苺パニック6
[恋心編]
刊行記念番外編
節子サイド
『心配無用』
|
|
ゴミ袋を手に、裏口から外に出た節子は、冷え込んだ空気に身を縮ませた。
もう三月になったっていうのに、まだまだ寒いわねぇ。
それでも、ひと月も経たないうちに、桜も咲き始めるのよね。
そんなことを考えながら、節子は近所の家に目を向けた。
塀越しに桜の木が見えるのだが、枝についた蕾は固そうで、簡単には咲きそうにない。
「あら、まあ。春は遠そうじゃないの」
ゴミ置き場に着くと、ご近所さんがいた。
顔を合せれば、井戸端会議をするくらいの間柄だ。
いまは、事情があって、ちょっと顔を合わせたくなかったんだけど……
「おはようございます」
ゴミを置きながら挨拶し、そそくさと立ち去ろうとしたが、案の定……
「おはよう、鈴木さん。ちょっと、ちょっとぉ、苺ちゃんのこと、聞いたわよぉ」
そう切り出され、内心舌打ちしてしまう。
娘の苺のことを持ち出されるだろうと思っていたのだ。苺のことは、いまや隣近所で盛大に噂されているようなのだ。
「苺ちゃん、大金持ちのお坊ちゃんと付き合ってて、いまじゃ、おかかえ運転手さんがついてて、毎日エステに通ってるんですってぇ」
節子は顔を引きつらせた。
噂は、日々大袈裟に膨らんでいるらしい。
「ま、まさか、そんなことあるわけないじゃない。おかかえ運転手なんてあり得ないし、毎日エステに通ってるなんてこともあるわけないわよぉ」
冗談めかしてけらけら笑い、きっちり否定しておく。
「あら、そうなの?」
「噂って、ほんと大きく尾ひれがつくものなのねぇ。参っちゃうわ」
苦笑して言うと、相手もそうなのかと思ったようだ。
「あら、なんだ。本当のことじゃなかったの?」
「決まってるじゃないの。あるわけないわよ」
相手の肩を軽く叩き、節子は笑い飛ばした。
エステは週一回行っているようだし、高級車のお迎えが来たのも事実だ。しかも、そのお迎えのひとは、本物の執事ときた。
「なーんだ。噂が大きくなっちゃっただけなのね」
「そうそう、そうなのよ」
愛想よく相槌を打ち、節子は胸を撫で下ろした。だが……
「苺ちゃんのお相手のひと、俳優みたいにかっこいいひとだって聞いて、驚いてたんだけど……それもただの噂だったのねぇ。なーんだ」
その言い草に、節子はムッとした。娘を軽んじているような発言をされたのでは、さすがに面白くない。
「ま、まあ、その点については……否定できないかしらぁ」
「あ、あら、そうなの?」
「ええ、苺にはもったいないような素敵な人なのよ」
おいおい、わたし、何言っちゃってんだ。と思ったが、いまさら引けない。
「まあ、そうなの。苺ちゃんって可愛いものね。見染められたのねぇ」
見染めてもらえるような出来のいい娘ではないと、わかっている母としては、なんとも複雑だ。
「それじゃ、これで」
微笑みながら挨拶し、節子は急いでその場を後にした。
藤原が本気なのか、実のところ心配なのだ。夫の宏は、大丈夫だと言うけど……
苺も、幼馴染の剛君にしとけばよかったのよ。そしたら、わたしも安心だったのに。
そう考えると、余計な心配をかけられているようで、どうにもむかっ腹が立ってくる。
まったく、苺ときたら、剛君のどこが不満だったわけ?
あんなにかっこよくて、いい子なのに……
まあ、確かに素直に口にできないシャイな性格が仇になって、ふたり顔を合せれば口喧嘩ばっかりしてたけど……
それでも仲は良かったのだ。なのに、突然藤原が現れて……
剛の気持ちを考えると、節子もなんとも辛い。彼のことは、昔から自分の息子同然に思っていた。
剛君にすれば、突然、恋のライバルが現れて、苺を攫われたようなものよね。
もちろん、苺を大事にしてくれるのなら、藤原さんに不足はないんだけど……
「はあっ」
我が家の門を前にしてため息をついた節子は、前方からやってくる車に気づいて、眉を寄せた。
「あら? あの車って……藤原さんよね?」
車はやはり藤原のもので、節子の側で停車した。
こんな早朝に、いったいどうしたというのか?
驚いた節子だが、ゴミ置き場で別れたご近所さんの存在を、背中で強烈に意識する。
振り向かなくても、こっちを見てるだろうことはわかる。
藤原を見て、驚いていることだろう。
むっふふぅ。
自尊心をくすぐられ、すこぶる気分が良い。
藤原さん、このタイミングで現れてくれてありがとう。そんな節子の勝手な想いなど知らない藤原は、運転席の窓を開け、「おはようございます」と挨拶してきた。
「おはようございます。藤原さん、こんな早くに、どうしたんですか?」
「……苺さんと、神社で待ち合わせを」
藤原は、言い難そうに口にする。
「神社で待ち合わせ?」
首を傾げて聞き返すと、藤原は「ええ」と返事をし、「それでは」と窓を閉めてしまった。
遠ざかって行く藤原の車を見送りながら、節子は首を捻った。
苺ってば、こんな早朝に、彼氏と神社で待ち合わせって……ふたりして、何やってんだか?
門をくぐろうとしたら、「ちょっと鈴木さん」と先ほどのご近所さんが、血相を変えて声をかけてきた。
そうだった。いまの藤原とのやりとりを見られてたんだっけ。
「いまのがそうなの?」
「ええ、そうなの」
頷くと、ご近所さんの目は、限界までかっぴらく。
そんなご近所さんの反応に優越感を感じつつ、節子は「それじゃあ、また」と、いい気分で家に戻ったのだった。
朝食を食べながら、節子は家族に、ゴミ捨ての途中で藤原に会ったことを話した。
「神社で待ち合わせ?」
健太が眉をひそめて言う。
「こんな早朝にか?」
「そうなのよ。あのふたりときたら、いったい何やってんのかしら?」
宏は愉快そうに笑う。
「楽しそうじゃないか」
「藤原さんって、何を考えてるのかわからない人だもんな」
「あの苺とセットだからな。ふたりして何をやらかすか、わかったもんじゃないぞ」
宏は気楽そうに笑い飛ばしているが、節子は笑う気分じゃない。
「あの子、本当に大丈夫なのかしら?」
「おまえなぁ。そんな心配はいらんと言っとるだろう」
「あなたはそう言うけど……ほら、あのふたり、生まれも育ちも違いすぎるし……いずれうまくいかなくなる日が来るんじゃないかって、心配になるのよ」
「おいおい、未来のことを考えて心配しても仕方がないぞ。うまくいかなくなる日が来るかもしれん。それは誰と一緒になったって同じことだ。この人なら絶対に大丈夫なんてことは、あるわけがないんだからな」
「……まあ、そうよね」
「黙って、見守っててやれ。親ってのはそういうもんだろ」
「わかったわ」
「お袋、俺はさ、逆に、藤原さんは何があっても、苺を離さないだろうと思えるけどな」
「そう?」
どうやら、宏も健太も、嫁の真美も同じように思っているようだ。
「それにしても、神社で待ち合わせて、いったい何やってんだろうな?」
健太が首を捻っておかずを口に入れたそのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
「こんな時間に……いったい、誰かしら?」
思いつく相手がいない。
真美が立ち上がろうとするのを止め、節子は自分で玄関に向かった。
「お母さん、おはよう」
やってきたのは苺だった。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「あっ、うん」
「あんたひとりなの? 藤原さんと神社で待ち合わせたんじゃないの?」
「へっ! お母さん、なんで知ってんの?」
「藤原さんに聞いたのよ」
「ええっ、いつ?」
「今朝よ。ゴミ出しの帰りに、門の前でたまたま会ったのよ」
「そ、そうだったんだ」
「それで?」
「あ、あの……爽はいま車で待ってるんだ。これから爽のお屋敷で朝御飯を食べることになってさ、ここに苺の自転車を置かせてもらおうと思ってね」
「自転車? あんた自転車で神社に行ったの?」
「うん」
「なんでこんな時間に、藤原さんと神社で待ち合わせなんてしたのよ?」
「なんでって言われても……」
苺はもじもじしていたが、おずおずと顔を上げてきた。
「あ、あのさ……」
「何?」
「あ、あのね……苺さぁ、実はさぁ」
「何をもじもじしてんのよ。らしくないわね、苺。言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさいよ!」
イライラして、バシッと言ってやったら、苺がぷーっと頬を膨らませる。
「お、怒ることないじゃん!」
「怒っちゃいないわよ。あんたがもじもじしてばっかだから、イラっとしただけよ」
「イラっとって……」
「おいおい、何事だ?」
言い合っている声が聞こえたのか、宏がやってきた。健太と孫を抱いた真美までやってくる。
「え、えーっとさぁ」
玄関に揃った家族を見て、苺はまたもじもじし始める。
「いったい、どうした? 何か言いたいことでもあるのか?」
宏が苺に話しを促がす。
すると苺は、照れくさそうな顔をしつつ、「実はね、これ」と、左手を顔の前にかざした。
娘の薬指に嵌っているものを見て、節子は言葉を失くした。
「苺さん、それって……」
真美が驚きに目を見張って言う。
「まさか、ダイヤモンド……じゃないよな?」
健太がありえないだろうというように言うと、真美が否定して首を振る。
「いえ。ダイヤですよ。しかも、本物ですよね」
真美が笑いを堪えつつ言う。
本物のダイヤ? これって、いったい、いくらなわけ?
大体の想像で値段を算出しようとし、頬がヒクヒクする。
や、やめておこう。なんか、恐ろしいし……
「あ、あいつは、いったい何考えてんだぁ!」
宏が大声で怒鳴ったそのとき、当の藤原が姿を見せた。
「あっ、爽。ごめんです。すぐに戻るつもりだったんだけど……」
「いえ。やはり、いまご挨拶をさせていただきくべきかと思いまして……」
「藤原君」
「はい」
「その指輪は、なんなんだね?」
「もちろん、婚約指輪です。昨日、苺さんに受け取っていただきました」
「受け取ってって……ちょっと、苺。あんた藤原さんにプロポーズされたの?」
「う、うん」
苺は頬を桃色に染めて頷く。
ん、まあ〜っ!
声に出せず、口をパクパクしてしまう。
「藤原君、それは、本物のダイヤなのかね?」
「はい」
こともなげに頷く藤原に、節子は眩暈がした。
「い、苺、あんた、そんなふうに普通に指に嵌めてて、大丈夫なの?」
「う、うん。ちょっと重いかな……」
ちょっと重いかなって、この娘ときたら、何をとぼけたことを……
「おふたりとも、ご婚約、おめでとうございます」
真美が突然明るい声で祝いを口にし、節子はハッとした。
そ、そうよ……苺は藤原さんと正式に婚約したんだわ。ここは真美のように祝ってあげなきゃ。
だって、指輪があまりにも常軌を逸していたものだから……
「そうだな。ここはおめでとうだな」
そう言った健太は、愉快そうに藤原に向く。
「ねぇ、藤原さん、こんなやつで、本当にいいんですか?」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
むっとした苺が、文句を言う。
「苺」
藤原がやさしく苺に呼びかけた。むっとした顔のまま苺が目を向けると、藤原は苺を宥めるように、ぽんぽんとやさしく頭に触れる。
「私は、こんな苺さんがいいんですよ」
苦笑混じりに口にする藤原は、なんとも愛しそうな眼差しを苺に向けている。
それを見て、節子の胸はいっぱいになった。
宏や健太の言う通りだ。
このふたりに対して、心配など無用なのかもしれない。
|
|
|
あとがき
「苺パニック」最終巻、刊行記念として、節子視点をお届けしました。
こちらのお話は、エタニティサイトにて、番外編として掲載していただいております、苺視点のお話「しあわせ満喫」の、節子視点になっています。
「しあわせ満喫」のほうも、合わせてお楽しみにいただけましたら嬉しいです。
早朝に出くわした藤原、ふたりが神社で何をやっていたのか、
わけのわからないことばかりの節子です。
節子さんにしてみれば、色々思うところはあるけれど、娘がしあわせになってくれるならば、何も言うことはないのですよね。
さて、爽と苺、どこかおかしなカップルは、ついに正式に婚約者同士となりました。
そんなふたりのお話、またお届けできたらと思っています。
読んでくださって、ありがとうございました。
心からの感謝を込めて……
fuu(2014/3/24)
|
|
|