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「おばあちゃん」
みたらしの屋台の前にいるおばあちゃんのもとに駆け寄りながら、苺は呼びかけた。
すでに買う気満々で、おばあちゃんは目をキラキラさせ、みたらし屋のおっちゃんに注文しているところだった。
「へっ? お客さん、何本だって?」
みたらし屋のおっちゃんは、下卑た語りで怪訝そうに聞き返す。
あちゃーっ!
この店は、バッテンだ。
ここのは美味しくないと苺にはわかる。
まったくおばあちゃんときたら、ちゃんと店を選びもしないで並ぶなんて。
とにかく、買うの止めなきゃ。
「百本よ。さっさと包んでちょうだい」
ひゃ、百本だあ?
桁違いの注文数にぎょっとし、苺は一瞬固まる。
「はあっ? ばあさん、ほんとに百本買うってのか?」
屋台のおっちゃんは、疑わしげに聞き返した。
「そう言ってるでしょ」
羽歌乃おばあちゃんは、高飛車な態度で不機嫌そうに言い返す。
「だ、駄目駄目!」
苺は慌てて、おばあちゃんとみたらし屋のおっちゃんの間に割って入った。
「いまの注文、悪いけどキャンセルね。おばあちゃん、ほら、こっち来て」
「ま、まあ、苺さん、なんなの? わたしはおだんごを……」
「なんだ、ばあさんボケてんのかよ?」
おっちゃんの声は小声だったが、『ボケ』の単語を、苺の耳ははっきり聞き取った。
残念ながら、おばあちゃんの耳にも届いたらしく、おばあちゃんは苺にひきずられながら後ろを振り返り、「んまあああ〜」といきり立った声を上げる。
「おばあちゃんってば、駄目ですよ。店はちゃんと選ばないと。それに、いくらなんでも百本はないですよ」
「屋敷の者全員に食べさせるのだから、それくらいは必要よ」
ああ、そういうことなのか。
それにしても……
「あのお屋敷、百人もひとがいるんですか?」
「そんなにいるわけがないでしょう。二十人ほどよ」
「そしたら、二十本でいいんじゃないんですか?」
「ひとり五本と計算したのよ」
「おばあちゃん、みたらしだけじゃなくて、他にもいっぱいあるんだし……」
「全部買うつもりよ。爽さん、あなたはそちらの店のものを買ってきてちょうだい。余裕をみて、二十五人分ほど」
羽歌乃おばあちゃんが言っているのは、イカ焼きの屋台だった。
そこのは、美味しそうだったが……
それにしても、全部買うつもりだなんて……そんな大量に買っていったら、もらった相手は美味しさ半減だろう。
そんなにたくさん食べられるはずがないし、余って捨てることになるのが関の山。
だいたい、露店のものって、その場で食べるからこそ美味しいのだ。それが醍醐味。
「羽歌乃さん、全部買うなど、常識外れですよ」
呆れたようにたしなめる店長さんに、苺は噴き出しそうになった。
お賽銭箱に、平然と一万円札をぶっこもうとしたおひとの、言う台詞じゃないと思うけどねぇ。
「おばあちゃん、お屋敷の人を喜ばせたいのはいいことだと思うんですけど、せっかく来たんだから、まずはおばあちゃん自身が楽しまなきゃ。こういう屋台のものって、この場で買って食べるから美味しいんですよ」
「まあ、そんな、外で歩きながら食べるなんて、はしたないわ」
おばあちゃんは、周りで美味しそうに食べている人たちに批判的な目を向ける。
「もう、おばあちゃんってば、お話になんないですよぉ」
苺は顔をしかめておばあちゃんを叱った。
「んまあっ」
苺は羽歌乃おばあちゃんが何か言う前に、おばあちゃんの手を掴んだ。
「もういいから、黙って苺についてきてください」
命令口調で言った苺は、おばあちゃんを引っ張って歩き出した。
ここはひとつ、露店の常識ってやつを、おばあちゃんに教えてやらなきゃなるまい。
まずどこを襲撃しようかと悩みつつ、苺は悠々とついてくる店長さんに振り返った。
気に入っているのか、店長さんはいまだに運転手さんの帽子を被ってて、シックな黒いロングコートを羽織っている姿は、なんとも不思議な雰囲気。
外国の宮殿で警備の任務についている、特別警備官という感じだ。
実際そんな仕事が実在するのかわからないが……
そのとき、苺の鼻先に美味しそうなうどんの匂いが漂ってきた。
苺の胃袋がキューンと鳴く。
かなり冷え込んでいるし、あったかいうどんは最高だ。
よしっ! まずはうどんで決まりだな。
「おばあちゃん、一発目は、おうどんを食べましょうよ」
「うどん? 駄目よ」
「えーっ、なんでですかぁ? ほら、おつゆの匂いがすっごい美味しそうですよ。温かいし、身体もあったまりますよ」
「うどんを立って食べるなんて、できませんよ!」
あちゃーっ!
そんな信念、さっさと捨て去ってくれないかな。
でないと、露店は楽しめやしないよ。
「なら、イカ焼き食べます?」
うどんの隣の露店を指して提案したが、こちらも「とんでもない」と一蹴された。
「もおおっ、あれも駄目これも駄目って、時間がなくなっちゃいますよぉ」
「いいですか? 食べ物を……」
気難しい顔で言いかけた羽歌乃おばあちゃんは、何を目に入れたのか、苺の後方に視線を向けて、口を閉じた。
苺は後ろを振り返り、おばあちゃんの視線の先を追ってみた。
高校生くらいの子たちが三人、顔をつき合わせて立ったままうどんを食べている。
「きゃー、うまいうまい」
「ほんと、あったまるぅ」
「ダシがきいてんねぇ」
それぞれの感想は、ずいぶんと気持ちが入っていて、聞いたこっちも食べたくなってくる。
「んまっ」
羽歌乃おばあちゃんは、否定的な言葉を発する。
苺は店長さんに相談するように視線を向けたが、お手上げというように肩を竦めるばかり。
言い出したら聞かないから、何を言っても無理ってことなんだろうけど……
せっかくここまで来たのに、おばあちゃんに振り回されっぱなしで、何も食べず楽しみもせず帰るなんて、苺はまっぴらごめんだ。
「苺、ちょっと行ってくるです。ふたりとも、ここで待っててくださいね」
言いたいことだけ言い、苺は返事を待たずに駆け出した。
駆けつけた先は、うどんの屋台だ。
苺は着物の帯のところに挟み込んでいた千円札を一枚抜き出し、うどんを二杯買った。
三杯買いたかったのだが、おぼんなどないわけで、三杯は持って戻れない。
けど、たぶん、おばあちゃんはいらないって拒否するだろうから……苺と店長さんで一杯ずついただくとしよう。
ふたりがちゅるちゅる美味しそうに食べているのを見たら、羽歌乃おばあちゃんも、立って食べるなんて行儀が悪いなんてごねずに、食べる気になるかもしれない。
でも、おばあちゃん、うどんを見たら食べるって心変わりするかもな。
まあ……そのときは、苺と店長さんは、一杯をふたりでわけて食べるとするか。
となると……
「おばちゃん、悪いけど、割り箸三本もらえる?」
受け取ったおつりの五百円玉を帯の間に挟み込みながら、苺は頼んだ。
「あいよ」
うどん屋のおばちゃんは、キップのいい声で返事をし、うどんに割り箸を三本つけて渡してくれた。
うわっ、おいしそうだぁ〜
ネギもけっこうのっけてあるし、大き目のかまぼこも一切れ入ってる。それから苺の好きな天かす。
きゃはっ♪
割り箸を載せたうどんのカップを両手に持ち、おつゆを零さないように慎重に歩き出そうとしたそのとき、「苺」と呼びかけられた。
うどんから顔を上げると、目の前に店長さんと羽歌乃おばあちゃんがいた。
「迎えに来てくれたですか?」
苺はうどんをひとつ、店長さんに渡した。
「温かいですね」
苺は笑顔で頷き、もうひとつを羽歌乃おばあちゃんに差し出してみる。
「おばあちゃん、食べますか?」
「まあぁ……」
文句を言いたそうな目で、うどんを見つめるおばあちゃんだったが、意外なことに、あっさりうどんを受け取った。
おやおや、意外だよ。
絶対、いらないっていうと思ったのに……
もしや、うどんの匂いに負けたのか?
笑いを堪えていると、うどんを食べている音が耳に入ってきて、苺は横に並んで立っている店長さんを見上げた。
おばあちゃんが食べるのなら、店長さんに半分っこだって言わなきゃ。
「爽、半分っこですよ」
うどんを食べている店長さんに顔を寄せ、苺は自分の箸を見せつつ言う。
微かにだが、頷いてくれたようだ。
店長さんは、軽快にうどんをつるつると口に入れる。
苺は割り箸をパチンと割り、両手に一本ずつ持って、自分の番が回ってくるのを笑みを浮かべて待つ。
白いカップに唇をつけ、おつゆを啜った店長さんを見て、今度は自分の番と両手を差し出したが、店長さんはそれに気づいてくれず、またうどんを口に入れる。
「店……、そ、爽?」
ずいぶん食べちゃったようだが、苺の分は残っているのだろうか?
店長さんの食べる勢いに、苺はだんだん不安になってきた。
店長さんがかまぼこを箸でつまんだのを見てハッとしたが、驚きから苺が何も言えずにいるうちに、一切れしかないかまぼこは店長さんの口の中に消えてしまった。
はうん……
かまぼこがなくなった事実に、苺は気が抜けた。
「あ、あのぉ〜」
店長さんが手にしているうどんのカップを、爪先立ちで覗き込もうとするが、店長さんの口元にあるカップは、苺の視線より位置が高すぎる。
「うむ」
店長さんはようやく箸を止め、苺に向けて微笑みかけてきた。
苺はうどんのカップの中身がとんでもなく気になりつつも、その微笑みに釣られて笑みを浮かべた。
「美味しかった。身体がとても温まりましたよ」
「そ、そりゃあよかったですよ」
苺は上の空で言いながら、カップを受け取る。
なんか、軽……
カップの中を見た苺は、愕然とした。
ほんの少し、おつゆが残っているだけだ。
うどん一本もないし、苺の大好きな天かすも……
「い、苺の分。苺の分がないですよっ!」
苺は店長さんに噛みついた。
「食べている間、何もおっしゃらなかったので……全部食べていいのかと……」
「半分っこ! って、言いましたよ!」
「そうでしたか」
そらっとぼけた顔で答える店長さんを、苺は涙目で睨みつけた。
この顔つき、絶対、店長さんわざとだ。
「苺さん、わたしのをわけてあげますよ」
にやついているばかりの店長さんに、激しく抗議する気でいた苺は、羽歌乃おばあちゃんを振り返った。
「ほ、ほんとですか?」
おばあちゃん、三分の一くらい食べてるけど……もういらないらしい。
羽歌乃おばあちゃんから、うどんのカップを受け取った苺は、さっそく食べ始めた。
つるつるとうどんを口に入れ、おつゆを一口飲んでプチ満足してから、苺は憎たらしい店長さんをもう一度睨みつけた。
「まったくもう、爽ったら、ひどいですよ!」
苺は店長さんに文句を言い、またつるつるとうどんを口に入れる。
「ちょっと、苺さん」
羽歌乃おばあちゃんから肩を掴まれ、苺はおばあちゃんを振り返った。
「なんですか?」
「なんですかじゃありませんよ。わたしもまだ食べるのよ。返しなさい」
「えっ? おばあちゃん、もう食べないんじゃ……」
「食べるに決まっているでしょう」
羽歌乃おばあちゃんは顔をしかめて言い、苺からカップをもぎ取る。
「えーっ」
「苺」
店長さんの呼びかけに、苺は渋々口を閉じて店長さんに顔を向けた。
楽しげな笑みを浮かべた店長さんは、急に、苺に向けて深々と頭を下げてきた。
店長さんの被っている帽子が落ちてきて、苺は「あっ」と声を上げて受け止めた。
「へっ?」
帽子の中を見た苺は、驚いた。
何か包みが入っている。
「こ、これ?」
包みを帽子から取り出すと、店長さんは帽子を受け取ってくれた。
包みの中に入っていたのはたい焼きだった。
「わあっ、ほっかほかです」
店長さん、苺がうどんを買っている間に、これを買っておいてくれたのか?
「これ、ずっと頭の上にのっけてたんですか?」
「まさか。いまポケットから出して載せたのですよ」
店長さんは、愉快そうに言う。
「爽さん、わたしにもあるのでしょうね?」
「もちろんありますよ」
羽歌乃おばあちゃんに歩み寄った店長さんは、ポケットから取り出した包みを差し出す。
その様子を見て、苺は笑いそうになってしまう。
なんだかんだで、おばあちゃん、すっかりこの状況に嵌り込んだようだ。
うどんは充分堪能するには足らず、かなり残念だったけど、ここは懐の大きいところを見せて、このたい焼きで許してやるとするか。
苺は大口を開け、たい焼きの頭にかぶりついたのだった。
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