苺パニック


再掲載話

「苺パニック5」の、P10とP11の間のお話、4話目になります。

こちらも書籍に合せて、改稿させていただいています。


『反省は後回し』


「す、すみません!」

店長さんがスタッフルームに入った途端、謝罪の声が響き渡った。

叫んだのは、店長さんを尋ねて来たお客さんだ。

怖れのこもったその声は激しく震えていて、苺はびっくらこいた。

「十分……遅れましたね」

ひどくゆっくりと、店長さんはその言葉を口にした。

もちろん、お客さんに向けられたもので、お客さんは、苺にもはっきりとわかるほど震え上がった。

店長さんは、そんなお客さんを、無表情で見つめている。

「す、すみません!」

泣き出しそうな声だった。いや、すでに泣いているのかもしれない。

いったい、このお客さんと店長さんの間に、何があったというのだろう?

店長さんはテーブルに歩み寄り、スーツの胸ポケットからペンを取ると、それでテーブルを叩き、コンコンと軽い音を立てた。

その音は、お客さんに、さらなる恐怖を与えたようだった。

震え上がっちゃってるよ。

すっごい、気の毒なんだけど……

店長さんの背後に立っている苺ですら、いまの店長さんは怖かった。

いま、その背に触れたら、バシッと電波みたいなのにあたって、心臓が止まるかもしんない。

「過ぎてしまった時間は巻き戻りませんよ。それとも巻き戻す方法をご存知なのですか?」

ひっ、ひょえーーーーっ!

店長さん、強力あてこすりパンチかましたよ。

あてこすりパンチを真正面から食らったお客さんは、顔を引きつらせて固まった。

店長さんの声ってば、とことん丁寧なのに、強烈な皮肉が混じっていて、言われたわけじゃない苺ですら、おしっこちびりそうだ。

「すみません、すみません…」

鬼どころではない、閻魔大王のような瘴気を噴き出しているごとき店長さんのせいで、ついに女のひとは泣き出してしまった。

「報告を聞きましょう、どうぞ」

店長さんは、相手が泣き出したことになど構わず、椅子に座ると、手を動かして催促した。

「は、はい……うっ……うっ……」

「早くしていただけませんか?」

感情が高ぶり、とても言葉など言えないでいるとわかっていながら、店長さんは容赦ない。

ふたりのやりとりによれば、つまりこのひとは、店長さんとの約束の時間に遅れてしまったんだろう。

「鈴木さん」

どうしたものかと女のひとを見つめていたら、店長さんに呼びかけられた。

「は、はい」

店長さんの声はソフトだったが、思わずぎょっとして返事をしてしまう。

「貴女は、仕事を続けてください」

そ、そうなんだよね。

こんなところでこんなことをしている場合じゃない。

いまの苺は、山のように仕事を抱えている。

店長さんの言葉に従おうとした苺だったが……そうできそうにない。

このまま指示に従って仕事に戻れば、店長さんの閻魔な怒りに触れずにすんで、いいんだけど……いいんだけど……

「さ、三時なんですよ」

苺のその返事は予想外だったらしく、店長さんは怪訝そうな顔になった。

「ち、ちょうど三時なんです。休憩時間です。苺はこれから休憩するですよ」

店長さんは、苺の言葉を吟味するように聞いていたが、それで? というような目を向けてきた。

苺はなんとか言葉を押し出す。

「このひとが遅刻した十分間分、店長さんはお茶しながら報告ってやつを聞けばいいですよ。そしたら、遅刻分はチャラってことで、いいじゃないですか」

眉をきゅっとしかめた店長さんは、鋭い目で苺を見つめてきた。

苺は自分の中で怯えているビビリ虫を、必死になだめた。

「だ、だって……誰だって遅刻することはありますよ。そんな閻魔様みたいな顔してたら、恐くて頭の中真っ白になっちゃって、まともな報告なんかできやしませんよ」

なんの報告か、知らないけどさ……

「……閻魔?」


店長さんが不機嫌そうに呟き、苺は顔を歪めた。

あっ、し、しまった!

閻魔は余計だったか。でも、もう口にしてしまったものは、どうしようもない。

というわけで、

苺は女のひとに駆け寄った。

「飲み物、何がいいですか?」

目を赤くしている女のひとに、せっつくように尋ねる。

だが、返事はない。

この流れでは、当然か……

自分はどうしたらいいのかわからない様子だ。

けど、お茶の準備をするのに、このひとを置いてっちゃ、事態は悪くなる気がする。

引き離すのが一番だと思うんだよね。

そう決めた苺は、女のひとの手を掴み、強引に引っ張って給湯室に向かう。

驚いている女の人を給湯室に押し込み、苺とちらりと店長さんに目を向けた。

うぎゃっ!

店長さんは、ぬくもりのない目で、苺を見つめている。

震え上がった苺は、自分も給湯室に飛び込み、きっちりとドアを閉めた。

ひひゃーっ、恐かったぁ〜!

息を吐き出しながら、苺はバクバクしている胸を押さえる。

反論しちゃったことに、後悔が湧いた。

閻魔店長さん、めちゃ恐かったな。

だが、もうやっちまったものは、仕方がない。

いまの自分の現状を、苺は自分に受け入れさせ、女のひとに目を向けた。

女のひとは真っ青になっている。

「だ、大丈夫ですよ」

苺は焦って宥めた。

「いえ、もう駄目ですっ!」

女のひとは悲鳴のように叫ぶ。

「まあ、いまは確かに閻魔様になってたですけど……お茶を飲めば、店長さんも落ち着きますって」

「いえ、駄目です……もう駄目です」

どうやら、このひと、悲観虫に心が占拠されてるようだ。

けど、十分遅刻したくらいで、そんなに怯えなくてもいいと思うんだよね。

店長さんも厳し過ぎるよ。

「店長さん、とことん仕事に厳しいひとだから、いまのはまあ仕方ないですよ。けど、やさしいところもあるんですよ」

苺はお茶の支度に取りかかりながら、店長さんを取り成した。

女のひとは、諦めきった暗い顔をして黙っていたが、「あの……?」と声をかけてきた。

苺は振り返り、「はい? なんですか?」と努めて明るく返事をした。

「貴女は……藤原家に仕えていらっしゃる方なのですか?」

苺の服装にちらりと視線を向けて尋ねてきた。

いまの苺、メイド服だから、店長さんのお屋敷で働くメイドなのかと思ったようだ。

「ここの店員ですよ」

苺の返事を聞いた女性は、なぜか目を丸くする。

「店員? ほ、本当に?」

たぶん、この格好のせいで信じられないのだろう。

「まあ、まだ見習いですけどね。紅茶にしますけど、いいですか?」

苺はそう尋ねつつ、冷蔵庫を開けて中を物色した。

おおっ♪

店長さんが言っていたとおりだ。

冷蔵庫の中には、お土産らしい箱がいくつもある。

さらに、棚のほうにも、手土産だとわかる包みが置いてある。

好きなのを持って帰っていいって言ってくれたし、どれでも出しちゃっていいんだろうな。

どれにしよう? これとか、いいかな?

苺は箱を一つ取り出し、ウキウキしつつ開封する。

店長さんも甘くて美味し物を食べれば、苛立ちも静まるだろうし、このひとも、落ち着くだろう。

「お茶飲みながら報告ってのして、さっさと帰っちゃえばいいですよ」

苺は紅茶を淹れながら、相変わらず悲愴な顔の女のひとに言った。

「そんな簡単なことではないんです。……わたしはもう終わりです」

終わり?

ま、まさか、約束の時間に十分遅刻したくらいで、終わりなんて…

けど、店長さんは確かに仕事に厳しい。

あ、ありえるのかな…

「い、苺も一緒に、謝ってあげますから」

「そんなことくらいでは……」

申し訳なさそうに言われ、がっくりする。

確かに、苺じゃ、そう力にはならない。

励ますつもりが、まったく励ませられないとは、残念だ。

「でも、少し落ち着けました。……あの、ありがとう」

少し笑みを浮かべてお礼を言ってもらえて、苺は胸がジーンとした。

少しは役に立てたと思っていいのかな?

苺と話しているうちに、少しは気持ちが落ち着いてきたようだ。

よかった。店長さんと引き離したのは、正解だったみたいだ。

そう思った時、閻魔店長さんの顔が浮かび、ひくっと頬がつる。

店長さん、少しは怒りが収まってくれてるといいんだけど……

「苺、役立たずでごめんなさい」

「いえ、そんなことはありません。……とても助かりました」

「そ、そうですか?」

「はい。あなたがいなかったら、もっと悲惨なことになっていたと思います。それに、もう諦めもつきましたし……」

「で、でも、苺もいっぱい失敗してるけど、店長さんは辞めさせたりしませんよ」

女のひとは、まじまじと苺のことを見つめてきた。

あまりに見つめられて、居心地が悪い。

「紅茶、そろそろいいんで。それじゃ、行きますけど……いいですか?」

閻魔店長の元に戻る了解を取ると、女のひとは、先ほどまでとは別人なくらいすっきりした顔で頷いてくれた。

苺はほっとしてトレーを持ち上げた。

苺の両手が塞がってるのを見て、女のひとが気をきかせてドアを開けてくれる。

なんだか、苺より、このひとのほうが、覚悟を決められたようだ。

「ありがとうです」

正直、苺のほうが二の足を踏みたい心境だ。

閻魔店長、怖いよぉ。

あー、機嫌が直っていますように!

心の中で神様にお祈りしつつ、苺は給湯室から出た。

「お、おまたせしました」

苺はパソコンを操作している店長さんの様子を窺いつつ、テーブルに三人分のお茶の支度を整えていった。

「ふたりとも、座りなさい」

店長さんが命令する。

女のひとは緊張して椅子に座ったけど、凛としている。

苺はその様子を見て、ほっとした。

「では、お茶をいただきながら、報告をお聞きしましょう」

苺が座ると、店長さんが切り出した。

女のひとは、鞄から取り出した書類を一心に見つめながら、報告とやらを始めた。

店長さんは言葉通り、お茶をいただきながら報告を聞いている。

苺がクッキー三枚と、紅茶を飲み干したところで報告が終わった。

「以上です」

「わかりました。ご苦労様」

「はい。遅れまして、本当に申し訳ありませんでした。お時間をいただき、ありがとうございました」

女の人は立ち上がり、深々とお辞儀をした。

どうやらこのまま帰ってしまうらしい。

お茶など飲んでいく気分じゃないのだろうと、苺はあえて勧めることはしなかった。

「あの、ありがとうございました」

女のひとは、苺に向いて、お礼を言う。

微笑んでいるのを見て、苺は元気づけるように、大きく頷いた。

「頑張るですよ」

思わずそんな励ましが飛び出ていた。女のひとは笑みを零し、「はい」と返事をして帰って行った。

微妙な沈黙がスタッフルームを包んだ。

苺は視線を動かして、店長さんを窺う。

澄ました顔でお茶を飲んでおいでだ。

どうしようか迷ったが、思い切って胸にある言葉を口にする。

「あ、あのひとのこと、辞めさせたりなんかしませんよね?」

店長さんは居心地が悪くなるほど苺を見つめた後、何を考えてか、ふぅと息を吐いた。

「さあ、どうすべきでしょうね」

その言葉は、クビの可能性もあるとほのめかしているように聞こえてならない。

「苺もいっぱい失敗してますよ。けど、店長さんは……」

「いいですか鈴木さん。約束の時間に遅れたということだけではないのです」

「えっ?」

「彼女が遅れたのは、ここに来て報告をすることで、自分の立場が危うくなるということがわかっていて、怯えていたからなのですよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。業績不振は致命的です。彼女は責任者としての器ではなかった。それに自分に甘い。なにより、潔さがなさすぎる」

なんだか、苺の知らないことがいっぱいあるらしい。

苺はしゅんとしてうなだれた。

一方的に店長さんを悪く思っていた自分が、気まずくてならない。

「あの……店長さんごめんなさい。苺、何も知らなかったのに……勝手なことをいっぱい言っちゃって……」

立場がない。

「事情を知らなかったからでしょう。それに、彼女は鈴木さんのおかげで救われた」

そうだといいんだけど……

「苺、もっともっと成長しなきゃ駄目ですね」

頭にそっと手を置かれ、苺は顔を上げた。

「貴女はそのままでいい。そのままの貴女が私は好きですよ」

ほ、ほんとに?

「けど、苺、駄目駄目店員ですよ?」

苺の返事に、店長さんは苦笑した。

苦笑だろうとなんだろうと、ようやく浮かんだ店長さんの笑みに、苺はほっとした。

「店員としては、たっぷりと成長が必要ですね。さあ、ここの片付けは私がしておきます。鈴木さんは……」

店長さんは、苺の部屋を指さす。

そうだったよ!

のんびりお茶してる場合じゃなかった。

なにがなんでも今日中に、全部のラッピングを終わらせなきゃならないのだ。

反省は、後回しだ。

勢いよく立ち上がった苺は、自分の部屋にすっとんでいったのだった。





 
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