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第2話 決心
「ただいま」
玄関に入った透也は、張りの無い声で言いながら靴を脱ぎ、家に上がりこんだ。
玄関の鍵が掛かっていなかったから、母は台所あたりにいるんだろうが、透也の声は聞こえなかったらしく、返事もなかった。
もちろん、いま母と語る気分じゃないし、自室にこもるまで気づかないでいてくれたらその方がありがたい。
透也は静かに階段を上がり、自分の部屋に入ると、鞄を机の上に放り投げて、ベッドに腰を下ろした。
期待していたぶんだけ虚しさに取り付かれた身体は、元気もゼロ。
「あーあ」
透也はため息をつき、ベッドに仰向けに転がった。
「はぁ」
二度目のため息とともに、頭の後ろで手を組んだ透也の頭に浮かぶのは、文香のことばかりだ。
小さなチョコをもらえるぐらいには、俺等、親しいよな?
親しいだろ?
親しいぞ!
自分に向けた問いに答えている自分に虚しさが増し、透也はどっと疲れた。
チクショー!
「透也」
ノックもせずにドアが開き、兄の言葉が飛んできた。
透也はむっくりと起き上がり、部屋の入り口にいる兄を睨んだ。
「駿兄、ノックしてくれないかな」
咎めるように言った透也は、兄が手にしているものを見て、眉をしかめた。
どうみても、バレンタインデーのチョコの包みだ。
まさか兄貴の野郎、自分が貰ったってこと、自慢しにきたのか?
「ほれっ」
眉を寄せたまま駿のチョコに視線を当てていた透也は、当のチョコが自分に向けて飛んできて、慌ててキャッチした。
「な、なんだ?」
「渡しといてくれってさ」
「は?誰から? 勝手に受け取るなよ」
「どうして?」
噛み付くように言った透也に、駿は問いと一緒に眉を上げた。
「どうしてって…貰ったら、何かしら返さなきゃならなくなるだろ。それに、俺、誰からももらうつもりなかったし…」
ひとり以外は…
「せっかく誠意でもって、お前にくれようってのに、なんてありがたみの無い奴だ。いいか、ちゃんとお礼言っとけよ」
駿は文句を言いながら、背を向けてそのまま出て行こうとする。
「お、おい、兄貴。まさか誰かわかんないやつからもらったなんて…」
「マリからだ。お前に渡しといてくれって頼まれた。いいか、そのチョコに見合っただけのお返し、ちゃんとしろよ」
なんだ、マリ子からか…
透也がチョコの包みを見つめている間に、駿はドアを閉めて出て行った。
さっそく包みを開け、透也は一粒口に入れた。
だが、正直、チョコはあんまり好きじゃない。
あまったるいな…
口の中に広がる甘味に透也は顔をしかめた。
これが文香からのチョコだったら…
きっと、夢のような気分で味わったんだろう。
夢か…
チッ!
透也は舌打ちしつつ、携帯を取り出してマリ子にお礼のメールを打った。
返事はすぐに返ってきた。メールでなく、電話で…
『透く〜ん』
「ああ、チョコ、サンキュ」
そう礼を言ったが、マリ子は黙り込んだまま返事をしない。
「マリ子?」
『いやいや、お礼を言うにしては、ありがたみのない声だなぁと思ってさ』
「あ…ごめん」
『良いよ、良いよ。幼馴染のチョコなんぞ。どうせどうでも良かったんだろうからさぁ』
マリ子は悲哀の込もった声で、捨て鉢に言った。
「そんなことは…」
『言い訳はいらないわよぉ。ともかくお返し期待しとくわ。それよりさぁ…』
幼馴染へのチョコのことなどもうどうでもいいらしく、マリ子はさっさと話題を変えた。
気落ちしていた透也は、マリ子との笑いの多い会話で少し元気を取り戻し、電話を終えた。
まあ、凹んでた気分を多少なりと元気にしてくれた分、お返しに加算してもいいかもしれない。
そう考えつつ透也は携帯をポケットに戻し、机を前に椅子に座ると、今日やらねばならない課題に取り掛かった。
「あー、また負けたぁ」
負けたものにあるまじき愉快そうな声で叫び、肇は楽しげににははと笑った。
まったく面白くない…
勝負している相手が、純粋に負けを悔しがらないせいで、勝ったというのに、まったく嬉しくないのだ。
バレンタインデーから二週間が過ぎ、彼女との仲を問題なく育んでいる肇から、今日はテレビゲームの誘いが掛かり、ひさしぶりだとやってきたのだが…
間違いだった。
「あーあ、響子ちゃん、今頃何してっかなぁ?」
ひとり言か透也への問い掛けかわからない肇の言葉を耳にし、透也はちらりと肇に視線を向けた。
「透也、どう思う?」
「そんなもんわかるか。透視能力なんて、俺は持ってないぞ」
肇の彼女となった達川は、今日は文香とふたりでショッピングということだった。
先週の土曜日は四人で映画を観て、ゲームセンターで遊んだ。
そしてその次の日の日曜日は、肇と達川は、ふたりきりでの初デートをしたらしい。
「推測でいいんだよ。どこぞあたりで買い物してんじゃないかなぁ?とかさ」
「アホらしい」
「なんでだよ。お前だって、彼女がどこにいるのか気になるくせに」
透也は、口の減らない肇を睨みつけた。
肇の言う彼女は、もちろん文香のことなわけで…
「文香ちゃんは、しょうがないって」
「は? しょうがないってどういう意味だ?」
「だからさ、すっげぇ、内向的ってか、内気な子じゃんか」
「ああ?」
「つまり…」
「もういい。肇、お前真剣にゲームやる気あるのか? ないなら俺、帰るぞ」
「短気だな…」
「はぁ?」
「ゲ、ゲームもするけどさ」
疲れを含んだ息を吐き出した透也に、肇は真顔になり、眉を寄せて「あのさ」と話し切り出した。
「俺、正直なとこ、ちょっと後悔してんだ」
透也は、肇の言葉に驚いた。
「後悔って? 達川とのことじゃないよな?」
「あ、いんや。そういうことじゃなくてさ。つまり、告白ってのはやっぱ、男からってのが定番なものだろ?」
透也は答えに困り、黙ったまま肇の目を見返した。
「告白ってのは、相当勇気がいるよ。確かに、響子ちゃんは俺のこと好きでいてくれるって思ってたけどさ、それでも好きだから付き合って欲しいっていうのは…」
肇の言いたいことと気持ちが理解でき、透也は顔をこわばらせて頷いた。
「…だな」
「俺、男らしくなかったと思えてさ…」
肩を落として肇は俯いた。
「響子ちゃんに告白してもらって付き合い始めたなんて…出来ればなかったことにして、自分が勇気出して告白しなおしたいってか…。贅沢言ってるのはわかるんだけど、こう、もやもやしてならないんだ」
肇がそんなことを考えていたとは…
彼女から告白してもらえて、幸せいっぱいなんだろうと思っていたのに…
「ゲーム、やるか?」
透也は、床においていたコントローラーを拾い上げ、肇を促した。
「ああ、うん」
テレビの画面を見つめ、コントローラーのボタンを押しながら、透也は口を開いた。
「お前達、もともと両思いだったんだ。…どっちが告白したかなんて、気にすることないと思うぞ」
肇は透也の言葉を聞き、しばらく唇を尖らせて考え込んでいたが、最後には「そうだな」と照れながら笑った。
「お前、告白するんだろ? 古瀬に」
肇のその言葉は、彼の胸にぐさりと突き刺さった。
「ああ」
すんなり答えた透也に、肇が「だな」と言いながら、にこっと笑った。
肇の言う通りだ。
万が一、あの内気な文香が告白してくれて、ふたりが付き合うことになっていたら…
透也も…いや、彼は肇以上に、彼女から告白してもらって付き合い始めたことを、ひどく悔やんだに違いない。
もちろん、彼氏彼女となった肇と達川は羨ましい。だが…
「よっしゃー、勝ったぁ!」
透也は、肇の嬉しげな叫びに、我に返った。
悩みながらゲームをしていたために、負けちまったらしい。
「よし、肇、もうひと勝負だ」
「おお」
肇のノリの良さに、透也は元気を貰い、隠れて笑いながら画面を見つめた。
こいつのおかげで、気持ちを切り替えられた。
「ありがとな」
透也は、画面の中のキャラを動かしながら、画面に向かって小声で言った。
「透也、いまなんか言ったか?」
「いや」
「そうか? あー負けたぁ。よしっ、透也、もうひと勝負だ」
肇の挑戦を受け、透也は頷いた。
文香に告白しよう。
万が一、振られたらなんて、女々しく考えずに…
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