苺パニック


再掲載話

「苺パニック5」の、『社員教育再び』の続きのお話になります。

こちらも書籍に合せて、改稿させていただいています。


『見透かしたような言葉』



「アレキサンドリアとおっしゃるものと思っていましたよ」

むっとした顔で店長さんが言う。

アレキサンドリア?

あ、ああ、思い出した。エレキじゃなくてアレキだったんだぁ〜。

「わかりましたよ店長さん、それ、アレキサンドルライトですね?」

晴れ晴れと口にしたのに、店長さんは無表情で苺をじっと見る。

な、なんだ?

「違いますよ」

「ち、違ったですか? 今度は合ってると思ったんですけど……」

「アレキサンドライトですよ」

ああ、そっか、そっか。

『ル』の一文字が余計だったんだ。

「ちょっと惜しかったですね」

苺は悔しさを込めて言った。すると店長さんは、苺をじーっと見つめてくる。

な、なんなのその目?

呆れたようでもあり、嘆かわしそうでもあり……

そんな目をされる理由が……と思っていたら、店長さんが「鈴木さん……」と呼びかけてきた。

「はい」

「五回、はっきりとした発音で繰り返しなさい!」

叱るように言われ、苺は思わず「ひっ」と胸の内で悲鳴を上げて背筋を伸ばした。

なんで怒ってるの?

あっ、もしや店長さん、自分の自信満々な予想が外れたから、苺に八つ当たり?

やれやれ、店長さん、案外子どもだねぇ。

しかし、怖い顔をしている店長さんにそんなことは言えない。

言いつけ通り、アレキサンドライトを、緊張の面持ちで五回繰り返す。

「記憶にしっかりと刻み込めましたか?」

嫌味交じりの問いに、「は、はい」と苺は優等生のような返事をした。

それがよかったのか、店長さんの顔から少し険しさが取れる。

ほっ。機嫌が戻ったようだよ。

「まあ、正解率八十ほどでしたね。間違えたものは、十二月にも間違えていたものばかりですよ。そこを押さえて繰り返し学習するようになさい」

「はい」

「では……次は接客の練習に入りましょうか」

せ、接客!

き、きたっ! ついにきちまった!

苺の超苦手とする、店長さん直伝の『いらっしゃいませ』だ。

店長さん、やっぱり、大学レベルのいらっしゃいませを望むのかな?

下っ端店員に、あれは高度すぎるっての。

こ、困った。困ったよ。

「まずはお辞儀から」

およっ、お辞儀か……

ちょっとほっとする。

「やってご覧なさい」

「は、はいっ」

緊張のあまりぎこちない動作で立ち上がった苺は、自分をじーっと見つめてくる店長さんに、ちらりと視線を向けた。

「鈴木さん」

「な、なんですか?」

「そんな視線をお客様に向けてはいけませんね」

お小言を食らい、つい反抗の目を向けてしまう。

「い、苺はこれからのつもりだったですよ。いまの視線は店長さんに向けたものであって、お客様のつもりじゃ……」

店長さんは右手の指先を顎に当て、椅子の背に寄りかかって「ほお」と言う。

いたたまれない視線を食らい、苺はもじもじした。

「な、なかったというか……」

と目を泳がせつつ続けながら、後悔する。

身の程を弁えず、口答えなんかするんじゃなかったよ。

「ごめんなさい」

小さくなって謝る。

「……では、始めて」

「は、はい」

苺は息を吐き出し、店長さんを見つめて、まず最高の笑みを浮かべようと頑張った。

礼儀正しくありつつも、親しげで温かで……

その言葉に忠実に従った結果の笑みを顔に張りつけてから、苺は程よいと思える角度まで頭を下げた。

顔を上げてみると、店長さんはずいぶんと気難しい顔をしている。

だ、駄目だったのか?

「自然に……と意識して、もう一度」

自然に?

言葉に従い、自然にを意識しつつ、苺はまたお辞儀した。

「鈴木さん……私相手に、どうしてそう緊張するんです?」

「そ、そう言われても……」

苺としては、相手が店長さんだから、なおのこと緊張しちゃうんだけど……

だって、店長さん、すっごい評価が厳しいし……

苺だって、ダメダシはあんまり食らいたくないわけで……おのずと神経が尖るっていうか……

「言いたいことがあれば、言ってご覧なさい」

高飛車じゃなく、ソフトな響きの店長さんの言葉に、苺の緊張が少し溶ける。

「苺……うまくできないなって思うから……駄目って言われるの、やっぱり嫌だし……」

「鈴木さん、うまくないから練習しているのではありませんか?」

店長さんの言葉に、苺は目を見開いた。

「文句のつけようがないほどのお辞儀が出来れば、練習など必要ないのですからね」

そ、そのとおりだよ。

ダメダシ食らいたくないとか思うのって、間違ってた。

「苺……間違ってました」

しょんぼりと肩を落とし、苺は反省して言った。

「自分の部屋に戻って、鏡を見ながら……そうですね、三十回ほど時間をかけて練習してきなさい」

「わかりました……」

部屋に戻ろうとしたら、「鈴木さん」と呼び止められた。

「はい」

「お辞儀は、頭を下げる作業ではありません。なんのためにお辞儀をするのか、忘れてはいけませんよ」

なんのためにお辞儀をするのか?

その問いを心の中で繰り返し、苺はドキリとした。そして無性に恥ずかしくなった。

そうだよ。苺、一番大事なことを忘れちゃってた!

「わかりました!」

苺は店長さんに頭を下げ、更衣室にすっ飛んで戻った。

鏡の前でひたすら真面目にお辞儀の練習をする。

時間をかけてと言われたので、一回お辞儀するごとに、何が大事なのかを考えた。

なんか、苺色々と間違ってたな。

ダメ出しを食らいたくないとか、そんなことばっかり考えてて……なんのためにお辞儀をするのかってことが、完全に頭から抜けてたよ。

ダメ出しを食らいたくないなんて考えながらお辞儀しちゃって……店長さん、苺のこと、呆れちゃってたんだろうなぁ。

お辞儀に心を込めるという当たり前のことを、店長さんに言われてようやく思い出すなんて……ほんと、苺ってばダメダメだ。

反省し、お辞儀の練習と向き合う。

笑顔を浮かべ、心を込めてお辞儀する。

うん、これだよ、これっ!

よーし、もう大丈夫だ。

満足できた苺は、練習の成果を披露する気満々で店長さんのところに戻った。

だが、スタッフルームに店長さんの姿はなかった。

「あれっ、店頭に行ってるのかな?」

思わず呟いたら、給湯室のドアが開いた。目を向けたら、トレーを手に、店長さんが出てくる。

「お茶ですか? それなら苺が……」

「いいから、座りなさい。練習の成果を披露していただく前に、まずはお茶をいただきましょう」

店長さんときたら、苺のハードルを上げるような発言をする。

わざとハードルを上げようとしているのか、お茶でリラックスさせようとしているのか……

よ、読み取れない!

もしかすると、どっちもなのかも。

紅茶には、美味しそうなクッキーが添えられている。

「わあっ、美味しそうなクッキーですね。これって、ボスシェフさん作ですか?」

「ええ、そうでしょうね」

そのちょっと曖昧な答えに、聞き返すように視線を向けたら、店長さんが苦笑する。

「店長さん?」

「大平松は、私の口に入る可能性のあるものは、他の者に任せず自分で作っているようですからね」

「へーっ」

ボスシェフさんの愛だなぁ。
店長さん、すっごいボスシェフさんに愛されてるんだなぁ。

善ちゃんにも愛されてるし……

藍原さんや岡島さんにも……

店長さんには、人に愛される資質が備わってるってことなのかな?

苺も……?

「ほら、座りなさい。いただきましょう」

色々考えてしまっていた苺は、その言葉に頷いて椅子に腰かけた。

カップをありがたく手に取り、店長さんの淹れてくれた紅茶を味わう。

うーん、やっぱり店長さんの淹れた紅茶が一番美味しいなぁ。

満足の笑みを浮かべ、苺はさっそくクッキーを頬張った。

「うん、サクサクで、なのに味はまろやかで、凄く美味しいです。さすがボスシェフさんですね」

口の中でスーッと溶けていく感じで、もう口の中から消えちゃってるよ。

美味しさに感心していたら、嬉しそうに笑う声が聞こえ、苺は店長さんに目を向けた。

「店長さん? 何が可笑しいんですか?」

「さあ、なんでしょうね」

店長さんときたら、意味深な笑みを浮かべる。

「苺の食べ方が変だったとか?」

「そうではありませんよ。それより、ほら、ちょっと立って、練習の成果を見せてご覧なさい」

「い、いまですか?」

「ええ、いま」

強く催促されて立ち上がった苺は、店長さんと向き合う。

店長さんは、期待を込めた眼差しを向けてくる。

やれやれ、そんなに期待されたら、やりづらいんだけど……

でもまあ、いいか。

苺は、美味しい紅茶を淹れてくれた店長さんに、感謝の思いを込めた笑みを浮かべ、お辞儀した。

「うん。完璧ですね」

か、完璧?

そんな評価をもらえると思っていなかった苺は、驚いて店長さんを見る。

「そういうことですよ。忘れないように」

すべてを見透かしたような言葉を貰い、苺は目を瞬いたのだった。





 
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