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「では、仕事に戻ってくれ」
会議が終了し、店長さんがかっこよく指示をする。
「はっ」
即座に凛々しい返事をし、藍原さんと岡島さんは立ち上がる。
「はいっ」
一拍遅れで返事をし、苺も立ち上がった。
本格的な会議というものに参加してしまい、有能社員気分だ。
胸も弾もうというもの。
藍原さんと岡島さんのふたりは、早くも店頭に出ていった。
ふたりを見送った苺は、いまだ有能社員気分を引きずっていたため、なにやら取り残された気分に陥った。
ぷすーーーーっ、てな感じに、興奮が全身から抜けていく。
「鈴木さん、どうしたんです?」
苺の様子がおかしく見えたのか、店長さんは訝しそうな眼差しを向けてくる。
苺はなんでもないと、首を横に振った。
有能社員気分が抜けて、下っ端店員に戻っただけのこと。
だいたい、いまの苺はメイド服だし……
それにしても、苺ってば、こんなメイド服で会議に参加したんだよね。
ビジネスウーマンっぽいスーツだってちゃんとあるんだし、どうせなら、ビシッとスーツで決めてさぁ〜、会議に参加したかったなぁ〜。
最初から会議する予定だったんだろうし、店長さん、なんでスーツを着させてくれなかったのかな?
「鈴木さん。聞こえていないんですか?」
眉を寄せて考え込んでいたら、店長さんが至近距離で声をかけてきた。
「わっ!」
驚いた苺は、ぴょんと跳ね、店長さんに振り返った。
「は、はいっ」
いつの間に椅子から立ち上がったのか、店長さんは苺の側にいる。
「び、びっくりしたですよ」
「びっくりさせるつもりなどありませんでしたよ。何を考え込んでいるんです?」
「それは……」
「それは?」
「そのぉ、なんでメイド服だったのかなって」
おずおずと胸にある疑問を口にしたら、店長さんはくいっと眉を上げた。
「だ、だってほら、すっごく真面目な会議だったし……なら、スーツのほうがよかったんじゃないかなぁって……」
「効率を考えての事ですよ」
「効率?」
「会議は二十分ほどでした。このあと、社員教育を受けていただくことにしているからですよ。また着替えるなんて、効率が悪いでしょう?」
「は、はあ、そ、それはそうですよね」
思わず当たり前の顔で頷いたが、正直、『社員教育』という言葉を聞いた瞬間、激しく動揺してしまった。
「ええ、年末年始で忙しかったため、やむなく中断していましたが、もう通常に戻りましたからね」
やむなく中断の言葉に、胸にドスンと衝撃を食らう。
ひくひくっと口元まで引きつりそうだ。
有能社員とか、そんな立場じゃなかったのに、苺ときたら……
あの空気に嵌り込んで、すっかりのぼせあがっていた自分が、こっぱずかしいよぉ。
でも、そっか……また社員教育やるんだぁ。
「十二月に教えたことが、どのくらい身についているか、チェックをします」
「ええっ! チェ、チェックをするですか?」
激しく狼狽し、目を瞠る。
教えたことって……接客の仕方とか、挨拶の言葉とか?
やっぱりきた!
超難題の、『いらっしゃいませ』だよ。
一瞬にして、頭がパニくる。
『い』と『ら』の間に何が入るのか思い出せないでいるってのに、チェックだとぉ?
それって、不合格だった場合、どうなるのだ?
下っ端店員から、さらに降格?
下があるもんならだけど……
いや、そんなことを考えてる場合じゃない。
ど、どうしよう?
こりゃあもう、なんとか思い出さなきゃ。
けど……たとえ思い出せたとしても、合格できる自信はないんですけど……
「あ、あの。福袋のほうは、いいんですか? イラストを描くんですよね。それもやっとかないと…」
「イラストは描いていただきますが、社員教育のほうが遥かに大切ですからね」
は、遥かに?
まあ、その通りなので、反論できませんけど……
「店員レベルを規定以上まで上げられないことには、店頭に出ていただけませんからね」
うはーっ、正論だ。正論過ぎて黙り込むしかない。
でもさぁ、店長さんの店員の規定値って、普通より高い気がするんだよなぁ。
だけど……宝飾店なんだから、高くて当たり前なのか。
店長さんから繰り返し聞かされた、耳タコの言葉が頭に浮かぶ。
『親しみやすい中にも、上品さが必要』なのだろう。
俯いてしょぼくれていた苺は、頭に触れられている感触に、パッと顔を上げた。
「頭の飾りが、ずれていますよ」
「ああ、そうでしたか」
店長さんは、メイドさん専用のカチューシャを、真剣な顔で直してくれる。
「鈴木さんの髪は柔らかいですね」
苺の髪に軽く触れながら、店長さんが言う。
なぜか、ドキドキする。そしてドキドキを意識した途端、さらにドキドキが加速する。
「そ、そうですか?」
ドキドキしてしまっていることに焦った苺は、目を泳がせて答える。
すると店長さんはゆっくりと手を離し、苺と距離を取った。
ドキドキはすーっと収まったが、どこか物足りない気分になる。
「さあ、鈴木さん、椅子に座ってください」
命令するように言いながら、店長さんは自分の席に座った。
苺も椅子に座ったが、いま感じたドキドキが気になってならなかった。
なんかなぁ、髪に触れられただけなのに……ものすごくドキドキさせられちゃって……なんなんだろうなぁ?
北の国に行った辺りから、こういうことが起こるようになった。
なんか、違うんだよ。こういうときの店長さんの雰囲気ってさ……
苺がドキドキしないではいられないような、普通ではない空気を発してるっていうか……
それがなんなのか、どういったものなのかがわからず、どうにも落ち着かない苺だった。
「では、これは?」
テーブルの上に転がしてある色とりどりの石のひとつを指先で摘み、店長さんは苺に見せる。
苺は緊張の面持ちで、その緑っぽいようでいて灰色っぽいような色の石を見つめる。
えっと、えっと、えっと……
テーブルの上に転がっているあの水色っぽいような淡い緑色っぽいやつ、これと似てるけど、あいつがアクアマリンのはず。
ということは、こいつは……エレキテル……みたいな、名前だったはず?
エレキ……サンドル?
いや、ちょっと違うな〜。
サンドリー?
う、うーむ。
「鈴木さん?」
答えを強烈に催促され、苺は痛い顔をする。
「わからないんですか?」
咎めるように言われ、反抗心が湧く。
「全部わからないわけじゃないですよ。は、半分くらいわかってるんですけど……」
「半分? では、その半分を言ってみなさい」
なんだ? 店長さん、今度は一転、愉快そうに瞳を煌めかせておいでだけど……
「は、外れてるのがわかって言うのって……なんか……」
「いいから言ってみなさい。ですが、なんとおっしゃるつもりか、わかりますが」
「えっ? わ、わかる?」
「ええ」
店長さんはしたり顔で頷く。
なんで苺の答えが、先回りしてわかるんだ?
腑に落ちないが、店長さんは、苺の頭の中が透けて見えてるぞと言わんばかりに自信満々なようだった。
「ほら、答えないままでは、先に進みませんよ」
「わかったですよ。そ、それじゃ……」
間違ってる答えを、間違ってるってわかってて口にするのは抵抗が……
苺は渋々口を開いた。
「エレキ……サンドル……」
苺の答えを聞いた店長さんは、きゅっと不審そうに眉を寄せた。
おやっ、どうやら店長さん、考えていた答えと違ったらしいぞ。
苺の心を見透かしてでもいるかのように、ずいぶんなしたり顔をしておいでだった店長さんを思い出し、危うく噴き出しそうになる。
だがここで噴き出したら、店長さんのご機嫌を損ねてしまう。
苺は真顔を保つのが大変だった。
「鈴木さん」
怖い声で店長さんが呼びかけてきた。
「は、はい」
噴き出すのを堪えるため、苺はもごもご答えるので精一杯だった。
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