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あー、まだ鼓膜がビンビンするよ。
苺は耳を押さえ、洗面所に向かう。
気持ちよく寝ていたところに、店長さんから「早く起きなさい!」と、大声で怒鳴られた。
びっくりして飛び起きたのだが……無理やり目覚めを迎えて、頭はぼーっとしたままだ。
もう少し、やさしく起こしてくれればいいのにさ……
「ふわわわわぁ〜」
頭の中で店長さんに文句を言いつつ、苺は大きなあくびをした。
ふらふらしながらトイレに入る。
ぼんやり頭でトイレをすませ、今度は洗面台の前に立つ。
まだ眠気が頭に取り付いていて、足元がふらつく。
「苺、おはよう」
ぼんやりまなこで鏡に映っている自分を目にし、苺は挨拶の言葉をかけ、カクンと首を落としてお辞儀した。
あー、眠いなぁ。
冷たい水でパシャパシャ顔を洗うと、少しだけ頭がはっきりした。
苺を少々乱暴に起こしてくれた店長さんは、ワイシャツを着てて、すでにシャワーも浴びたらしく、清々しい様子だった。
苺は、そこできゅっと眉を寄せた。
そうだ。おにぎり。
この間……北の国から帰ってきて、ここに泊まらせてもらったときは、店長さんがシャワーを浴びに行っている隙に、おにぎりを作らせてもらったんだよね。
また作ろうかな。
時間は、まだありそうだし。
よし、なら急がなきゃ。
苺は洗面所から飛び出ていった。
「店長さん……わおっ!」
店長さんに呼びかけた苺は、テーブルの上に、おいしそうな朝食が用意されているのを見て、思わず声を上げた。
「では、いただきましょうか」
窓際の椅子に座って新聞を開いていた店長さんが、立ち上がってやってくる。
「ま、魔法みたいですよ。苺がちょっと洗面所に行ってる間に……」
苺の言葉に、店長さんは愉快そうな眼差しを向けてくる。
「鈴木さんが寝室から出てきたときには、すでに用意してありましたが……」
「ええっ、ほ、ほんとですか?」
てことは、寝起きでぼおっとしてて、苺はこの朝食に気づかなかったってことか。
「さあ食べましょう」
「あっ、はい……」
椅子に座るように促されるが、、おにぎりのことを考えていた苺は迷いつつ返事をする。
「どうしました?」
「店長さん、おにぎりは? なんなら急いで作ってくるですよ」
そう申し出たら、店長さんが苺の全身に視線を注ぐ。
なんだ?
意味ありげな視線に戸惑い、自分の身体に視線を向けた苺は、顔をしかめた。
そ、そうだった。苺、まだ店長さんのパジャマのままだ。
しかも、ズボンを穿いていないので素足が見えている状態。
「作っていただきたいのはやまやまですが……今日の所は、これを食べるとしましょう」
「で、ですね。いっぱい用意してあるし」
顔を赤らめて素直に椅子に腰かけた苺だが、ハッとして腰を浮かす。
「今度はどうしたんです?」
「そ、それが……びしょぬれの服を脱いだまま置いてきちゃってて」
「それでしたら、すでにそこにありますが」
へっ?
店長さんの示すほうを見ると、確かに服が畳んで置いてある。
確認してみたら、苺の服だ。しかも、クリーニングに出したかのように綺麗な状態。
「せ、洗濯?」
いったい誰が? という気持ちで口にしたのだが、店長さんは頷いただけだった。
こんなことは普通のことと考えておいでのようだ。
苺は平然としてられないんだよ! と思ったが、口に出すのはやめた。
下着までも綺麗に洗濯してあって、このことについては、もう触れずにいるのが一番のような気がした。
「ほら、座りなさい。いただきますよ」
「そ、それじゃ」
苺は店長さんの向かい側に腰かけ、朝食をいただいた。
食後の紅茶を飲み終えたところで、店長さんが「苺」と声をかけてきた。
「なんですか?」
「急いで服を着替えていらっしゃい」
「ああ、ですね」
苺は即行で立ち上がり、洗濯してもらった服を手に洗面所に入った。
パジャマを脱ぎ、男子用の黒パンツを脱ぐか悩む。
脱いじゃったら、脱ぎたての黒パンツをバッグに入れて持ち帰ることになるんだよね。
それって、無性に恥ずかしい。
よし。一度ワンルームに寄ってもらって、そこで下着を取り替えるとしよう。
着替えを終えた苺は、お借りしたパジャマを綺麗に畳み、洗面所から出た。
気持ち的には、パジャマを持ち帰り、洗濯してお返したいところなんだけどねぇ。
「店長さん、あの……」
部屋に入りしな、店長さんにワンルームに寄って欲しいと頼もうとしたら、善ちゃんがやってきていた。
「善ちゃん、おはよう」
元気よく挨拶すると、善ちゃんはかしこまってお辞儀する。
「鈴木様、おはようございます」
服を洗濯してもらったお礼を言おうと思ったが、善ちゃんが手にしているトレーに載っているものを目に入れ、心が躍る。
「イチゴヨーグルトだぁ♪」
「苺、ほら、こちらに腰かけなさい」
店長さんの言葉に従い、急いで座る。
瞳を輝かせている苺の前に、イチゴヨーグルトがうやうやしく置かれた。
うはーっ♪
「善ちゃん、ありがとう。ボスシェフさんにもお礼を言っておいて下さいね」
「はい」
善ちゃんは部屋から下がっていき、苺はさっそくスプーンを取り上げる。
「うはーっ、美味しい♪」
のんびり紅茶を飲んでいる店長さんの横で、苺はイチゴヨーグルトを味わった。
朝っぱらから、イチゴヨーグルトを味わえるなんて、最高の一日の始まりだよ。
ご満悦で食べ終わり、善ちゃんのお見送りをもらい、ふたりは屋敷を後にする。
「店長さん、ちょっとワンルームに寄ってもらえますか?」
車が走り出してすぐ、苺は店長さんに頼んだ。
「それは……ちょっと無理ですね。寄っていたら遅刻してしまう」
「えっ! 無理ですか?」
「ええ。寄りたいのであれば、もっと早く言ってくだされば……それで、ワンルームに、どんな用事があるんですか?」
聞かれて顔が歪む。
ど、どんなって。
黒パンツを穿き替えたいだけなんですけど……
そんなこと、口に出して言えるわけないっての!
「苺?」
「た、たいした用事じゃないんで……まっすぐお店に向かってください」
「いいんですか?」
ちっともよくないよ!
でないと、苺は今日一日、男子用の黒パンツのまま過ごさなきゃならなくなるんだよぉ!
胸の奥で叫んだ苺は、ヒクついた笑みを浮かべつつも、こくりと頷く。
「はい。ですよ」
女として、ひどく残念な気持ちに取りつかれながら、苺は答えたのだった。
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