苺パニック


再掲載話

「苺パニック5」の、P225、2行目と3行目の間のお話になります。

こちらも書籍に合せて、改稿させていただいています。


『登場はおしとやかに』



更衣室の中、苺は大慌てでメイド服を脱ぎ捨てた。

店長さんによると、苺の友達が店にやって来たらしいのだ。

それで、すぐスーツに着替えろと命令されたんだけど……

いったい誰が来たんだろう?

そこのところを知りたかったよ。

けど、言いたいことを言った店長さんは、さっさと出て行ってしまったのだ。

まあ、店長さんがいたんじゃ、着替えられないんだから、いてもらっちゃ困るんだけど……

誰が来たにしろ、とにかく早く着替えなきゃね。

店頭に出て行けば、誰が来たかもはっきりする……

う、ううーっ、しかし、このボタンが、ボタンがぁ〜。

早く早くと焦るせいで、ボタンが嵌まらない。

焦らなきゃいいのだが、気持ちが高ぶってしまい、焦らずにいられない。

店長さん、一分で着替えろなんて無理を言うからさぁ。

嵌らないボタンにイライラし、ジタバタと足を動かす。

「うっおおーっ」

雄たけびを上げ、指先の集中力を高める。そして、力一杯最後のボタンを穴に押し込む。

「は、嵌ったぁ」

やり切った気分で脱力したが、ハッと我に返る。

まだブラウスを着ただけじゃないか!

苺はスーツのスカートをハンガーから剥ぎ取り、足を通した。

だが、上に持ちあげる途中で、男子用黒パンツが目に飛び込む。

思わず「うげっ!」と叫ぶ。

素敵なスーツなのに、苺、男子用黒パンツ履いてんだったよぉ〜。

これじゃあ、何もかも台無しな気分だ。

な、なんか……誰に知られてなくても、ものすごーくきまりが悪いな……

思いっきり情けない顔をした苺は、気を取り直してスカートのホックを止めた。

よ、よしっ。これでもう出て行ける。

スーツの上着を掴んだ苺は、更衣室から飛んで出た。

一分なんぞ、もうとっくの昔に過ぎ去っているはず……

急げや、急げっ!

店頭へのドアにまっすぐ駆け寄るつもりが、スタッフルームに藍原さんがいて、「鈴木さん」と呼びかけてきた。

「あっ、藍原さん」

「ほら、落ち着いて。鈴木さんに会いにいらしたお客様は、いま、爽様がお相手をなさっています。そんなに慌てて出て行かなくても大丈夫ですよ」

落ち着き払った口調で言われ、苺は焦るのをやめた。

「そうなんですか。よかった。店長さんに一分で着替えて来いって言われちゃって、けど、一分なんてとても無理ですよ」

思わず藍原さんに愚痴ってしまう。

苺の愚痴を笑って受け止めながら、藍原さんは苺の頭に手を差し伸べてきた。

「うん、なんですか?」

そう言っている間に、髪から何かが引き抜かれる。

あっ!

「これが……」

藍原さんの手には、メイド用のカチューシャ。

「そ、そうでした。うひゃーっ、危ない危ない。苺、これつけたまま出て行っちゃうところでしたよ」

スーツを着てるってのに、メイド用のカチューシャを頭に着けたまま出て行ってたら、とんだ赤っ恥になるところだったよ。

これはもう、藍原さんに大感謝だ。

「藍原さん、気づいてくれてありがとう」

「いえ。とても目立っていましたので」

やわらかな笑みとともに言われたが、なにやら言葉にちょっぴり毒を感じる。

「で、ですよね」

「それより、スーツを着ているのに、ノーメイクというのは」

藍原さんは、少々批判交じりの眼差しを苺の顔に向けて言う。

「えっ、駄目ですか?」

「ええ、薄くでもいいので、化粧をなさったほうが……」

「それじゃ、ちゃちゃっとお化粧してくるです」

苺は更衣室に戻り、手早く化粧をほどこす。そして、スタッフルームに舞い戻った。

「こ、これでどうですか?」

化粧した顔を見せて尋ねたら、藍原さんはひどく残念そうな顔をする。

「えっ、ダ、駄目でしたか? ど、どこが?」

慌てて聞くと、藍原さんはティッシュを手にして戻ってきた。

そして苺の前に立つ。

「ちょっと失礼しますよ」

そう言って、苺の顔をあちこちティッシュで撫でる。

「ファンデーション、綺麗に塗れてなかったですか?」

「とんでもなくまだらでしたね。ですが……まあ、これでいいんじゃないでしょうか」

苺の顔を検分し、藍原さんが頷く。

「よしっ、それじゃ苺、行ってくるですよ」

「ああ、鈴木さん」

すぐさま飛んで行こうとしたら、腕を掴んで引きとめられた。

「髪をまとめて差し上げますよ」

「ええっ、髪を?」

藍原さんは苺が答えるより先に、スタッフルームに備え付けの棚に歩み寄り、引き出しから何やら取り出して戻ってくる。

その手には細いリボン、そしてハサミが握られている。

「それで髪をまとめられるんですか? あの、櫛は?」

「櫛など必要ありませんよ。鈴木さんの髪はストレートヘアではありませんから、櫛などなくても簡単にアップにできますよ」

そうなのか?

苺は、自分では髪をアップにするとか出来ないんだけど……

藍原さん、そんなこともできるとは、凄いな。

まあ、このひとは、なんでもやれそうだもんね。

ならば、ここはひとつお任せするとしよう。

「それじゃ、お願いするです」

「はい。お任せ下さい」

藍原さんは苺の後ろに立ち、すぐに髪をいじり始めた。

……。

「はい、できましたよ」

「ええっ、もうできちゃったんですか?」

待つほども無かったよ。びっくりだ!

どんな頭になったのか、見たいんだけど……

更衣室か洗面所に行かなきゃ、鏡がないから確かめられない。

けど、もうそんなことをしている余裕はないよね。

「藍原さん、苺、どんな感じですか?」

藍原さんに向き直って尋ねる。

「はい。見た目に限って言えば、とても有能そうですよ」

藍原さんは、『見た目に限って言えば』という言葉を、とんでもなく強調して言った。

思わず、頬がひくひくっとなる。

藍原さんって、こういうところがあるんだよね。

ひとを、真面目一本道でからかってくるというか……

まあ、面白いからいいけど。

「さあ、そろそろ行った方がいいですよ」

藍原さんがドアを開けて苺を促がす。

「はーい」

素直に返事をした苺は、店頭に出た。

店に一歩踏み出した苺の目は、まず一番近いレジのところにいる岡島さんを捉えた。

五十代くらいのお客様の対応をしてる。

それから店の入り口に店長さんがいた。

店長さんはふたりの女性と話をしている。

あっ、あれって、香子ちゃんと靖代ちゃんじゃないか。

彼女たちは高校のときの同級生だ。

あと、すいちゃんを加えたこの三人が、苺と大の仲良しだった。

このふたりは同じ大学に入ったのだが、それが遠方で、なかなか会えないでいる。

店に会いに来てくれたなんて!

嬉しさに瞳を輝かせた苺は、ふたりに叫びかけながら駆け寄ろうとし、自分に急ブレーキをかけた。

いかん、いかん!

友達が来てくれて嬉しいとはいえ、ここは職場だ。

ほかのお客様だっているし、バタバタ駆け寄ったりしたら、店長さんにお目玉を食らっちゃうよ。

友達の前でお目玉とか食らったら恥ずかし過ぎる。

よしっ、ここはおしとやかに登場するとしよう。

苺は落ち着き払い、ゆっくりと三人に近づいていったのだった。





 
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