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散歩から帰ると、美味しそうな朝食がふたりを待っていた。
父を除いた全員で朝食の席につき、みんなでわいわい話しながら食べた。
父は、昨日の酒が祟り、二日酔いで起きてこられないらしい。
「ドンゴロウと会ったんだよ」
「あら、元気そうだった?」
「うん。見た感じはね。けど、平田のおばちゃんが、そうでもないって言ってた」
「ドン、年末に入院してたからねぇ」
「ええっ、そ、そうなの?」
「ストレスですって」
ス、ストレス? あのドンゴロウが?
そんな繊細そうな犬には、とても見えないが…
見た目じゃないってことか……うーむ。
「平田さん、ずいぶんとドンの散歩を怠けてたらしいのよ」
「そうなの?」
「あのひと、韓流ドラマにはまっちゃってね。数か月あまり、テレビにかじりついてたみたい」
「へーっ」
「それで、獣医さんにこっぴどく叱られたって。犬の散歩を面倒がるなら、犬なんか飼うなって。そりゃあもう、鬼のような剣幕で怒鳴ったらしいわよ、獣医さん」
平田の叔母さんには悪いが、母の語りが面白く、どうにも笑いが込み上げる。
だって、お母さんときたら、まるでその現場を目撃していたかのようにやたらリアルに語るんだものなぁ。
「ドンは、散歩が生きがいって犬だから…」
「ああ、そうだよねぇ。生きがいがなくなったんじゃ、人も犬も、ストレスになるよね。犬ってのは、散歩が生きがいだろうからさ」
「そうとも言えないぞ」
健太の言葉に、苺は兄に向いた。
「どうして?」
「俺の上司の飼い犬は、散歩が大嫌いで、リードを手に取った途端、姿を消すらしい」
健太の話に、苺は噴き出した。
「なにそれぇ、ほんとの話なの?」
「ああ。動物も人間と同じで、性格があるんだよな」
それはそうかも。
昔、鈴木家で買っていた猫のことを思い出して、苺は内心頷いた。
「藤原さんは……犬とか、飼ってないんですか?」
真美さんに質問され、店長さんは首を左右に振る。
「飼っていません」
「羽歌乃おばあちゃんのところも、飼ってないですよね?」
「ええ。祖母も、特別動物が好きということはないようですね。飼ってみようとはしませんし……」
そうなんだ。
おばあちゃん、犬猫とかは嫌いなのかな?
「こちらでも、飼ってはおられませんね?」
店長さんが聞いてきて、苺の脳内に、一匹の猫が浮かぶ。
哀しく、残念な記憶だ。
「まあ、飼ったことはあったんですけどね」
「そうなんですか」
「そいつ、苺をひっかいてばっかりで……それでこいつが、あんまりにも怖がって泣くんで、親戚のところに引き取ってもらったんですよ」
にやにやしながら健太が言う。
苺は兄を睨みつけた。
しかし、残念ながら、それは事実。
「引っ掻く、ということは……猫ですか?」
健太に顔を向けている店長さんの腕を、苺は掴んで揺さぶった。
猫は猫でも、ただの猫じゃないのだ。
そこんところを、はっきり店長さんに言っておきたい。
「そりゃうもう、筆舌に尽くし難いほどの、性悪猫だったですよ」
「そんなことなかったわよ」
「そんなことあったよ!」
母に向けて、苺は食ってかかるように叫び返した。
苺は、なんとか仲良くなろうと、一生懸命友好的に接したのに……そのたびに手ひどく引っかかれて……さんざん痛い思いをさせられた。
「苺、あんたね、自分に懐かなかったからって……可愛かったわよ」
「お母さんは、あいつの正体をわかってないんだよ。相手を見て、猫被ってたんだよ」
苺は腕を組み、プンスカ怒りつつ、母に言った。
こっちは、トラマメのことが可愛くてならなかったってのに……だからこそ、思い出すと悔しくってならないのだ。
好きな相手に嫌われるくらい、辛いことはない。
「ご親戚の家とは……もしかして、伊藤さんですか?」
「そうですよ」
「そうでしたか。どんな猫なのか、会ってみたいですね」
「苺は会いたくないですよ」
とんでもなくトラマメに嫌われてるもん。
顔を合せて、以前のように敵意を向けられたら、落ち込むことになる。
「いちごう、お前が怖がるから、あいつとの仲がうまくいかなくなったんだぞ」
その意見には頷けぬ。
「飛びついて引っ掻いてくるのに、とても仲良くなんてできないじゃん」
「頭が良かったからな。トラマメは」
「トラマメ? 面白い名前ですね」
「苺が名付け親なんですよ」
母の言葉に苺は唇を尖らせた。
名前を付けた頃のことを思い出すと、ちょっと泣きたい気分だ。
「最初はとても可愛かったんですよ。ちっこくて、トラトラしてて。まさか最終的に、本物のトラ化するとは思わなかったですよ」
しょんぼり肩を落としてぼそぼそ言うと、、健太がゲラゲラ笑い出した。
伊藤のおじさんのところに行って、トラマメと顔を合せると、苺にだけ態度が悪い。
真美さんの膝には、乗ったりするのに。
あー、わけわかんない。
苺のどこが気に入らないんだか……
途中までは、あんなにうまくいってたのに……
「トラマメが、苺にだけ態度が悪い理由が、なんとなく分かるけどな」
「へっ? お兄ちゃん、そんなの初めて聞いたよ」
「そりゃあ、口に出して言ってないからな。相手が猫じゃ、はっきりそうと判断できないわけだし…」
「いったいどんなわけが?」
店長さんは興味を見せ、健太に答えを促がす。
「苺が小学校のとき……四年か五年くらいかな。ペンギンのぬいぐるみを誕生日にもらって、ペンタって名前をつけて、すごく大事にしてたんですよ」
なんでペンタが、ここで出てくるのだ?
「ああ。そうだったわね。あのぬいぐるみ……。そういえば、いつだったか、突然なくなって、あんた騒いでたわね」
そうそう、そうだった。
とっても気に入ってて、長いこと大事にしてたから、そりゃあもう必死に探し回った。
でも、結局見つからなかったのだ。
「あれ、俺の推測では、トラマメの仕業じゃないかとな」
「ええっ、ト、トラマメ? うそっ、なんで? お兄ちゃん、ほんと?」
「お前が、トラマメよりペンタを大事にしてると思って、やつは嫉妬してたんだって」
「は、はあっ?」
健太の言葉に、苺は唖然とした。
「あいつはな、お前がものすごく好きだったんだよ」
「そ、そんなはずないよ。だって、いまだってトラマメとの仲は険悪なんだよ」
「それもトラマメにすれば、愛ゆえってやつなんじゃないか。根性がねじくれたトラマメの愛情表現だな。たぶん」
したり顔で言う兄の言葉を、超真剣に聞いていた苺だが、ここにきて、あほらしくなってきた。
「お兄ちゃん、真面目に聞いてたのに…」
「まあ、そう思うんなら、そう思えばいいさ。確かに、普通に考えれば、ちょっとあり得ないよな」
自分で言っておきながら、健太はぷはっと噴き出し、あははと笑う。
苺はそんな兄を、むっとして睨みつけた。
「苺、今夜の夕食はどうするの?」
玄関まで見送ってきながら、母が聞いてきた。
「今夜は、羽歌乃おばあちゃんの家に行くことになってるんだ。だからいらないよ」
「あら、お邪魔していいの?」
「祖母のほうが、苺さんに来て欲しいのですよ。無理に誘ってきたんです」
「そうなんですか? すみませんねぇ、この子がお世話ばかりかけてしまって」
「明日からは、ちゃんと帰って食べるよ」
「わかったわ」
「そいじゃね」
「向こう様で、粗そうのないようにね」
「心配しなくても、大丈夫だよ」
「なら、いいんだけど」
信用のない目を向けてくる母に、苺はわざとべーっと舌を出す。そして、笑いながら玄関から出た。
まったくお母さんったら、やれやれだよ。
「一度、会いたいですね」
車の後部座席に荷物を入れながら、そんなことを言う店長さんに、苺は顔を向けた。
「会いたいって、誰とですか?」
「トラマメ君ですよ」
「えっ! 店長さん、トラマメが男の子だって、なんでわかったんですか? 教えてませんよね?」
「わかりますよ」
自信満々で店長さんは言い、運転席に乗り込む。苺は首を傾げながら、助手席に乗る。
「トラマメの反応が見たいのですよ」
シートベルトを装着しながら店長さんが言う。
「トラマメの反応?」
同じくシートベルトを装着しながら、苺は聞き返した。
「そんなの、わざわざ確認しなくても……」
「……では、私に対して、トラマメはどんな反応をすると思います?」
「それは……わかんないですけど。……けど、トラマメの態度が悪いのは、苺にだけですよ」
「本当に? 二ノ宮君にも?」
「剛?」
苺は唇をすぼめて考え込んだ。
「そういえば……距離を置いてたかなぁ」
「どちらが?」
「どっちもですよ。お互いに……近寄ろうとしてなかったかも」
「ふむ。……私には、どんな態度を取るのでしょうね?」
店長さんに、か?
「鈴木さん」
「なんですか?」
「近いうちに、伊藤さんのところに連れて行ってもらえませんか?」
「それはいいですけど……店長さん、わざわざトラマメに会いに行きたいなんて、ほんと物好きですねぇ」
「では、ぜひ、物好きの要望を聞き届けて下さい」
店長さんはくすくす笑いながらそんなことを言い、ワンルーム目指して車を発進させたのだった。
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