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「鈴木さん」
リボンを丁寧に結んでいた苺は、作業に集中したまま、自分に呼びかける声に「はーい」と答えた。
もちろん、呼びかけてきたのは店長さんだ。
座ったまま振り返ると、ドアが開き、店長さんが顔を見せる。
「休憩時間ですよ。昼食をいただきましょう」
その言葉に驚き、苺はぴょんと立ち上がった。
「す、すみません。すぐに支度を……」
ラッピングを終えたばかりの品を手にしたまま、苺は店長さんに駆け寄った。
「慌てなくても大丈夫ですよ」
店長さんは笑いながら、苺の肩に手を置き、立ち止まらせる。
「で、でも……いま何時なんですか?」
「そろそろ十二時ですよ」
「えっ、もう、そんな時間!」
「鈴木さん、落ち着きなさい。慌てる必要はありませんから」
苺の手から小箱を取り上げ、店長さんはしげしげと見る。
「素晴らしいですね」
「えっ、そ、そうですか?」
「どのくらいできましたか?」
その問いに、苺はテーブルの方を向く。店長さんはテーブルに歩み寄って行き、そこに並んでいるラッピングが完成したものを眺め始めた。
「これは……」
どんな反応をするのか、ちょっとドキドキしつつ、店長さんを窺う。
「どれも見事ですね。色合いがいいですし、リボンの結び方がまたいい」
これ以上ないほど褒めてもらえ、苺は照れた。
「十万円のは? これですか?」
店長さんは、五万円のやつを手に取って聞いてくる。
「十万円のは、こっちですよ。この箱の中です」
苺は箱を手に取って見せた。
店長さんは五万円のと十万円のものを見比べ「確かにそのようだ」と苦笑する。
どうやら合格らしい。
苺はほっと胸を撫で下ろした。
あっ、それからもうひとつ、言っておかなゃならないことがある。
「時間は、一個五分くらいでやれてますよ」
そう言ったら、店長さんは顔をしかめる。
「無理をしていませんか?」
そう言われると、ちょっと困る。
確かに無理して頑張っちゃってるけど……
「疲れていませんか?」
胸がじんわりするくらい気遣いの含まれた瞳で見つめられ、苺はドギマギした。
「まだまだ大丈夫ですよ。それに、手が疲れたなと思ったら、こんなふうに動かして、手やら腕やらほぐしてるですから」
苺は手を振り、腕を振り、最後に腰まで振って、大丈夫をアピールする。
店長さんはくすくす笑ったあと、仕方なさそうに頷いた。
「それじゃ、昼食の準備してくるですよ」
そう言い置き、先にスタッフルームを飛び出る。だが、スタッフルームのテーブルにはすでに昼食が並んでいる。
「あれれ」
「怜が用意してくれました。さあ、食べましょう」
「そうだったんですか」
なんか申し訳ないけど……福袋作りを頑張って欲しいってことなんだな。
よし、さっさと食べ終わって、仕事に戻るとしよう。
「ねぇ、店長さん」
昼食をいただきながら、苺は店長さんに話しかけた。
「なんですか?」
「お店のディスプレイも、お正月の飾りつけをするんでしょう?」
「ええ。そちらは要と怜に任せてあります」
そうかぁ。福袋も楽しいけど……そっちもお手伝いしたかったなぁ。
「そういえば、店長さんのお客さんは、まだ来るんですか?」
「ええ。まだ来ますよ」
ふーん。
「それより、鈴木さん」
「はい?」
「貴女のラッピング能力は、クリスマスシーズンよりもさらに磨きがかかったようですね」
「えっ、そ、そうですか?」
「リボンの結び方は最高ですよ。創意工夫に長けている」
ずいぶんなお褒めの言葉をもらってしまい、照れくさすぎて顔が赤らむ。
「結びながら色々アイデアが思い浮かぶし、それが楽しいんです」
店長さんはふっと和んだ微笑みを浮かべた。
「ですが、今日無理をしすぎて、明日仕事ができなくなっては困りますからね。全部終えられなければ、他の者にやらせますから」
苺は店長さんの言葉に頷いたが、店長さんに任せてもらえたのだ。なんとしても、苺ひとりで全部やり終えたかった。
それにしても、今日はいつもよりデザートが充実している。
これは、大晦日だからなのか?
「店長さん、今日のデザートいっぱいですね」
「ああ、手土産にいただいたものを出したようですね」
「手土産?」
「ええ。色々といただきましたから、好きなものがあれば、お好きなだけ持って帰りなさい」
「はあ、ありがとうございます」
よくわからないけど、手土産を持ってきたのは、店長さんのお客さんたちなのかな?
な〜んていいお客なのだ。
ここに出してあるのも、ずいぶんと高級そうな品だ。
「給湯室の冷蔵庫に入れてあるはずですから」
「母も真美さんも、甘いもの大好きですから喜びます。もちろん苺も」
苺は真美さんの喜ぶ顔を頭に思い浮かべながら、贅沢なデザートを味わった。
昼食を食べ終わり、すぐに仕事に戻ろうと思ったのに、店長さんはそうさせてくれなかった。
休む時にはしっかり休まなければ駄目だと言うのだ。
そんなわけで、そのあと十五分くらい、北の国でのことを楽しく語り合った。
北の国では、それはもう色んなことが起こったから、話題はいくらでもある。
「楽しかったですよねぇ」
懐かしさを込めて口にしたら、店長さんが笑う。
「また行きましょう」
また、か……
行けるのかな? 行けるといいなぁ。
そのあと仕事に戻り、ハイスピードで頑張っていたら、徐々に疲れを感じてきた。
立ち上がり、腕をくるくる回しながら部屋の中を歩き回る。
ちょっと、お手洗いにでも行くか…
いま何時だろう?
時計に目をやると、あと十分ほどで三時になるところだ。
「おっ、ちょうどいいや」
三時の休憩のお茶の準備も、岡島さんにやってもらうって店長さんが言っていたけど、気分転換になるから、苺にやらせてもらうとしよう。
トイレに向かう前に、苺は店長さんの定位置に目を向けてみたが、テーブルは空っぽで店長さんの姿はなかった。
ありっ?
店長さん、店頭に出てるのかな?
そのとき、裏口のドアを急くように叩く音がした。
店長さんのお客さんかな。
「はーい」
苺は自分がメイド服なのを忘れ、さっとドアを開けた。
そこにいたのは女のひとで、ひどく驚いた顔で苺を見つめてきた。
「あの? 店長さんに用事ですか?」
苺のその問いに、女のひとは我に返ったようだった。
髪をきゅっと結い上げ、高級そうなスーツをきっちりと着込んだその姿は、颯爽としたキャリアウーマンって感じだ。
「あの……藤原様は?」
顔を強張らせて聞かれた。
何やら、辛いことを思い出したという表情になっている。それに、ひどく緊張してるみたいだ。
「たぶん店頭にいると思うです。ちょっと待っててくださいね。呼んできます。あっ、こっちの椅子に座って待っててください」
苺はそう言葉をかけ、急いで店内を窺ってみた。
店長さんはちゃんといた。
通路に立った店長さんは、顎に手を当てて、悩み多き紳士といった風情で、宝飾店全体を眺めている。
「て…」
店長さんと呼びかけようとした苺は、すんでのところで言葉を止めた。
こんなところから大声を出して呼びかけたりしたら、店長さんに大目玉を食らってしまう。
店内に一歩足を踏み出そうとした苺は、右足を浮かしたまま、ぴたりと動きを止めた。
い、苺、いまメイドさん仕様じゃないか!
店にはいま、数人のお客様がいる。
ど、どうする、苺?
メイド服で出て行っちゃっていいもんだろうか?
困った苺は、後ろに振り返り、女のお客さんと目を合わせた。
深刻そうだ。いや、悲愴な顔?
なんか、事情がありそうだ。
早いとこ、店長さんを呼んできてあげた方がいい。
苺は気配を消すようにして歩き、店長さんの側に行った。
もちろん、途中で店長さんは苺に気づき、眉をひそめた。
「どうしたんです?」
「え、えっとですね。店長さんのこと、呼ぼうとしたんですけど、遠くて……お店で大声出したらいけないんだし……それで、振り返ったらものすごく深刻そうで……だから、飛んできちゃったんです」
「いったい、なんの話です?」
「だから、お客さんが……来てて」
報告しながら周囲に目を配っていた苺は、店の通路を歩いている男の人と目を合わせて、頬をひくつかせた。
苺の全身を眺め回しながら、にやにや笑っている。
鳥肌が立った。
「奥に戻りましょう」
にやにや笑いの通行人に気づいたからか、店長さんは苺を急かすようにしながら店の奥の部屋に戻ったのだった。
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