|
第2話 恋煩い
ホワイトデーかぁ…
彼氏のいる女の子たちには、楽しみな日だろうが…
文香は目の前の、やたらテンションの上がっている友を見つめた。
彼女は達川響子。
バレンタインデーに、思いを寄せる相手に、勇気を振り絞ってチョコレートを手渡し…その場でオッケーを貰い、いまは彼氏もちという幸運なやつである。
そして明日は、彼氏となった恋しい相手から、お返しがいただけるホワイトデー。
ちったぁテンション下げろと言っても、無理な話だろう。
ホワイトデーとは、まったく関係のない文香は、響子ののろけ話しに、大様に相槌を打ち続けた。
「おはよう」
涼しげな声に、文香の胸は、トトトトククンと不規則に跳ねた。
ドックンドックンと脈打つ心臓を持て余しながら、彼女はゆっくりと首を回し、朝の挨拶をしてきた男子生徒を見上げた。
「おは…」
「おっはよぉん。新垣君!」
文香の挨拶は、響子の元気の良すぎる挨拶にかき消された。
新垣透也は、愉快そうな笑みを文香の瞳に注ぎ込んでくる。
こういうふたりだけの特別と思えるコンタクトを、彼から受け取ることは多かった。
そして文香は、些細だけれど、そんな秘密めいたことがあるたびに、彼に思われているように感じられて、舞い上がりそうになるのだ。
もちろん文香は、新垣の存在を知ったあたりから…ずーっと片思いしているわけで…
そしていま彼女は、偶然の積み重ねで、こうして彼の隣に座っていられる。
文香は天にいると確信できる神という存在にたいして、多大に感謝していた。
神様は、文香の恋を手伝ってくれているんじゃないだろうか?
だから、そのうち…彼と…なんて、甘い夢を見てしまう。
バレンタインデーの日に思い人に告白すると、響子が決意した時、彼女は文香も新垣にチョコを渡して告白しろと、しつこく説得してきた。
一緒に告白して、一緒に失恋して泣こうと響子は言っていたが…
結局、響子の告白は嬉し泣きで終わったわけで…
友の恋が実ったことは心から嬉しかったが、文香は響子に乗せられて、無謀な告白をしなかった自分にほっとしていた。
告ってフラれたら、いまの切ないけれど心地よい関係は消えてしまう。
もうこんな風に、彼の笑みを見つめながら、胸をドキドキさせ幸せな思いで会話することも出来なくなるのだ。
いまは幸福の極みと思えるこの席も、いたたまれない現実になるだろう。
もし、もし、新垣の中に、文香を恋する気持ちがあれば、彼女から告白しなくたって…きっと彼から…
けれど、そんな夢のような出来事が起こりそうな気配など、まるでなかった。
それがほんとの現実…
文香は自分の席に座って響子と話している新垣を見つめた。
同級生の中でも格段に大人びた雰囲気を持つ新垣。
背が高くて、気の利いた冗談をたまに言って人を笑わせるけど、どちらかというと寡黙なひとだ。
端整な顔立ちがたまに見せる控えめな笑みは、文香だけでなく、多くの女生徒達のハートを射抜いている。
彼と親しくなるに至った様々な偶然がなければ、たぶん文香は彼のことをここまで好きになってはいないと思う。
彼を遠目に見て、憧れの目を向けるだけしかできなくて、切なく青い恋心を疼かせ、初恋は蕾のままで終わっていただろう。
2年になってクラスが同じにならなきゃ、口さえ聞くことはなかったに違いない。
バレンタインデーの日、彼は数人の女の子からマジな告白をされたらしかった。
目撃はしていないが…耳にする噂はすべて事実だろうと思えた。
バレンタインデー以後、文香は苦しくてならなかった。
もし、彼が誰かと付き合い始めたらと思うと、心が張りさけそうだった。
その時、親友の響子はピンクの夢の中にいる状態だったし…
学校に通うのは耐え切れない苦痛になったに違いない。
だが、新垣が誰かと付き合い始めたという噂は流れてこなかったし、実際彼を見ていも、これまでとなんら変わりなく、きっと全員断ったのだと、文香は自分を安心させていた。
もちろん、だからって、安心してる場合じゃないのだ。
もうすぐ終業式がやってきて、そしたらクラス替えがある。
また一緒のクラスになれるとは限らないのだ。なれない確率の方がぐんと高い。
こうして隣の席にいられるのも…残り…
「古瀬、どうした?」
「え?」
新垣に声を掛けられて、文香は慌てて顔を向けた。
新垣相手におしゃべりを続けていた響子も口を閉じている。
ふたりに見つめられて、文香は慌てた。
「何?」
「いや、何か悩みでもあるのかなって思ってね。思いつめたような顔してたから」
「恋煩いじゃない」
「うん?」
響子のわざとらしい笑いを含んだ言葉に、新垣が眉を上げた。
「響ちゃん。そんなんじゃないわ」
思わずそう言ったが、図星なために、顔が赤らむ。
「ふふん」
響子は意味ありげな眼差しを新垣へと向けた。
文香は響子の頭を叩いてやりたかった。
そんな表情でそんな仕草をしては、文香の思いを露呈しているようなものじゃないか。
「何か悩みがあるんなら、僕でよければ相談に乗るよ」
気詰まりな空気を察してか、話題をさらりと流してくれた新垣に、文香は感謝を感じたが、それとは別に気も落ちた。
「新垣君。この場の冗談とかじゃなく、真面目に文香っちの相談に乗ってやってよ」
「もう、響ちゃんやめてってば」
またまた追い討ちを掛けるように言う響子の腕を、文香は強く引っ張った。
「いたた。もう、分かってるっちゃ」
いや、ちっとも分かってない。
ベルが鳴り、響子はひょうきんに小さく舌を出しながら、自分の机に走って行った。
文香は、もの問いたげな新垣の視線に気づかないふりをして顔を逸らした。
|
|