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早く家に着かないかな。
このブローチをつけたところを、店長さんに見てもらいたいのに……いまは、運転中で見てもらえない。
苺は、ブラウスの襟につけたイチゴのブローチに視線を向け、にやついた。
むふふ。可愛いなぁ。
それにしても、羽歌乃おばあちゃんってば、まさか河童が手にしているイチゴの中に、こんなものを仕込んでいたとはね。
こいつが転がり出てきた時には、本当にびっくりしたよ。
「ぷふっ」
苺は小さく噴き出した。
店長さんがこちらをちらりと見たのに気づいて、視線を向ける。
「どうしました?」
「色々思い出しちゃって。センブリ茶のこととか、河童になってたりとか……もう、マジありえないですよ」
そう言いつつケラケラ笑ってしまう。
「では……もう、恐くありませんか?」
からかうように聞かれ、苺はうーんと考え込んだ。
そうなんだよね。
恐そうなおばあゃんだと思ってて……会うのを渋ってたんだけど……
「いまは恐くないです。まあ、お小言は、会うたびにもらいそうな予感がするですけど」
真面目に言ったら、店長さんが笑う。
「おばあちゃん、明日もお店に来ます?」
「どうでしょうか……祖母は、私にも予想がつきませんからね」
うんうん。そんな感じだよ。
おっ、おしゃべりしてたら、もうすぐ我が家に到着だ。
車だと早いねぇ。
それにしても、夕ご飯楽しみだなぁ。
なんせ今日は元日だもんね。
お節やら何やらで、とんでもなく豪勢な筈だよ。
しかも、店長さんというお客様までいるんだからねぇ。
これはもう期待できる!
わくわくしながら、車が止まるのを待つ。
「店長さん、どうですか?」
車が停車し、苺はすぐさまイチゴのブローチを、店長さんに見せびらかした。
こちらに振り返り、ブローチを目にした店長さんの顔がしかめられる。
ありょっ? 思ってたのと反応が違うんですけど……
「お似合いですよ」
店長さんときたら仕方なさそうに言う。まるで、認めたくないのだがと言わんばかりだ。
「似合うと言いつつ、どうして顔をしかめてるんですか?」
「面白くないからですよ」
面白くない?
「はい?」
意味がわからず問い返したのに、店長さんはさっさと車から降りる。
苺も降りようとしたが、手にしている河童のぬいぐるみを見て、ちょっと慌てた。
考えたら、このまま家に持って入るというのは、まずいんじゃないか?
河童を見たら、それはなんだと尋ねられるに決まっている。
このまぬけ面の河童を、一日中、背中に担いでいたなんて……特に健太には知られたくない。
あの兄のことだ、今後、『河童一号』なんてとんでもない名で、苺を呼ぶようになるに決まっている。
仕方がない。
コートの中に隠して家に入るとしよう。
そして、真っ先に苺の部屋に置きに行けばいい。
「鈴木さん、どうしました?」
なかなか降りてこない苺に痺れを切らしたか、店長さんが助手席に回り込んできた。
「河童を見られないようにしないとと思って」
そう伝えながら、車から降りる
「何故、これを見られては困るんです?」
「こいつを背中に担いだまま仕事してたなんてわかったら、からかわれるに決まってるからですよ」
「別にからかわれたからといって、どうということもなさそうですが」
「何言ってんですか? お兄ちゃんに知られたら、これから先ずっと、苺は、『河童一号』って呼ばれ続ける羽目になるですよ」
「河童一号?」
そう口にした直後、店長さんは腰を折って笑い出した。
ツボを突かれたのか、なかなか笑い止もうとしない。
「店長さん!」
「すみません。くっくっくっ……」
「もお。早く家に入るですよっ!」
プリプリして言ったら、ようやく店長さんは笑いを収め、車のトランクに回る。
苺も河童とバッグを手にして、店長さんについて行く。
トランクの中には、お正月らしい包装をされた箱が入っていた。
店長さんはそれを取り出す。
「それ、なんですか?」
「清酒です。鈴木さんのお父様とお兄様は、お酒がお好きなようですから、喜ばれるのではと思って」
「そりゃあ、ふたりとも喜ぶと思いますけど……店長さん、そんなのいったいいつ用意したんですか?」
「もちろん、頼んでおいたのですよ」
その一言ですべて片付くというように店長さんは言い、苺にお酒の箱を持たせた。
そんなに大きな箱ではないから、重くもないのだが、コートの間に河童を隠し持っているので、ちょっと持ちにくい。
店長さんのほうは、ボストンバッグを二個取り出し、両手に提げた。
「ずいぶんと大荷物ですね」
苺は思わず言った。
今夜泊まる話になっているから、これは店長さんの着替えなんだろうけど……ボストンバッグ二個だなんて……
ひとつはそんなに大きくないし中身もそれほど詰まっていなさそうだが、もうひとつは一回り大きなボストンバッグで、中身がパンパンに詰まっている。
「これは……まあいい、さあ、行きましょう」
なにやら言おうとした店長さんは、口にするのを止め、苺を促がす。
ちょっと気になったけど、ひとの荷物について、あれこれいうのもなんなので、苺は玄関に向かった。
呼び鈴を鳴らし、「帰ったよぉ」と叫びながら、玄関を開ける。
鍵はかかっていなかった。
家に入った苺は、店長さんに振り返った。
「店長さん、苺、先に自分の部屋に……」
靴を脱いで片足を家に上げたところで、母がやってきた。
「お帰りぃ。藤原さん、さあ、上がってくださいな」
「はい。お邪魔させていただきます」
店長さんがそう挨拶したところに、奥から父もやってきた。
「ふたりとも、お疲れさん。上がって温まるといい」
「はい。ありがとうございます」
父に向けて丁寧に頭を下げた店長さんは、両手に持った荷物を上がり口に置き、苺に振り向いてきた。
「苺、それを」
「ああ、はい」
苺は胸に抱えていたお酒の箱を、店長さんに差し出した。
その拍子に、苺のコートの中から河童が転がり落ちる。
「あっ、あっ、あっ」
涎をたらしただらしない顔の河童は、苺の叫びのリズムに乗るように、コロ、コロ、コロと家の奥に向かって転がってゆく。
「なんなの、これ?」
しゃがみこんだ母は、河童を掴み上げ、訝しそうに眺める。
「そ、それは……、お母さんいいの! 返して」
母からひったくるようにして河童を取り戻した苺は、急いでコートの中に隠した。
「な、なによ。その河童、いったい、なん……ああ、わかったわ」
わ、わかった?
「お、お母さん、まさかお店に来たの?」
「お店? 何言ってんの。行く暇なんかないわよ。午前中はやっちゃんとこに行ってたし、午後はここに親戚が集まって大騒ぎだったもの」
「そっか。そうだよね。でも、そんじゃわかったってのは、何がわかったの?」
「おいおい、お前たち。こんなところでいつまでしゃべり続けるつもりだ。藤原君を早く上がらせてやれ」
父の叱責に、口を閉じて振り向く。
母とやりとりしている間に、店長さんから受け取ったようで、父はお酒の箱を手にしている。
「あ、そうよね。ごめんなさいね。苺がおしゃべりだもんだから」
母の言葉に、苺はむっとした。
な、なんで苺が悪いことになるのだ?
「あの、この荷物を、苺さんの部屋に運ばせていただいてよろしいですか?」
「ああ、はいはい。どうぞ、どうぞ。苺、ひとつはあんたのでしょ? 自分で持って行きなさいよ」
いやいや、それは店長さんの荷物で、別に苺のじゃないんだけど……わざわざそれを言う必要もないか……
「それじゃ、店長さん。ひとつ持ちますよ」
ボストンバッグを受け取ろうと手を差し出すと、店長さんは小さいほうを差し出してきた。
ボストンバッグと河童を持ち、苺は店長さんと自分の部屋に向かった。
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