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「苺」
玄関に行くと、店長さんがさっと歩み寄ってきた。
「苺、とても素敵だ」
着物姿の苺を満足そうに見つめた店長さんは、苺がどうしていいやらわからないほど、甘〜い笑みを浮かべる。
こいつは、羽歌乃おばあちゃんの面前であるが故の、小芝居ってやつだ。
羽歌乃おばあちゃんには、苺と爽は恋人同士って設定になっているからね。
苺は精一杯、店長さんに合わせにゃならぬのだ。
「そ、そう?」
「なんですか?」
『そうですか?』の、『そう』だったのだが、聞き返されてしまい困る。
「そ、爽も……そのぉ、素敵です」
初日の出を見に行くので私服だった店長さんも、いまはスーツに着替えていて、貴族な紳士のごときお姿だ。
「そうですか?」
眩しい笑みを直視していられず、店長さんの胸の辺りに視線をさまよわせていた苺は、ネクタイにちょこんとついているネクタイピンに気づいた。
あっ、これって、苺がクリスマスにプレゼントしたやつだ。
思わず口元を綻ばせてしまう。
もちろん苺の小指にも、店長さんから貰ったピンキーリングが嵌まってる。
「ありがとう、苺」
やさしい声音でお礼を言い、店長さんは親密そうに頭をやさしく撫でてくる。
ドギマギが過ぎた苺は、こくこくと激しく首を上下させた。
「聞いちゃいられませんね。時間がないのじゃなかったの? 爽さん」
「そうでした。苺があまりに可愛いので……」
ふっと笑みを浮かべての気障ったらしい台詞に、苺は顔がボッと燃えた。
うひょーーっ!
どんな顔してたらいいのかわかんないし。
全身がこそばゆくて、そこらへんを悶えまわりたいくらいだ。
そのとき、苺の背後で誰かがコホコホと咳込んだ。
振り返って確かめてみたら、羽歌乃おばあちゃんだ。
おやおや、また咳をしておいでだよ。
「羽歌乃おばあちゃん、やっぱり風邪なんじゃないですか?」
心配で問いかけたが、おばあちゃんは顔の前で手を横に振る。
「大丈夫よ。そんなことより、あなたがた、早く出かけたほうがいいのではなくて?」
「そのとおりですね」
羽歌乃おばあちゃんから急かすように言われ、頷いた店長さんは、苺の背中に触れてきた。
「苺、行きましょう」
「はい。それじゃ、羽歌乃おばあちゃん、善ちゃん、千佳子さん、行ってきます」
みんなの見送りをもらい、店長さんに背中を押されて、苺はお屋敷をあとにした。
店長さんの車に乗り込むのは、ちょっと大変だった。
着慣れない振袖を着ているから、歩くのですらちょっと大変なのだ。
着物なんて滅多に着ることないもんねぇ。
「よいしょっと」
なんとか助手席に収まった苺は、思い出し笑いをしてしまう。
「どんなおかしなことがありましたか?」
くすくす笑っていたら、運転席から店長さんが聞いてくる。
「クリスマスのコスチューム着て、車に乗り込んだ時のこと思い出しちゃって」
「ああ。あのときは大変でしたね」
「大変過ぎたですよ。もう苺、助手席にパンパンにつまっちゃって。乗り込むのも大変だったけど、降りるときはもっと大変だったですよ」
思い出して笑いがとめられない。店長さんも必死に笑いを堪えている。
「苺、いまそんなことを思い出させないでください。運転できなくなってしまうではありませんか。急がなくてはならないというのに……」
叱るように文句を言われ、苺は笑いながら、「ごめんです」と謝った。
車が走り出し、苺はほっと息をついた。
クリスマスにあげた、とんでもない代物について、羽歌乃おばあゃんから何も言われなくてすんだ。
また会うことになるのかなぁ?
次こそ、文句言われるかな?
けど、ひとまず、安心だ。
苺は肩から力を抜き、座席にもたれかかった。
「苺」
「はい?」
「そんなに気を抜いた姿勢で座っては駄目ですよ」
「うん? なんでですか?」
「帯がつぶれてしまう」
あっ、そうか!
苺は慌ててもたれるのを止め、背筋を伸ばした。
「そこまでする必要はありませんが……あまり体重をかけすぎないようにしてください」
「わかりました」
苺は帯がつぶれてしまったのではないかと心配になり、首を回して背中の帯の様子を見ようとしたが、無理だった。
「いまので、つぶれてないですよね?」
不安に駆られて尋ねる。
「次の信号で停まったら、確認してみましょう」
「お願いします」
ようやく信号で止まり、店長さんは帯を確認してくれたが、顔をしかめたのを見て、苺はドキリとした。
「つ、つぶれちゃったですか?」
「いいえ。大丈夫ですよ」
「でもいま、顔をしかめて……」
「貴女に大変な思いをさせてしまって、申し訳ないなと思ったので……」
「ああ。苺は大丈夫ですよ。ああ、けど明日も、振袖着るんですよね?」
「ええ。ですが、明日からは坂北さんが、店まで来てくれることになっていますから」
「坂北さんって、千佳子さんのことですか?」
「そうですよ」
「ふーん。なら、今日もお店に来てもらえばよかったんじゃ? なんで店長さんのお屋敷に予定変更になったんですか?」
「羽歌乃さんから、千佳子さんを貸す代わりに、そうするように言われて仕方なく」
「そうなんですか? けど、なんで店長さんのお屋敷に?」
「なぜでしょうね?」
おや、店長さんまで疑問系だ。
つまりは、羽歌乃おばあちゃんの単なる我が侭といいうやつなのか?
「あれっ? でも、店長さん、予定変更になったのかって聞いたら、なんだかんだ言ってましたよね? 福袋を売るとか、派手にして注目を引くことが大事とか……過去も答えを導き出す役に立つとか……」
思い出し思い出し口にしたら、店長さんがくくくっと笑い出した。
「店長さん?」
「貴女は、祖母に会うのを嫌がっていたでしょう?」
「ま……まあ、それは……」
渋々認めた苺は、ハッと気づいた。
「まさか、おばあちゃん絡みだっていうのを誤魔化すために、あれこれ言ってたんですか?」
「そうですよ。羽歌乃さんが待っているとは言い出せませんでしたからね。屋敷に着くまで、誤魔化すしかなかったのですよ」
「おばあちゃんの登場には、メチャクチャびっくりしたですよ」
まあ、そのことはもういいとして……
「過去がどうとか言ってたから、今回はイチゴサンタどころじゃない、派手なお正月版コスチュームに違いないって」
「過去については、コスチュームのことを指して言ったのですよ。実際、初売り用のコスチュームに着替えるためだったのですからね」
「コスチュームなんかじゃないじゃないですか。普通に振袖ですよ」
帯を押しつぶさないようにと、ずっと背筋を伸ばしておしゃべりしていたために、苺は息苦しくなって、「ふうーっ」と息を吐き出した。
帯で締められ、息がし辛い。
「苦しいですか?」
「まあ、はい。着物なんて、滅多に着ませんから。……おばあちゃんは、よく着物を着てるんですか?」
今日は着物姿だったが、あれはお正月だからなのだろうか?
クリスマスは黒いベルベットのドレスだった。
「そうですね。半々といったところでしょうか。着物は身も心も引き締まるのだそうですよ」
「この着物、どうしておばあちゃんが苺に着せてくれたんですか?」
「色々、聞きまわった結果ですね」
「えっ?それって、どういうことですか?」
「羽歌乃さんは、私が、貴女用に振袖を仕立てたことを突き止めて、着物を着せるなら自分がと、しゃしゃりでていらしたんですよ」
「この着物、店長さんが仕立てたって? こ、これ、苺のために?」
「コスチュームですよ。イチゴサンタの衣装やスーツと同じです」
そんなものと一括りにするには、さすがに値段が高すぎると思うんだけどなぁ。
「でも、ぜんぜん派手じゃないですよ。コスチュームっていうんなら、もっと奇抜な柄とかがよかったんじゃないかと思うんですけど……こんな普通の柄じゃ、注目は集められないし」
「鈴木さん、大丈夫ですよ」
「そうは思えないですけど。 わざわざ振袖を仕立ててもらったのに、役に立たないんじゃ、いいのかなあって…」
「いいのですよ」
苺の口真似をした店長さんに、苺はぷっと噴き出した。
「もおっ、店長さんったら」
苺は店長さんの腕を叩きながら笑った。
店長さんも愉快そうに笑っていたが、急に笑うのをやめ口を開いた。
「大丈夫ですから。……いまにわかりますよ」
はい?
「いまにわかるって?」
店長さんは、したり顔で微笑んだのだった。
そのしたり顔の意味を、いずれ苺は知ることになるのであった。
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