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玄関から出た苺は、寒さにきゅっと肩をすぼめた。
「やっぱ、かなり寒いですねぇ」
「ええ、本当に」
今朝の冷えは、これまでになく凄まじい気がする。
ほっぺたなんか、ヒリヒリするし。
「どちらにゆきます? もう決めているんですか?」
「そうですね」
店長さんに顔を向けた苺は、店長さんの口から出てくる白い息を見て、くすくす笑った。
そして、店長さんに向けて、「はあ〜、はあ〜」と大量の白い息を吐き出して見せた。
「まるで怪獣のようですね」
「怪獣?」
店長さんの冗談にテンションが上がった苺は、その冗談に食いついた。
苺流の怪獣の真似をしつつ、苺は店長さんに飛びかかった。
こっちが怪獣なのだから、店長さんは正義のヒーローとかに変身して、苺怪獣を撃退するのがこの場の正しい対応。
なのに、店長さんときたら、苺をぎゅっと抱きしめる。
「ち、違いますよぉ」
店長さんの胸を押し、身を離しながらダメ出しをする。
すると店長さんは眉を寄せた。
「違う?」
「ビシッとか、バシッとか、攻撃する真似してくれないと」
「攻撃? なぜです?」
「だって、苺は怪獣なんですよ」
「それが?」
その返事にかくんと肩を落とす。
「怪獣の相手なんですから、店長さんは正義のヒーローを演じてくれなきゃ」
「ほお」
感心したような声を出す店長さんに、苺は笑った。
「それじゃ、もう一度、行くですよ」
再び、苺怪獣となり、店長さんに襲いかかる。だが、店長さんはまたも苺を抱き締める。
「だーかーら、違いますよぉ」
「反撃しなくても、怪獣の攻撃を止めさえすれば、いいのではありませんか?」
いやいや、そういうこっちゃないんだけどなぁ。
苺は、正義のヒーローごっこをやりたかったのだが。
まあ、いいか。
「それじゃあ、そういうことでいいですよ」
正義のヒーローごっこより、いまは散歩だよね。
苺は、道の両側に視線を向ける。
「で、どっちの方向にゆきます?」
改めて尋ねると、店長さんは少し考えてから口を開いた。
「雪景色を見た、あの場所に行ってみたいですね」
「あそこですか? でも、今日は雪はないし……きれいじゃなくてがっかりするかも」
「あの景色が、どんな風に変化しているか、見たいのですよ」
まあ、店長さんがそう望むのなら、黙って付き合おう。
「わかりました。……あっ、そうだ。手袋があったほうがいいですよね? あとマフラーも。苺、取ってきます」
雪が降っていたときは、忘れなかったのに……
部屋に戻ろうとした苺は、店長さんに手を掴まれた。
「手を繋いでゆけば、手袋がなくても冷たくありませんよ。コートのポケットもある。このままで行きましょう」
「そうですか?」
「ええ。さあ、行きましょう」
苺は店長さんに促されるまま歩き出した。
手を繋ぎ、もう片方の手はポケットに突っ込み、ふたりは早起きのご近所さんと挨拶を交わしながら、目的の場所にやってきた。
「雪がなくなった景色も、悪くありませんね」
「そうですか?」
雪景色のときとは違って、苺の目には特別なところのない普通の景色だけど……
小さな川沿いに舗装されていない小道がくねくねと続いている。
その道を、ふたりは手を繋いで歩いていった。
田舎道は、散歩には絶好の道。
飼い主とわん公の足跡がいくつか残っていて、それがなんともほのぼのしてて、苺は店長さんと笑みを浮かべあった。
十五分ほどのんびり歩き、来たときとは違う道を選んで引き返す。
「朝ごはん食べたら、すぐにワンルームに帰るんですよね?」
道端に転がっている小さな石を、爪先でコツンと蹴りながら苺は問いかけた。
「そうですね」
店長さんも、苺の真似をして小石を軽く蹴る。
ずいぶんと楽しそうで、苺の心もウキウキする。
ふたりはそれぞれ自分の小石を蹴りながら進んだ。
今日は、ワンルームでゆっくり過ごせそうかな。でも……
「夜は、羽歌乃おばあちゃんのところですね」
ちょっと不安になりながら、苺は口にする。
おばあちゃんにしてやられた、苦ーいお茶の味は忘れられない。
また何やら、凄い悪戯をしかけられるんじゃないのかな?
「お昼は、あの店にゆきませんか?」
うん?
苺は店長さんを見上げて、首を傾げた。
「あの店って?」
「常連の店ですよ」
「あ、ああ、ラーメン屋さん?」
「ええ」
ずいぶんと心を弾ませておいでのようで、言いにくいのだが……
「あそこは、まだお正月休みですよ」
店長さんは顔をしかめた。
「休み?」
「いつも五日まではお休みだから、今年もそうだと思うですよ」
「なんだ、そうなのですか……残念ですね」
店長さんは、言葉通り、ひどく残念そうに肩を落とす。
苺は元気づけようと、繋いでいる手をブンブン振った。
「また行けばいいですよ」
苺の励ましで元気が出たのか、店長さんは笑みを浮かべた。
その表情に胸がドキドキしてしまい、苺の頬はほんのり赤らんだ。
「あら? あの、苺ちゃんじゃないの?」
大きな道まで戻ってきたところで、ワンちゃん連れのおばちゃんと出くわした。
近所に住んでいる平田さんだ。それと、ワン公のドンゴロウ。
平田さんは、すいちゃんの親戚のひとだ。
「平田のおばちゃん、おはようございます」
「まあまあ苺ちゃん、ちょっと見ない間に綺麗になってぇ、おばちゃんびっくりだわぁ」
「えへへ、そう?」
苺は照れて笑った。
ドンゴロウが、ワンワンと挨拶するように二度吼え、苺はドンゴロウの前にしゃがみ込んだ。
「ドンゴロウ、元気だね」
「それがそうでもないのよぉ」
「そうなの?」
「それで……苺ちゃん、この方は?」
平田のおばちゃんは、店長さんをさして聞いてきた。
ずいぶんと興味の色を浮かべている。
苺としては、ドンゴロウが、どう『そうでもない』のか、知りたかったのだが……
「藤原です。初めまして」
「あら、まあ、ご丁寧に、どうも」
ふたりが挨拶を交わしている間に、苺はドンゴロウの頭を撫でた。
つやつやな毛の感触が気持ちよい。
生き物ならではのぬくもりを、直接手のひらで感じるってのはいいもんだ。
「あら、苺ちゃん、その指輪」
平田のおばちゃんは、苺の左手の小指にはまっている指輪に気づいたらしい。なぜかひどく興奮している。
「ちょっとぉ〜、おばちゃんに見せてちょうだいよぉ」
平田のおばちゃんは苺の手を取り、楽しそうに指輪を見る。
「これねぇ、藤原さんから貰ったの、可愛いでしょ?」
「まあっ、そうなの」
驚いたように叫んだ平田のおばちゃんは、にこにこしつつふたりを順繰りに見つめてくる。
「おばさん、翠ちゃんの方が先だと思ってたのにねぇ。世の中、わかんないわねぇ」
翠ちゃんとは、すいちゃんのことだ。
しかし、すいちゃんのほうが先ってのは、なんのことだ?
立ち話に飽きたらしいドンゴロウが、散歩の再開を強硬な態度で示し、おばちゃんはドンゴロウに引きづられるようにして歩き出した。
「わかったわかった。ドン、ちょっと……も、もおっ! 苺ちゃんそれじゃあね。あのそれじゃ、これで」
平田のおばちゃんは、苺と店長さんの、それぞれに向けて頭を下げ、ドンゴロウと去って行った。
そのとき、苺のお腹がグーッと鳴く。
「おや」
平田おばちゃんとドンゴロウを見送っていた店長さんが、愉快そうに、お腹を鳴らした苺を振り返る。
うはーっ。は、恥かしい。
「お、お腹、ペコペコですよ。早く帰って朝御飯を食べるですよ」
店長さんのからかいを阻止しすべく、苺は早口に言って店長さんの手を引いて駆け出した。
店長さんは声を上げて笑いながら、苺と一緒に走り出した。
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