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59 本気の実感
エステの受付のところに戻ると、ソファに座っていた爽がさっと立ち上がった。
爽のところに戻ってきてほっとする間もなく、彼を目の前にしたことで、これまで味わったことのない緊張を覚えた。
「え、えーっと」
爽は、変身した苺の全身を、楽しそうに見つめる。
これまでだったら、ふざけた言葉がポンポン出てくるのに、いまの自分にはそれができない。
それが、身もだえしたくなるほど、もどかしい。
指輪を嵌められてからこっち、苺の世界が一変しちゃって。
頭はいまだにぐるぐる状態だ。
「ドレス、とても良く似合っていますよ。苺」
「そ、そうですか?」
褒められた。
嬉しい。照れくさい。……しかし、素直に照れられない。
おかしい。苺、おかしいぞ。
どうやら、感情が現実についていけてないようだ。
そう理性的に考えられているくせに、いまや感情の方は頭のあちこちを浮遊していて、役に立たないっていうか……
なんなんだよもおっ。
このよくわからない状態に、いっそ頭をぽかぽか叩きたくなる。
そんな苺の状態などわかっていないらしい爽は、相変わらず苺を見つめて、甘く微笑んでいる。
うきょーっ。この微笑み。
い、た、た、ま、れ、な、い!
「いまなら……」
爽が言葉を言いかけ、柔らかに苦笑する。
な、なんだ? いまなら、なんだって?
「は、はい?」
苺は返事を催促した。
「吉田が貴女にプレゼントした、あの帽子」
「あ、ああ」
「いまなら似合うと思いますよ。きっとピッタリだ。残念だな……」
ざ、残念? それって、あの帽子をかぶせたかったってことか?
いまの自分の服装を改めて確認し、苺は顔を引きつらせた。
どこの令嬢だっての!
この真っ白なドレスだけでも、苺らしくなくて恥かしくて、困っちゃってるってのに……
あんなエレガントな帽子を被った日には、苺じゃなくなるね!
心の中でキッパリ断言しておく。
とにかく、ここにあの帽子がなくてよかったよ。と、胸を撫で下ろす。
うん?
よくよく見れば、爽もスーツを着替えてる。
先ほど着ていたスーツより、もっとお洒落な感じのやつだ。
うはーっ、いまさらだけど、かっこいい!
こ、こんなひとが、本当に苺の恋人になったの?
マジ、信じられない。
いつも以上に気品あふれた貴族のごとき爽にエスコートされ、苺はエステを後にして車に乗り込んだ。
果たして、これからどこに向かうのか?
「これからどこに行くんですか?」
「秘密ですよ」
言うと思ったよ。
こうなると、いくら聞いたところで教えてはくれないだろう。
こんなにおしゃれして、ワンルームに戻るなんてことはないはず。ならば、爽のお屋敷?
「そんなに遠くありませんから、すぐにつきますよ」
行き先がどこなのか考えていたら、爽が言う。
「そ、そうなんですか?」
まあいいや、爽の連れて行くところに、おとなしくついていけばいい。
きっと、楽しいところなのに違いない。
だって、いまの爽は、すごくしあわせそうないい表情をしてる。
爽の気持ちが伝染したのか、口元に笑みを浮かべた苺だが、ふと自分の薬指の指輪を視覚に入れてしまい、また落ち着きを失くした。
でっかい宝石だよ。
ありえないくらい大きいよ。
なんでこんなに大きいんだ?
なんだか知らないが、だんだんむかっ腹が立ってきた。
あれは本気のプロポーズだったのか?
ほんとに苺と結婚するつもりなのか?
これが全部冗談でしたなんてことだったら、苺、ショックのあまり、二度と立ち直れないよ。
「おとなしいですね?」
もんもんと考えていたら、爽が話しかけてきた。
心が落ち着かず、むかむかしていた苺は、思わずむっとして爽を見る。
すると、爽がちらりとこちらに向き、驚いた顔になる。
「どうしたんです。なぜ不機嫌な顔をしているんですか?」
「あ、頭が、ぐるぐるしちゃってるからですよ」
「ぐるぐる?」
意味がわからないというように爽は言う。苺はもどかしさに駆られた。
「ぐるぐるですよ!」
「ですが、私の気持ちはわかっていたでしょう?」
「け、結婚するつもりになるとは……お、思ってなかったですよ」
爽はただ、苺を構うのを楽しんでるだけだって、ずっとそう思ってた。
苺には女としての魅力なんてないから、爽の恋愛の対象になんて絶対になれないって……
だから苺は……いつか爽は、苺と一緒にいるのに飽きて、いずれ離れて行っちゃうに違いないって……そう思ってて……ずっと不安で、辛くて……
「……ずっと一緒にいたいと言いましたよね?」
「嘘っぱちじゃないんですか?」
不安が消化できず、苺は思わず口にしてしまった。
「……こんなことで嘘をつくと思いますか?」
静かに口にされ、苺はドキリとした。
爽の傷ついた表情に、苺は慌てた。
「そ、そんなつもりじゃなかったですよ。ただ……」
「ただ?」
どうしても信じられないんですよ。
苺は大きく息を吸い、その心の声を抑え込んだ。
そんなことを言ったら、爽はさらに傷つく。
苺は泣きたくなった。
苺、馬鹿だ……
プロポーズしてもらえて、単純に嬉しがればいいのに、もしもって考えて、受け入れるのを怖がってるなんて。
だって、嬉し過ぎるから、怖いんだよ。
「……どこに向かってるんですか?」
「どうして、話をはぐらかすんですか?」
「苺が馬鹿だからですよ!」
そう叫んだら、爽は返す言葉がなくなったのか黙り込んでしまった。
沈黙がいたたまれない。
不安から、苺はカーッと頭に血が上り、激したまま口を開いた。
「ただでさえお馬鹿さんなのに、いま頭がぐるぐるなんですよ。お馬鹿な返事しかできない状態なんですっ!」
「……着きましたよ」
へっ?
苺は戸惑って車の外に目を向けた。
店長さんはさっと降りて助手席に回り込んでくる。
ドアを開けて手を差し出され、苺は困惑したままその手を取った。
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