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自分の部屋に入り、ボストンバッグを床に置いた苺は、河童を机の上に載せた。
「やれやれですよ。まさか落っことしちゃうなんて……」
間抜け面の河童だが、こうしてみると愛嬌がある。
それにしても、話が中途半端になったけど……
お母さん、この河童の何がわかったっていうんだろう?
店には来ていないって言ってたし……
もしや、近所の誰かが、店頭にいた苺を見て、お母さんに報告したのかな?
ありえるな。
……ということは、あのやっかいな兄健太にも、すでにばれているということなのか?
あーあ。兄貴のやつ、顔を合わせたら、即行、からかってくるに違いないよ。
嫌だなぁ。むーっ。
「鈴木さん?」
店長さんの呼びかけに、苺は唇を突き出したまま振り返った。
「どうしたんです? ……その河童のことですか?」
苺は頷いた。
「苺がこいつを背中にくっつけて接客してたこと、もう家族全員にバレちゃってるのかなって……」
「どうしてそう思うんですか?」
「お母さんが、転がった河童を見て、わかったって言ったんですよ」
「そうなのですか」
「兄貴、絶対からかってくるですよ。あーあ、苺、これからずっと、『河童一号』って呼ばれることになっちゃったのかも」
店長さんが噴き出しそうにする。
苺がじろりと睨むと、噴き出すのを堪え、にっこりする。
「可愛い呼び名だと思いますが?」
そんな言葉を口にする店長さんを、じーっと見る。
何言ってんだ。と言ってやりたい。
さっき、さんざん笑い転げたくせして。
「可愛くないですよっ!」
むっとして言ったら、店長さんはくすくす笑いながら苺の頭を撫でてくる。
そんなもので誤魔化されやしないぞ、と思うのだが、やさしく頭を撫でられると、自然と気持ちが和んでしまうのだから、いやになる。
まあ、いまさらしょうがないか。
諦めることにした苺は、店長さんの荷物に視線を当て、あっと思う。
「そうだ……あーあ、ワンルームに寄ってくればよかったなぁ」
ここには着替えがあんまりないんだったよ。
「どうしました?」
「着替えがないんですよ。ワンルームに取りに行けばよかったなって」
少ない私服のうち、まずまずのものはワンルームに運んでしまった。
この部屋に残っているのは、部屋着にはいいだろうけど、外に着てゆけるようなものじゃない。
いま着ているブラウスとスカートも、高校生の時から着てるやつで、かなりヨレヨレ。下着もヨレヨレばっか。
店長さん、ワンルームまで車で乗せてってくれないかな?
「あの、店長さん。疲れてるところを申し訳ないんですけど……苺をワンルームまで……」
「着替えでしたらありますよ」
店長さんの言葉に、苺は目をぱちくりさせた。
「はい? ……どこに?」
「ここに」
店長さんは、大きなボストンバッグを指す。
こ、このでっかいのに苺の着替えが?
「ええっ、店長さん、ワンルームから苺の服を取ってきてくれたんですか?」
驚きだよ。なんと気のきくおひとだ。
なんにしても、
「助かったですよぉ」
さすが店長さんだ。
「いえ、そうではありませんよ」
喜んでボストンバッグに歩み寄り、ファスナーを開けようとしていた苺は、その言葉に手を止め、首を回して店長さんに顔を向けた。
「そうではない? なら、苺の着替えはどこにあるんですか?」
ちんぷんかんぷんだ。話が噛み合ってない。
「ですから、それですよ」
それと指すのは、やはり、苺がいま開けようとしていた、でっかいボストンバッグ。
「そうではないって、言ったじゃないですか?」
「ワンルームから取ってきたわけでありませんから」
「えっ! それじゃ、どこから?」
苺の着替えは、この部屋とワンルーム以外にはないんだけど。
眉を寄せた苺は、とにかく中身を確かめてみようとバッグのファスナーに手をかけた。
だが、店長さんは苺の手をとめる。
「店長さん?」
「わかりませんか?」
店長さんは、なにやら楽しそうに尋ねてくる。
「何がですか?」
「では、開けてご覧なさい」
ずいぶん意味ありげだ。
ほんとに着替えが入っているのか、少々疑わしくなってきた。
もしや、河童の着ぐるみなんてものが入ってたりして……
あーりーえーるぅ。
苺は唇をすぼめ、用心しつつバッグを開けた。
「あっ! こ、これは?」
バッグの中身をあさり、苺は肩を落とした。
バッグの中に詰まっているたくさんの服は、すべてイチゴ柄だった。
こいつは、北の国に用意されていたイチゴの服だ。
「まさか……これだったとは……」
「鈴木さんのために揃えたものですし……着てくださいますよね?」
頭が痛くなってきた。
北の国ならば、知人はいない。だが、ここは知人だらけだ。
「こんなの着てたら、ご近所さんたちに笑われますよぉ」
「笑われるような服ではないと思いますが。とても可愛くて、何もおかしくありませんよ」
可愛いのが問題だっての。
こんな幼稚なデザイン、中学生でも着ないよ。
いや、小学校の高学年だって着ないかも。
苺がすこぶる否定的な顔をしていたからだろう、店長さんが肩を落とす。
「鈴木さんに着ていただけないのであれば……捨てるしかありませんね」
す、捨てる?
「捨てるのはもったいないですよ」
「ですが、着てくださらないのでしょう?」
苺はひくひくっと顔を引きつらせた。
捨てるか、着るかの選択を突きつけられたーーっ!
そんなの、答えは決まっているじゃないか。
新品の服を捨てるなんてありえないよ。
それがたとえ、幼稚なイチゴ柄であっても。
「……着ますよ」
ぼそぼそっと言ったら、店長さんが「うん?」と言いながら顔を寄せてきた。
「いま、なんと? 聞えなかったのですが……」
まったく、わざとらしいねぇ。
「着るって言ったんですよ!」
苺は店長さんの耳元で、がなりたてた。
うるさいですよと、怒るかと思ったのに、店長さんはしれっとしている。
「そうですか。よかった。持ってきたかいがありましたよ」
くっそぉーっ!
苺、負けちゃってるし。
よーし、見てろぉ。
こうなったら、明日の朝、とんでもなく幼稚な格好をしてやる!
それで、スーツでかっこよく決めた店長さんにぴったりくっついて歩いてやるんだ。
恥を掻くのなら、苺の倍、店長さんには恥をかかせてやる。
苺は、心の中で力強く誓ったのだった。
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