続苺パニック




7 尊敬の念(健太



屋敷のスタッフからシャンパングラスを受け取った健太は、光の粒を煌めかせているシャンパンを見つめて、思わずため息を落としそうになった。

藤原が金持ちだということはわかっていたことだ。

だが、これほどとはな。

執事がいても、確かにおかしくないよな。

執事の吉田は、真美から聞いていた通り、実直で気のいい老紳士だった。

爽の両親と祖母は、健太の想像とはかなりかけ離れていたが……

妹の苺から聞いていた羽歌乃は、もっと砕けた感じの老婦人の印象だったのだが、実際はとても威厳があった。
ビジネスをバリバリやっていそうな感じだ。

いまは、健太と真美の息子を抱いているので、その威厳はかなり半減している。

苺が言っていたように、羽歌乃は真理に会いたくてならなかったようだ。

いま、真美と羽歌乃は、真理を間に挟み、いい感じで触れ合えている。

そして、爽の父の駿は、とんでもなく切れ者の印象を受けた。

なのに洒落の利く人のようで、絶えず笑いを提供してくれる。
父の宏と馬が合うようで、いまも、なにやら会話を楽しんでいる。

母の節子のほうは、この場の雰囲気にかなり気圧されていたようなのだが、爽の母である一花が、うまく場に馴染めるようにと気遣ってくれている。

気遣いで言えば……
先ほどの爽の行動……ちょっと感心したよな。

爽がイチゴを食べて見せたのは、この場を和ませようとしてなのに違いない。

あれのおかげで、いくぶん硬くなっていた両親や真美は、ぐっと和らいだ気がする。

「では、シャンパンもお手元に届きました様ですので、爽様、苺様の御婚約を祝しまして、乾杯を致したく思います。では大奥様、よろしくお願い……」

「ちょっと、善一」

朗々と口にしていた吉田に、健太や真美と並んで立っている羽歌乃が呼びかけた。

「は、はい。大奥様」

「私はいま、まこちゃんを抱っこしてるから無理よ。駿さん、貴方がなさい」

羽歌乃が居丈高に言う。

羽歌乃から命じられた駿はウインクして、グラスをさっと持ち上げた。

「この日を迎えられて、とんでもなく嬉しい。苺さんのような可愛らしい女性を射止めた息子を褒め称えたい。爽、苺さん、婚約おめでとう」

駿は「乾杯!」と言いつつ、グラスを高々と上げる。

健太も、みんなとそれにならう。

さらにスタッフらが、盛大に拍手する。見れば、みんな感激している様子だ。

どうやら爽は、屋敷の使用人たちにとても愛されているらしい。

彼らは、苺も大事にしてくれそうだよな。
兄としては、ほっとしてしまう。

しかし、苺が婚約か。

いまさら、しみじみ感じいってしまう。

苺は、いずれ剛と結婚するものと思っていた。
それは鈴木家全員の思いだった。

そして、剛本人も……

まさか、別の男が突如現れて、半年も経たずに婚約ということになるとはな。

しかも現れた藤原爽は、とんでもない男で……

苺と爽では、似合わないと思っていたんだが。

健太は、パーティーが始まり、解禁となったイチゴを頬張っている妹を見やる。

今日も素晴らしく念入りに着飾っていて、自分の妹ではないかのようだ。

宝飾店に勤め始めたころから、苺はどんどんあか抜けていった気がする。

そんな苺と顔を合わせるたびに、剛は焦りを見せていた。

なのに、当人の苺は、そんなことにもまるで気づいていなかった。

剛のことを考えると、どうにも切ないが……もう決着がついてしまったんだものな。今更どうこう言っても、しょうがない。

剛はいい男だし、あいつには、いずれ苺以上の相手が現れるさ。

そう気持ちを納得させ、健太は周りを見回した。

さて、みんなそれぞれにおしゃべりしながら食べ物を口に運び始めているし、真美にも何か食べさせてやらないと。
彼女は、自分から言い出せるタイプじゃないからな。

健太は、羽歌乃が抱いている息子を気にしつつ、イチゴだらけのテーブルにちらちらと視線を向けている真美の腕を取った。

真美が健太を見上げてくる。

「あの大きなイチゴ、君も食べてみたいだろ?」

そう尋ねたら、真美は少し頬を染め、こくんと頷く。

その様に、健太の胸がきゅんとする。

やっぱり真美は、苺の千倍は可愛いよなぁ。

「あらまあ、あのテーブル、イチゴだらけね」

いまになって気づいたのか、羽歌乃はいまさらそんなことを口にする。

どうやら、真理ばかりに気を向けていて、周りはまるで見えていなかったようだ。

「まこちゃんは、まだまだ食べられないわねぇ」

羽歌乃は真理に向けて話かける。
真理は、その小さな頭で何を考えているのか、羽歌乃の顔をじーっと見つめている。

「はい。離乳食は五ヶ月くらいからなので」

「そう。なら、真美さんにたくさん美味しいものをいただいてもらって、まこちゃんには美味しいお乳を飲んでもらいましょう」

羽歌乃は意気揚々と真美を促がし、イチゴばかりのテーブルに向かう。
健太は真美と笑い合い、羽歌乃の後についていった。

羽歌乃に勧められるまま、真美はイチゴを美味しく味わい、「おいしい」と目尻を垂らす。

そんな妻を慈しみつつ、健太もご相伴に預かった。

とはいえ、健太としてはデザートよりも、まずはオードブル系のほうが食べたいのだが……

でも、真美がイチゴを満足するだけ食べてからだな。

そう思いつつ、ずらりと並んでいる美味そうなオードブルに視線をやっていたら、「失礼いたします」と横合いから声をかけられた。

振り返ると、刀でも腰に携えているんじゃないかと思うほど凛々しい男がいた。

目が合うと、きっちりと礼をしてくる。

江戸時代の武家屋敷から時を遡ってやってきたのではないかと思うくらい、武士を彷彿とさせる男だな。

そしてその男の隣には、綺麗な女性が……

いや、違うな。男だな。

そうだ……確か、岡島とか言ったか……

苺から、『岡島さんは女の人みたいに綺麗なんだよ』と聞かされていたのが、この男なのに違いない。

「私は藍原要と申します。そしてこちらにおりますのは、岡島怜です。我らは、爽様のビジネスの補佐をしております」

この藍原という男、語り口調まで武士なんだな。

このふたりの名は、苺や爽との会話でちょくちょく聞いていたが、本人と会うのは今日が初めてだ。

改まって頭を下げる怜に、健太は軽く頭を下げ返し、ふたりに挨拶を返す。

「御存じなのでしょうが、私は鈴木健太。苺の兄です。それと妻の真美と、息子の真理です。どうぞよろしく」

真美と真理も紹介すると、真美は微笑み「よろしくお願いします」とふたりに頭を下げる。

うーん、やっぱり俺の真美は最高に綺麗で可愛いな。

一児の母とは思えない愛らしさだ。

今日のドレスがまた似合ってるんだよな。授乳に支障のないドレスがあるというので、ふたりで買いに行ってこれを選んだ。

真理は母の節子に預けて行ったので、午後の三時間ほどという短い時間だったが、ひさしぶりに恋人気分を味わえた。

姑と嫁という関係も、とてもうまくいっていると思う。

実は、結婚を決めた当初、健太は親と同居する気はなかったのだ。

両親も別々でいいと考えていたし……だが、真美が強く望み、同居することになった。

真美は父親を早くに亡くし、母親とふたりきりで暮らしていたのだが、その母親も真美が就職してすぐに亡くなったのだ。

その後、数多いライバルたちを蹴落とし、真美と付き合い始めたから、健太は真美の母親とも会えていない。

会いたかったよな。
会って、娘さんをくださいと、許しを得たかった。
そして娘さんを絶対にしあわせにしますと、誓いたかった。

「あの、もしよろしければ、怜にも真理さんを抱かせてくださいませんか?」

藍原が丁寧にお願いしてきた。

さらに岡島も、「お、お願します」と頭を下げてくる。

「ああ、はい。もちろん、抱っこしてやってください」

真美が笑顔で言い、真理と、真理を抱いている羽歌乃に振り返る。

羽歌乃は大人気なく、はっきりと渋い面をする。

「まだ抱っこし始めたばかりなのよ。岡島さん、貴方の番はもう少しあと……あっ!」

どこから現れたのか、苺が真理を羽歌乃から攫うように取り上げた。

「そんなの~は、ダメで~す」

歌うように言った苺は、真理を岡島に差し出す。

「はーい、まこちゃん、このひとが岡島怜さんでーす。すっごい美人さんですよぉ」

苺はそんな紹介とともに、驚いて手を差し出した岡島の腕に真理を渡した。

「も、もおっ。苺さん」

羽歌乃が不服そうに声を荒げる。

けれど苺は、まったく気にしない。

「順番、順番。まこちゃんは、今日のこのパーティーの華ですからねぇ。みんな抱きたいんですから、羽歌乃おばあちゃんがひとり占めしちゃダメですよ。まこちゃんをひとり占めしていいのは、お母さんの真美さんだけです」

きっぱり言われ、羽歌乃は渋々承知する。

抱かせて貰った岡島は、それはもうしあわせそうな笑みを浮かべた。

健太は笑いが込み上げてならなかった。

我が妹は、どこに行っても、誰が相手でも変わりない。

尊敬の念すら覚える健太だった。



つづく





   
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