっくりした。
だって苺は、幼馴染の剛君と、いずれは付き合うことになるに違いないって、わたしは思い込んでたからさ……
何がどうなって、あんなにも庶民の範疇を越えた人と結婚することになったんだか。
人生、何が起こるやら分からないものだ。
うんうんと、ひとり納得顔で頷き、小さなケトルを手に取った。
インスタントのコーヒーを淹れるつもりだったが、キッチンに置いていた紅茶の缶を目にして気が変わった。
そうだ、この間作り方を教わってきたロイヤルミルクティーなんていいかも。
というわけで、ケトルは置いてミルクパンを取り出す。
実は、藤原の祖母である羽歌乃のところに遊びに行ったとき、紅茶の茶葉をいただいたのだが、その時にその茶葉はミルクティーに適しているとのことで、ちゃんとした淹れ方を教えてもらったのだ。
うまく淹れられるかなぁ?
胸を弾ませつつ、紅茶の缶を手に取る。超高級品だ。
えーと、まずミルクパンに水を入れて火にかける。で、沸騰したら、ティースプーン山盛り一杯の茶葉を入れて火を止める、っと。
おっと、フタフタ……
あたふたしつつ、フタを探す。
ミルクパンにはフタはないので、ちょっと大きいけど別の鍋のフタで代用する。
「ここで、数分蒸らすんだよね」
羽歌乃は、澪が遊びに行くたびにあれやこれやと持たせてくれて、ありがたいったらない。
おかげでいまの澪のキッチンは、高級な品で溢れている。
羽歌乃おばあちゃんって、見た目は気難しくて近寄りがたい感じなのに……あったかいんだよねぇ。
いまでは自分の祖母のように思える。ポンポンと本音で説教してくれるのも嬉しい。
住んでいるお屋敷は、いまだにちょっと足の竦む豪華さなんだけど……
この最近、ようやくあのお屋敷の執事である真柴さんに対して、緊張がほぼほぼ緩んできたところだったりする。
よし、もういいかな。
ここで牛乳を入れ、あとはミルクパンを弱火にかけて沸騰直前に火を止める。で、茶こしでこしたらできあがり、っと。
かなりもたもたしつつではあったが……
うーん、いい香りだぁ。充分大成功だよね。
手間をかけて作ったロイヤルミルクティーを大満足で手に持ち、澪は窓辺に向かった。
雨を眺めつつ、しっとりとした気分でミルクティーを口に含む。
「うーん、最高にロイヤルな気分♪」
にまっと口元を弛め、悦に入る。
そんな感じでロイヤルを満喫し、リフレッシュを終えて仕事に戻った澪だったが……夏気分にはなれずだった。
仕事は遅々として進まない。
困ったなぁ。
頭を抱えた澪だが、ふいに思いつき、「そうだ!」と手を打った。
「オレロンに相談してみよう」
オレロンというのは川島詠治という名の、専門学校時代の友人だ。
専門学校時代、苺とともに、いつも三人でつるんでいた。
オレロンは、自分が気にかけてやらないと、このふたりはまともに生きてはいけないと思っていたみたいで……
反論したいところだけど、オレロンのおかげで助かったことが多々あるのも事実。
まあ、それはいいとして……
オレロンは才能のある人で、いまやイラストレーターの道を高見に向かって突き進んでいる。
多忙だろうに、ちょくちょく電話してきて近況を聞いてくれたりする。
いまは遠くに住んでいるので、そうそう会えないけれど……
そこまで考えて、ふと思い出し、澪はくすくす笑い出した。
春先だったか、再び携帯を手に入れたところで、オレロンに連絡を入れたのだが……
電話に出た途端、彼は唾を飛ばす勢いでしゃべり出した。
電話越しなので、相手の顔が見えるわけではないのだけど、雰囲気はそんな感じだった。
で、超支離滅裂。
何が言いたいのか、伝えたいのかさっぱりで……結局、理解するまでに三十分はかかった。
どうも、去年の暮れにオレロンは苺に電話を掛けたらしい。
そうしたら苺は、藤原さんと一緒にいて……どうやらオレロンは、藤原さんにいいようにからかわれたみたいなのだ。
まあ、その時のオレロンにすれば、藤原さんの存在など知らなかったのだから、面食らわされて当然だったろう。
苺がフォローの電話を掛け直してあげればよかったんだろうけど、それもなかったみたいで、オレロンは澪が電話をするまで、ずっとその時のことを引きずっていたらしい。
わたしも仕事が無くなっていく不安から、ひどく低迷していたから、オレロンに携帯を手放したことも知らせなかったし、近況を伝えるでもなかった。
オレロンには心配かけてしまって、申し訳ないことをしたと、反省しきりだ。
それ以降は、ちゃんと連絡を取り合ってるんだけど……
そんなことをつらつら考えつつ、オレロンに電話を掛けたのだが……
「なんだ、出ないな」
そのあと、時間を置いて何度か掛けてみたが、やはり出てくれない。
残念、オレロンには相談できずかぁ。
ならば苺に相談したいところなんけど……この時間、たぶん藤原さんとデート中のはずだよね。
数日前に電話で話した時、週末は藤原さんとアジサイを見に行くことにしていると聞いたのだ。
やっぱり、デート中に電話しちゃお邪魔だよね。
やめとこうと思ったその時、メールが届いた。
うん? オレロンからかな?
そう思いつつ確認したら、なんと苺からだった。
写真添付付きのメールだ。
開いて見ると、見事なアジサイと苺が映っていた。
雨は降っていないようで、苺は大きなアジサイの花を両手で包み込むようにし、カメラ目線で笑っている。
「わあっ」
テンションが上がり、澪はさっそく返信した。
そうだ。せっかくのチャンスだから、夏のイラストを描かなきゃならないのに、雨でイメージが膨らまなくて困ってるって、苺に相談してみようかな。
というわけでさっそくメールすると、苺から電話が掛かってきた。
「もしもーし、ご相談の件だけどさ」
「う、うん。デート中ごめんね。それで、あの……何かアイデアがある?」
「一昨年の夏、みんなで一緒に海に行ったじゃん」
「あっ、うん。行ったね」
海はキラッキラで、みんなで焼きトウモロコシを食べたんだけど、苺ってば口の周りにいっぱいコーンをくっつけて……そこをオレロンに写真に撮られてたっけ……
「写真いっぱい撮ったじゃん。あのときの写真を見れば、夏のイメージもバンバンに膨らむんじゃない?」
おおっ、それは妙案だ。
いや、すでにあの時のことを思い出し、イメージが湧きつつある。
「苺、いいかも。そうしてみる」
「これで筆が進むといいね」
「うん、本当にありがとう」
「なんのなんの。それじゃ……って、そうじゃなかったよ。苺、澪に話したいこともあって電話を掛けたんだったよ」
「えっ、そうなの?」
「うん、実はさぁ、なんと、澪にお仕事の依頼があってね」
「えっ? お仕事って、イラスト?」
「もちろんそうだよ。衣類メーカーのカタログの挿絵らしいんだ。澪、どう?」
「へーっ、やってみたい」
「仕事を受ける余裕、あるの?」
「うん。大丈夫!」
澪は張り切って答えた。
苺が「あはは」と楽しそうに笑う。
「詳しい話は、今度会って話すからさ。来週とかどうかな? 澪、空いてる?」
「大丈夫だよ」
「オッケー♪ ほんじゃ、あとで連絡入れるね。お仕事頑張ってねぇ」
「うん、頑張る。苺もデート楽しんでね。お仕事の話、ほんとにありがとう」
「あーい」
可愛い返事とともに電話は切れた。
携帯を胸に抱き締め、澪は大きな笑みで大きく息を吸い込んだ。
やったー!
またお仕事もらえるかもしれないんだ。
俄然やる気が出た澪は、さっそくアルバムを取り出した。
そして一昨年の夏の思い出に浸りつつ、楽しく仕事を仕上げられたのだった。
ぷちあとがき
ようやく一話書き上げられました。ほんと嬉しい。
けど、澪になってしまって……
急にこのストーリーを思いついてしまい、澪になっちゃいました。
肩透かし食らった方、ごめんなさい。(;^_^A
たぶん、次はこの続きで苺か爽視点になるかなと思います。
苺が紹介してくれるという仕事、衣類品メーカーのカタログの挿絵……ということは? たぶん……笑
では、ちょっぴりでも楽しんでいただけたなら嬉しいです♪
お読みくださり、ありがとうございました。
fuu(2017.10.6)
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