苺パニック


再掲載話

「苺パニック5」の冒頭のお話になります。
(北の国から戻ってきた翌日、爽のお屋敷で苺が目を覚ますところからです)

書籍に合せて、改稿及び加筆させていただいています。


『喜びいっぱい』


「鈴木さん」

呼びかけとともに、少し荒っぽく身体が揺すられ、苺は瞼を開けた。

目の前に店長さんの顔があった。

「ようやく起きましたか……」

「はふい」

苺はあくびと一緒に答え、目を擦った。

「時間ですよ。ほら、さっさと起きて……」

苺の背中に手を当てた店長さんは、命じるように言いながら、ぐいっと彼女の上半身を起こす。

「もう……そんな時間ですか?」

まだ半分閉じている瞼を、なんとかこじ開け、苺は首を回して窓の方を見た。だが、カーテンがきっちりと閉まっているので、外の光はあまり入ってこない。

「今日は一時間早く行きたいんですよ。店までは、少々時間がかかりますし……朝食を食べたら、すぐに出ますよ」

店長さんは口にしつつベッドから離れて行き、さっとカーテンを開いた。

光が差し込んできて、一瞬にして朝がきた感じだ。

「ゆっくり朝食を食べたいのでしたら、早くしないと……デザートのイチゴヨーグルトも、なしということに……」

一瞬にして残っていた眠気は吹っ飛んだ。

焦りながらベッドから転がり降りた苺だったが、二歩足を進めたところで、ぎょっとして足を止めた。

ぎゃほん!

バスローブが、用を足していないほどはだけている。

な、なんてこった!

男物の下着が丸見えじゃないか!

驚きに固まっていた苺は、ハッとして店長さんに振り向き、バッチリ目を合わせた。

「あわわわわ」

慌てふためいた叫びをあげた苺は、バスロープの前を必死になって掻き合わせた。

「み、見た? み、み、見た?」

「見ていませんよ」

「裸だったわけではないのですから、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

やたらそっけなく店長さんは答える。

そんなもの、見たいものかと言わんばかりだ。

「では、私はシャワーを浴びてきますので、貴女も顔を洗ってさっさと着替えるように」

命じるように言った店長さんは、さっさと寝室から出て行った。

店長さんの態度には、なんか割り切れないものを感じるが、見たかもしれない人物がさっさといなくなってしまったのに、ひとり騒いでも虚しい。

店長さんはなーんとも思わなかったみたいだしぃ。

それにしたって、あの態度と言動……

むーーーーっ!

苺はほっぺたを最大まで膨らませた。

苺は、可憐な乙女だってのに……なにも好き好んで、こんな黒パンツなんぞ履きはしないんだ。

ぷりぷりしつつも、苺は急いで服を着替えた。

下着を穿き替えるつもりだったが、やはり迷う。

黒パンツ……いま脱いだら、もう二度と穿かないよね。

やっぱり、それって、もったいないよね。新品だったのに……

かといって、店長さんに返せるはずもない。

となれば、今日一日穿いておくとするか。

そう決めて、バスローブを脱ぎ、洋服だけ着替える。

それにしても、ボスシェフさんの朝食、楽しみだなぁ。

あっ、そういえば、おにぎり……

おにぎりは、店長さんの好物だ。

朝食に作ってあげたら、すっごい喜ぶんじゃないかなぁ?

脳裏に、店長さんの喜ぶ顔が浮かび、苺はそわそわしてきた。

よしっ、作っといてあげよう。

そうと決まれば、早くしないと……

苺はドアに駆け寄り、開けて外を覗いた。

およっ。

なんと、いいタイミングで善ちゃんが歩いてくる。

「あっ、善ちゃんだぁ」

苺は部屋から出て、善ちゃんに駆け寄った。

「善ちゃん、おはよう」

「はい。鈴木様、おはようございます」

おにぎりを作らせてもらいたいけど……そんなことはさせてもらえないかもしれない。

「ねぇ、善ちゃん、お願いがあるんだけど」

おずおずと切り出す。

「お願いでございますか? この善一に」

畏まって驚く善ちゃんに、笑みを浮かべ、苺は頷いた。

「この善一に、なんなりとお申しつけくださいませ。それで鈴木様、お願いとは……」

「爽に、おにぎりを作りたいんだけど……」

「は? おにぎり……でございますか? 爽様に?」

善ちゃんは、ものすごーく面食らったらしい。

やっぱりか。店長さん、お屋敷では食べさせてもらえてないんだ。

それで、珍しがって、苺のおにぎりを食べたがるのだろう。

「爽は、すっごくおにぎりが好きなんで、こっそり作って喜ばせたいんです」

「あの、爽様は、まだ寝ていらっしゃるのでしょうか?」

「いま、シャワー浴びてるんですよ。いまのうちに作って、ジャーンって出して、ビックリ喜ぶ顔が見たいんです。だから、善ちゃん、お願いします」

両手を合わせ、拝まんばかりにお願いしたら、善ちゃんは「それでしたら」と頷いてくれた。

苺は大喜びで、善ちゃんの腕を引っ張るようにして、厨房に向かった。

苺が善ちゃんに続いて厨房に入ると、厨房で朝食を用意している真っ最中だった、スタッフさんを驚かせてしまったようだった。

それでも、おにぎりを作りたいとお願いすると、それはもう大歓迎でおにぎりを作らせてもらえた。

ただ、残念なことに、ボスシェフさんは出かけていて留守だった。

材料はスタッフさんが用意してくれ、苺は握るだけでよかったので、あっという間にできあがる。

すると、スタッフさんたちが、それぞれ載せるお皿を差し出してくれる。

どれも甲乙つけがたい素敵なデザインで、苺は迷いつつも、一つを選んだ。

ただのおにぎりが、その皿に載せただけで、メチャクチャおいしそうに見える。

やっぱり、器ってのは大事だねぇ。

そんなことを思いながら、苺はおにぎりを載せた皿を手に、店長さんの部屋に駆け戻った。

善ちゃんの話だと、店長さんは部屋にいない苺を探したらしい。

黙っていなくなったことを、怒っているかもしれないが、このおにぎりを見せたら、絶対にご機嫌になるはず。

「鈴木様、そんなに急いでは、おにぎりが落ちてしまいますよ」

後ろから善ちゃんが声をかけてくる。

苺は、スピードを落とすことなく、「大丈夫ですぅ」と叫び返した。

店長さんの部屋に着くと、ドアの前に藍原さんがいた。

「朝から、かけっこですか? お元気ですね」

苦笑しつつ声をかけてくる。

藍原さんの視線は、苺の手にしているおにぎりに向けられた。その途端、藍原さんは楽しそうな顔になった。

「藍原さん、おはようございます」

「藍原君、爽様は?」

「私もいま来たところなのですよ。ノックをしようと思ったら、おふたりがいらしたので。……おや、おふたりだけではなかったようですね。朝食運搬隊を引き連れていたとは」

藍原さんの表現に、苺は声を上げて笑った。

藍原さんの言う通り、苺のバッグには、朝食を運ぶスタッフさんが着いてきていた。

「ところで鈴木さん、昨日まで、いったいどこに行って……」

藍原さんがそう口にしたところで、店長さんの部屋のドアが勢いよく開いた。

もちろん、開けたのは店長さんだ。

「騒がしいな」

皆に向けて文句を言った店長さんは、苺にムッとした顔を向けてきた。

「苺、いったい何をして……」

苺は、ここぞと手にした皿を見せた。

「爽、これ」

店長さんは一瞬面食らった顔になったが、おにぎりをじっと見つめる。

ふふっ。

驚いてる驚いてる。

「これは?」

「いま、作ってきたんです。まだ作りたてであったかいし、いつもよりぐんと美味しいと思うですよ」

苺は鼻高々で告げた。

店長さんは、一瞬黙り込んだが、すぐに我に返ったように瞬きした。

顔をしかめて全員を見回し、「コホン」と咳をする。

「朝食の準備をしてくれ」

その指示に、スタッフさんたちは先に部屋に入って行った。

「そのおにぎり、鈴木さんが作ったんですか?」

藍原さんに聞かれ、、苺は「はい」と答えた。

「とても美味しそうですね」

藍原さん、ちょっと羨ましそうだ。

「藍原さんも食べたいんですか?」

藍原さんに尋ねたら、店長さんに腕を取られた。

「藍原には、スタッフがいくらでも作ってくれますよ」

「ええ。これに手を出したら、狼に牙を剥かれそうだ」

「狼?」

なんで、急に狼?

「藍原君」

よくわからないでいたら、善ちゃんが叱るように藍原さんに声をかけた。

これって、苺、からかわれたのかな?

確かに、藍原さんは楽しそうに笑みを浮かべている。

「牙を剥いた狼なんか、どこにもいないから大丈夫ですよぉ」

苺は、からかいに対抗して言ってやった。

「いえ。いるかもしれませんよ、苺」

店長さんがそんなことを言い出し、苺は首を傾げた。

話の成り行きがよくわからない。

すると店長さんは、藍原さんに「なあ、要?」と鋭い眼差しを向けて同意を求めた。

な、なんだ?

藍原さんは、店長さんから身を守るようなふりをし、一歩後ろに下がる。

「これは……もう退散したほうがよさそうですね。では」

笑いを堪えながら頭を下げ、藍原さんは急ぎ足で去って行った。

「行っちゃった。……藍原さん、急にどうしたんでしょうね?」

すると、善ちゃんまで、すぐに戻ると言いながら、その場から消えた。

店長さんとふたりきりになり、苺は問いかけるように店長さんに視線を向けた。

「さあ、朝食をいただきましょう」

そう言いながら、店長さんは苺からおにぎりを取り上げる。

そうだった。おにぎり。

「あ、あの。店長さん、おにぎり……」

「ええ。とても嬉しかったですよ。苺、ありがとう」

満足すぎるお礼の言葉と、嬉しそうな爽の顔を見て、苺は喜びいっぱいに胸を膨らませたのだった。





 
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