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第5話 失意の中
「どうしたの?文香、なんかあった?」
夕食を食べているところに、母に言われて文香は首を横に振った。
「なんにも」
正直言うと、胸が痛いほどひりつき、食べ物など喉を通りそうもなかった。
「そう?」
夕食を食べているのは文香ひとりだ。
だが、母が目の前に座って食べ終わるまで付き合ってくれる。
父が仕事で遅いときは、いつもこのパターンだ。
父がどんなに遅くなろうとも、母は父を待って、ふたりして夕食を食べる。
文香には兄と姉がいるが、社会人の兄は一人暮らしをしているし、姉の方は大学の学生寮に入ってしまっている。
「ね、お母さん」
「うん?」
「パパとママって、バイト先で知り合って付き合い始めたのは知ってるけど、どっちが告白したの?」
母は眉をくいっと上げ、鼻に皺を寄せた。
どうしてそんな質問をしたのか、文香は自分が理解出来なかった。
そんな話題は、いまもっとも避けたい気分なのに…
「文香?」
文香は転がり出した涙を持て余して、顔を歪めた。
「何があったの?」
「なんでもない。もう…ご馳走様」
彼女はそのまま席を立ち、自分の部屋に飛び込んだ。
ベッドに突っ伏し、彼女は涙が出なくなるまで泣き続けた。
どうやら、自分が思っていたより、彼女は新垣を好きだったらしい。
涙が出なくなっても、心はすっきりしなかった。
胸のあたりが、もやもやもやもやしてならない。
もうやだっ!やだよっ!
恋なんてしない方が良かったのだ。
両思いになれる確率ってのは、めちゃくちゃ低いんだもん。
なのに、どうして世の中には、カップルがうじょうじょいるんだろう?
新垣が文香に向ける眼差しを思い浮かべて、文香は噛み切りそうなほど強く唇を噛んだ。
全部…全部、彼女の独りよがりな思い上がりだったのだ…
あの新垣が、文香なんかを好きになるはずがなかったのだ。
文香はうぬぼれていた自分が、死ぬほど恥ずかしくてならなかった。
馬鹿、馬鹿、馬鹿!
「文香」
ドアを叩く音と母のやさしい声に、文香は目を瞑り、答えなかった。
心配してくれているだろうことは分かるが…
「お風呂に入らない?すっきりするわよ」
お風呂…
彼女は目を開けてドアを見つめた。
「…わかった」
泣きすぎたせいで、ずいぶんと掠れた声になった。
「うん」
母はそう返事をし、ドアの前から去ったようだった。
お風呂に入ってこよう。
ぐずぐず泣いていても仕方ないし、こうしていても辛さが増すだけだ。
明日、目を腫らして学校に行きたくない…
泣き腫らした目をしていたら、響子はそっとしておいてはくれずに、あれやこれや質問攻めしてくるだろうし…新垣だって心配して、わけを聞いてくるだろう。
もちろん、彼女のこの思いを、誰にも悟られたくない。
文香は顔を歪めた。
学校に行かなければならないのか?
新垣と、普通の顔をして普通に話せるだろうか?
そして吉岡を見て、彼女は普通でいられるだろうか?
明日…休もうかな…
学校をズル休みしたことなどないし…頭が痛いとかって言えば…きっと母は休ませてくれるに違いない。
けど、明日一日休んだからって、次の日学校に行ける?
できることなら、このまま春休みまで…そしたらクラス替えがあって…そしたら…
胸の疼きが強くなり、また頬に涙が伝い始めた。
文香は頬をゴシゴシ拭くと、パジャマと下着を取り出して階下に降りた。
彼女の足音を聞きつけたのか、ダイニングから母親が顔を出した。
「文香」
「はい」
彼女は顔を伏せたまま母に答えた。
「いよかんがあるのよ、お風呂上りに食べる?剥いておこうか」
正直何も欲しくなかった。それでも文香は「うん」と答えた。
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