|
黒パンツ、お店の更衣室で穿き替えるかな?
そうすると、やっぱり脱ぎたて黒パンツを、バッグの中に入れておくことに……なるのかぁ?
う、うーむ。
「ところで、鈴木さん?」
黒パンツのことをどうするか悩んでいた苺は、その呼びかけに慌てて返事をする。
「な、なんですか?」
「どうかしましたか?」
問いかけられ、ちょっとほっぺのあたりががヒクつく。
まさか、黒パンツについてあーだこーだ言えるわけもない。
「なんでもないですよ。店長さんのほうこそ、何か話があるですか?」
「ええ。明日は同窓会に行かれるのでしたね?」
「ああ、はい」
「場所はどこですか?」
「苺の家から自転車で十五分くらいのところですよ。いつもそこでやってるんです。喫茶店なんですけどね」
「喫茶店で同窓会ですか?」
店長さんは、ちょっと意外そうに言う。
店長さんは、同窓会とかってやってるのかな?
ちょっと想像してみるが、店長さんは喫茶店で同窓会なんてしそうにない。
高級ホテルとかかな?
「その喫茶店は大きいんですか?」
同窓会について店長さんに聞いてみたかったが、先に問いをもらってしまい、苺は喫茶店を思い浮かべた。
「うん。そこそこ大きいですよ。お店の端っこのとこに、ちょっとしたパーティーみたいなのがやれるようなスペースがあるんです」
「そうですか。高校の同窓会なのですか?」
「中学校のメンバーですよ。みんな幼稚園の頃から一緒の、幼馴染です。すいちゃんと、あとふたりも同じ高校でしたけど…」
「二ノ宮さんは、同じ高校に?」
「はい。一緒でしたよ」
「……長い付き合いなのですね」
苺は頷いた。
「腐れ縁ってやつですね。ところで、店長さんは同窓会とか行ったりするんですか?」
「案内は来ますが、行ったことはありませんね」
「そうなんですか?」
「鈴木さんのような喫茶店での同窓会ならば、興味がありますが……」
ほお、興味があるのか?
連れていけるものなら、連れてってあげたいもんだけど……
店長さんみたいな上品なひとを連れてったりしたら、みんな仰天しちゃって、大変なことになるだろうな。
「今回のは、同窓会っていうより、お茶会ですね」
店長さんの知り合いでお茶会すればいいかもしんないね。
藍原さんに岡島さん、善ちゃんにボスシェフさん……あと、羽歌乃おばあちゃんとか?
それが現実になったら、なんともすごいメンバーでのお茶会になるね。
「お茶会ですか? 参加費はいかほどなんですか?」
「二千五百円ですよ。ちょっと高いなって思うけど、飲み物以外は食べ放題なんです。フルーツパフェとか、いくつでも頼んでいいんですよ」
「そうなのですか」
店長さんがずいぶん驚いているのを見て、苺は笑ってしまった。
「店長さんとこのボスシェフさんの、イチゴヨーグルトが食べ放題だったりしたら、苺はもうパラダイスですけどね」
「そんな風に鈴木さんから言っていただけて、大平松が聞いたら、とても喜びますよ」
運転している店長さんに、苺は笑みを浮かべて頷いた。
「では、明日は少し早めに店を上がる必要がありますね」
「ああ、いいんですよ。遅刻したってどうってことないし、いつも通りにお仕事終えてから行きますよ」
「いいんですか?」
「はい」
「それにしても、どんな喫茶店なのか楽しみですね。送って行くついでに、内装なども見たいものですが……」
「喫茶店に、そんなに興味があるんですか?」
「ええ。パーティのできるようなスペースというのに興味を惹かれて……。好きなのですよ、色々なお店を見るのがね」
「ははあ。考えたら、店長さんは、喫茶店のマスターなんて似合いそうですよ」
そう言ったら、店長さんが噴き出した。
「確かに、そんな職種も面白そうですね」
愉快そうな店長さんの笑い声を聞きながら、苺は、マスターになって、コーヒーを淹れている店長さんを思い描いた。
うほぉーっ、似合うかもぉ〜♪
もちろん、マスター店長さんの隣には、ウエーターの藍原さんと、ウエイトレスになった岡島さん。
ぷぷぷっ。
ぴらぴらのフリルのついたウエートレスの真っ白エプロンをつけている岡島さんがリアルに浮かび、苺は笑いを堪えた。
ショッピングセンターに到着した。
宝飾店に向かって店長さんと肩を並べて歩きながら、苺はちょっぴりおセンチになった。
店内は、新年を祝う華々しさも色褪せてしまい、どこか中途半端な感じだ。
福袋の販売も終わっちゃって、お正月も終わり。
でも、新年なんだもんね。
新たな気持ちで、一生懸命お仕事に取り組まなきゃ。
そして、店員さんレベルを上げてゆかなきゃだよ。
店長さん直伝の挨拶も、しっかりマスターして……
あれっ、ど、どういうふうに言うんだったっけ?
苺は口の中でブツブツと、いらっしゃいませの練習をしてみる。
「い、いらっしゃいまぁ〜せぇ」
いや、違うな。
「い〜らっしゃい、まっせぇ〜」
あわわ、これはいかん!
えーと、店長さんの教え、教え…
そうそう、礼儀正しさを失くさない…親しげで大袈裟じゃない笑みを、『いらっしゃいませ』に添える? たぶん、そんな感じじゃなかっただろうか?
そんで、ここまでが高校生レベル。
そのうえの大学生レベルが……?
いらっしゃいませの『い』と、『ら』の間に……
あれっ、なんだっけ?
なんか入れるんだよ。なんか…
そうすると、高校生レベルのいらっしゃいませが、ぐいーんと大学生レベルになっちゃうんだよ。
「い、いーらっしゃいませぇ〜」
ちっちゃい『よ』かな?
「いーょ、らっしゃいませぇ〜」
あ、ありえん……滑稽すぎだ。
な、なら……
「いるぅ〜らっしゃ…」
「鈴木さん」
ブツブツと小声で呟いていた苺は、店長さんの呼びかけにぎょっとして顔を上げた。
直伝の挨拶を思い出せない焦りで、いつの間にやらうっかり足を止めてしまっていたらしい。
店長さんは五メートルほど先にいて、苺を見つめている。
「どうしたんです?」
怪訝そうに聞かれ、頬が引きつる。
「な、なんでもないですよぉ」
苺は慌てて店長さんに駆け寄っていった。
「えっ、これですか?」
店長さんが差し出してきたハンガーにかけてあるメイド服を見つめ、苺は思わず言った。
「何か不服でも?」
すでにあからさまに不服たっぷりに言ったってのに、店長さんは苺に猶予を与えるように、問い返す。
「い、いや…不服とかじゃ…この場合、思わずって…まあ、ことでして」
苺はごにょごにょ言いながら、店長さんが持っているハンガーを手に取った。
ちぇっ!
店長さんに背を向け、苺はやさぐれた。
どうやら苺は、下っ端店員に逆戻りらしい。
去年の暮れ以来、ご無沙汰だったメイド服を、苺は残念な気分で見つめた。
「では、鈴木さん、素早く着替えて下さい」
高圧的に命じ、店長さんは悠々と部屋から出て行った。
パタンとドアが閉じ、ひとりになった苺は、「はあ〜っ」と盛大にため息を落とす。
あーあ、ほんとに、終わっちゃったんだなぁ〜、お正月。
振袖を着て、イチゴハッピの三雄傑たちと一緒に、華やかな店頭で福袋を売ってさぁ……それがずっと続くような気がしてたよ。
……でも、もう終わっちゃったんだ。
悲しい気分に浸りながら、苺はこの部屋に運び込まれた、福袋に視線を向けた。
売れ残っちゃって……可哀想に思える。完売してほしかったなぁ。
それでも、あんなに数があったのに、残ったのはこれだけなんだもんね。
きっと、苺の今日のお仕事は、メイド服を着て、この福袋を解体することなんだろう。
ここに運び込んであるってことは、もう間違いないよね。
長いことしょぼくれていた苺は、現実を受け入れ、服を脱ぎ始めた。
冷静になって考えてみれば、苺はまだまだ見習い店員なんだよね。
すっかり一人前の店員さんの気分になっちゃってたけど……まだ準社員なんだもんな。
店長さん直伝の『いらっしゃいませ』も、必死に思い出そうとしてたけど、結局必要なかったわけか……
安心もしたけど、がっかりもする。
服を脱ぎ、頭からメイド服を被る。
お化粧はリップだけで済ませ、苺は更衣室から出た。
「店長さーん、苺の今日のお仕事は、福袋の解体……」
スタッフルームに飛び出て行きながら、店長さんに向けて話しかけていた苺は、ドキリとして動きを止めた。
なんとスタッフルームのテーブルに、店長さんと藍原さんと岡島さんが勢ぞろいしている。三人ともかしこまって座っている。
な、な、なんなの、この堅苦しい空気……
「鈴木さん、早くこちらに」
厳めしい表情で店長さんが呼びかけてきた。
苺は「は、はい」っと焦って返事をし、三人のところに飛んで行った。
「ここに座りなさい」
店長さんに、空いている椅子を指して命じられる。
「は、はいです」
うわーっ、うわーっ、いったいなんなの?
これからいったい何が?
よくわからない雰囲気に気圧された苺は、嫌な汗を掻きながら、店長さんと岡島さんの間にある椅子にちょこんと座ったのだった。
|
|