苺パニック


再掲載話

「残念な気持ち」の続きのお話になります。(2014/7/17掲載)
こちらも書籍に合わせて、改稿させていただいています。


『よくわからない雰囲気』



黒パンツ、お店の更衣室で穿き替えるかな?

そうすると、やっぱり脱ぎたて黒パンツを、バッグの中に入れておくことに……なるのかぁ?

う、うーむ。

「ところで、鈴木さん?」

黒パンツのことをどうするか悩んでいた苺は、その呼びかけに慌てて返事をする。

「な、なんですか?」

「どうかしましたか?」

問いかけられ、ちょっとほっぺのあたりががヒクつく。

まさか、黒パンツについてあーだこーだ言えるわけもない。

「なんでもないですよ。店長さんのほうこそ、何か話があるですか?」

「ええ。明日は同窓会に行かれるのでしたね?」

「ああ、はい」

「場所はどこですか?」

「苺の家から自転車で十五分くらいのところですよ。いつもそこでやってるんです。喫茶店なんですけどね」

「喫茶店で同窓会ですか?」

店長さんは、ちょっと意外そうに言う。

店長さんは、同窓会とかってやってるのかな?

ちょっと想像してみるが、店長さんは喫茶店で同窓会なんてしそうにない。

高級ホテルとかかな?

「その喫茶店は大きいんですか?」

同窓会について店長さんに聞いてみたかったが、先に問いをもらってしまい、苺は喫茶店を思い浮かべた。

「うん。そこそこ大きいですよ。お店の端っこのとこに、ちょっとしたパーティーみたいなのがやれるようなスペースがあるんです」

「そうですか。高校の同窓会なのですか?」

「中学校のメンバーですよ。みんな幼稚園の頃から一緒の、幼馴染です。すいちゃんと、あとふたりも同じ高校でしたけど…」

「二ノ宮さんは、同じ高校に?」

「はい。一緒でしたよ」

「……長い付き合いなのですね」

苺は頷いた。

「腐れ縁ってやつですね。ところで、店長さんは同窓会とか行ったりするんですか?」

「案内は来ますが、行ったことはありませんね」

「そうなんですか?」

「鈴木さんのような喫茶店での同窓会ならば、興味がありますが……」

ほお、興味があるのか?

連れていけるものなら、連れてってあげたいもんだけど……

店長さんみたいな上品なひとを連れてったりしたら、みんな仰天しちゃって、大変なことになるだろうな。

「今回のは、同窓会っていうより、お茶会ですね」

店長さんの知り合いでお茶会すればいいかもしんないね。

藍原さんに岡島さん、善ちゃんにボスシェフさん……あと、羽歌乃おばあちゃんとか?

それが現実になったら、なんともすごいメンバーでのお茶会になるね。

「お茶会ですか? 参加費はいかほどなんですか?」

「二千五百円ですよ。ちょっと高いなって思うけど、飲み物以外は食べ放題なんです。フルーツパフェとか、いくつでも頼んでいいんですよ」

「そうなのですか」

店長さんがずいぶん驚いているのを見て、苺は笑ってしまった。

「店長さんとこのボスシェフさんの、イチゴヨーグルトが食べ放題だったりしたら、苺はもうパラダイスですけどね」

「そんな風に鈴木さんから言っていただけて、大平松が聞いたら、とても喜びますよ」

運転している店長さんに、苺は笑みを浮かべて頷いた。

「では、明日は少し早めに店を上がる必要がありますね」

「ああ、いいんですよ。遅刻したってどうってことないし、いつも通りにお仕事終えてから行きますよ」

「いいんですか?」

「はい」

「それにしても、どんな喫茶店なのか楽しみですね。送って行くついでに、内装なども見たいものですが……」

「喫茶店に、そんなに興味があるんですか?」

「ええ。パーティのできるようなスペースというのに興味を惹かれて……。好きなのですよ、色々なお店を見るのがね」

「ははあ。考えたら、店長さんは、喫茶店のマスターなんて似合いそうですよ」

そう言ったら、店長さんが噴き出した。

「確かに、そんな職種も面白そうですね」

愉快そうな店長さんの笑い声を聞きながら、苺は、マスターになって、コーヒーを淹れている店長さんを思い描いた。

うほぉーっ、似合うかもぉ〜♪

もちろん、マスター店長さんの隣には、ウエーターの藍原さんと、ウエイトレスになった岡島さん。

ぷぷぷっ。

ぴらぴらのフリルのついたウエートレスの真っ白エプロンをつけている岡島さんがリアルに浮かび、苺は笑いを堪えた。





ショッピングセンターに到着した。

宝飾店に向かって店長さんと肩を並べて歩きながら、苺はちょっぴりおセンチになった。

店内は、新年を祝う華々しさも色褪せてしまい、どこか中途半端な感じだ。
福袋の販売も終わっちゃって、お正月も終わり。

でも、新年なんだもんね。

新たな気持ちで、一生懸命お仕事に取り組まなきゃ。

そして、店員さんレベルを上げてゆかなきゃだよ。

店長さん直伝の挨拶も、しっかりマスターして……

あれっ、ど、どういうふうに言うんだったっけ?

苺は口の中でブツブツと、いらっしゃいませの練習をしてみる。

「い、いらっしゃいまぁ〜せぇ」

いや、違うな。

「い〜らっしゃい、まっせぇ〜」

あわわ、これはいかん!

えーと、店長さんの教え、教え…

そうそう、礼儀正しさを失くさない…親しげで大袈裟じゃない笑みを、『いらっしゃいませ』に添える? たぶん、そんな感じじゃなかっただろうか?

そんで、ここまでが高校生レベル。

そのうえの大学生レベルが……?

いらっしゃいませの『い』と、『ら』の間に……

あれっ、なんだっけ?

なんか入れるんだよ。なんか…

そうすると、高校生レベルのいらっしゃいませが、ぐいーんと大学生レベルになっちゃうんだよ。

「い、いーらっしゃいませぇ〜」

ちっちゃい『よ』かな?

「いーょ、らっしゃいませぇ〜」

あ、ありえん……滑稽すぎだ。

な、なら……

「いるぅ〜らっしゃ…」

「鈴木さん」

ブツブツと小声で呟いていた苺は、店長さんの呼びかけにぎょっとして顔を上げた。

直伝の挨拶を思い出せない焦りで、いつの間にやらうっかり足を止めてしまっていたらしい。

店長さんは五メートルほど先にいて、苺を見つめている。

「どうしたんです?」

怪訝そうに聞かれ、頬が引きつる。

「な、なんでもないですよぉ」

苺は慌てて店長さんに駆け寄っていった。





「えっ、これですか?」

店長さんが差し出してきたハンガーにかけてあるメイド服を見つめ、苺は思わず言った。

「何か不服でも?」

すでにあからさまに不服たっぷりに言ったってのに、店長さんは苺に猶予を与えるように、問い返す。

「い、いや…不服とかじゃ…この場合、思わずって…まあ、ことでして」

苺はごにょごにょ言いながら、店長さんが持っているハンガーを手に取った。

ちぇっ!

店長さんに背を向け、苺はやさぐれた。

どうやら苺は、下っ端店員に逆戻りらしい。

去年の暮れ以来、ご無沙汰だったメイド服を、苺は残念な気分で見つめた。

「では、鈴木さん、素早く着替えて下さい」

高圧的に命じ、店長さんは悠々と部屋から出て行った。

パタンとドアが閉じ、ひとりになった苺は、「はあ〜っ」と盛大にため息を落とす。

あーあ、ほんとに、終わっちゃったんだなぁ〜、お正月。

振袖を着て、イチゴハッピの三雄傑たちと一緒に、華やかな店頭で福袋を売ってさぁ……それがずっと続くような気がしてたよ。

……でも、もう終わっちゃったんだ。

悲しい気分に浸りながら、苺はこの部屋に運び込まれた、福袋に視線を向けた。

売れ残っちゃって……可哀想に思える。完売してほしかったなぁ。

それでも、あんなに数があったのに、残ったのはこれだけなんだもんね。

きっと、苺の今日のお仕事は、メイド服を着て、この福袋を解体することなんだろう。

ここに運び込んであるってことは、もう間違いないよね。

長いことしょぼくれていた苺は、現実を受け入れ、服を脱ぎ始めた。

冷静になって考えてみれば、苺はまだまだ見習い店員なんだよね。

すっかり一人前の店員さんの気分になっちゃってたけど……まだ準社員なんだもんな。

店長さん直伝の『いらっしゃいませ』も、必死に思い出そうとしてたけど、結局必要なかったわけか……

安心もしたけど、がっかりもする。

服を脱ぎ、頭からメイド服を被る。

お化粧はリップだけで済ませ、苺は更衣室から出た。

「店長さーん、苺の今日のお仕事は、福袋の解体……」

スタッフルームに飛び出て行きながら、店長さんに向けて話しかけていた苺は、ドキリとして動きを止めた。

なんとスタッフルームのテーブルに、店長さんと藍原さんと岡島さんが勢ぞろいしている。三人ともかしこまって座っている。

な、な、なんなの、この堅苦しい空気……

「鈴木さん、早くこちらに」

厳めしい表情で店長さんが呼びかけてきた。

苺は「は、はい」っと焦って返事をし、三人のところに飛んで行った。

「ここに座りなさい」

店長さんに、空いている椅子を指して命じられる。

「は、はいです」

うわーっ、うわーっ、いったいなんなの?

これからいったい何が?

よくわからない雰囲気に気圧された苺は、嫌な汗を掻きながら、店長さんと岡島さんの間にある椅子にちょこんと座ったのだった。





 
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