彼の隣



透也視点

第5話 難解そうな地図



自転車置き場に自転車を停めた透也は、大きく息を吐いた。

目覚めからどうにも落ち着かなくて、彼はいつもよりかなり早く家を出てきた。

情けないことに、今朝は思うように朝食も喉を通らず、そんな状態で肇と顔を合わせて会話するのは億劫だった。

告白を予定している男の心には、当然の負荷ってやつだろうか…?

早く放課後になって、さっさと決戦の時を迎えたい。

そう思う一方で、彼女を前にして、いざ告白となったら…逃げずにいられるだろうかと、心が揺らぐ。

空を見上げてため息をつきながら顔をしかめた透也は、なんとか気分を切り替えて教室に向かった。


教室に入り、自分の席に着いた透也は、時間つぶしに読みかけの本を開いた。

けれどまったく集中できず、上の空で文字を追っているだけだった。

遅々として進まない時間にジリジリしつつ、胸に沈殿している重いものを息とともに吐いているうちに、文香の友達の達川が登校してきた。

透也に向けて笑みを浮かべ、軽く手を上げて挨拶した達川は、自分の席に鞄を置いてから彼のところに歩み寄ってきた。

「早いね」

「ああ」

「あのさ、その…小田君も、もう来てるの?」

「いや、今日は別々。でも、来てるんじゃないかなと思うけど…」

「そ、そうなんだ」

達川は傍目にわかるほど、もじもじとして落ち着かない。

「ねぇ、新垣くん。それって、面白いの?」

開いている本を指さして、達川が聞いてきた。

「まあまあかな」

「新垣君、本好きだよね」

「そうだね。きらいじゃないから読んでるんだけど」

透也はくすくす笑いながら達川に答えた。

「わ、笑わなくたって…。それでさ、昨日言ってた遊園地のことだけど…」

頬を赤らめた達川は、文句をいいつつ話題を変えてきた。


達川と話している間に、時間は始業時間直前になっていた。

だが、文香はまだやってきていない。

「遅いな…」

「ほんとに…文香、どうしたのかなぁ?」

教室の入り口に視線を向けて達川がそう言ったとき、始業のベルが鳴り出した。

透也に向けて何か言おうとした達川だったが、すぐに担任がやってきて、急いで自分の席に移動していった。

文香はいったいどうしたのだろう?

何で来ないのだ?

いったい彼女に何が起きたのだろうか?

不安を抱えたままホームルームが始まってしまい、担任の口から、文香が体調を悪くして欠席という情報がもたらされた。

休みだとは…

そんなに体調が悪いだなんて、彼女は大丈夫なのだろうか?

透也はぐっと顔をしかめた。

しかし、なんてタイミングが悪いのだ。





透也は、休み時間に文香にメールを打った。

だが、返事は返ってこず、不安が増した。

「達川、ちょっといい?」

昼休みに入り、透也はいつも一緒に昼飯を食うやつらと弁当を食べたあと、クラスメート数人と昼を食べている達川に声を掛けた。

「うん」

達川は開いた弁当箱をそのままに、彼について廊下に出てきた。

「古瀬にメールしてみたかい?」

「したけど、…返事来ないんだよね」

気掛かりそうに達川は言い、落ち着かない様子で、ポケットに手を突っ込んで携帯を取り出した。

「俺も。…だいぶ悪いのかな?…体調が悪いって言ってたけど、風邪なのかな?」

「うーん。でも、昨日はぜんぜんそんな感じじゃなかったし…」

彼女は手の中の携帯を、くるくる回し続けながら言った。

透也は達川の言葉に同意して頷いた。

「昼まで寝てたかも知れないよね。…ともかく電話してみるわ」

達川は話しながら携帯を操作し、すぐに耳に当てた。

かなり呼び出した後、達川の表情が変わり、透也を見て視線を上下させる。

どうやら出たらしく、彼はほっと息をついた。

「文香? どうしたのよぉ? 昨日は普通に元気だったのにさ…」

携帯から文香の声がもれ聞こえてきて、透也は反射的に携帯を取り上げていた。

「古瀬?」

その呼びかけに答える声は、なぜか返って来なかった。

そのことに眉をひそめつつも、彼は「風邪か?」と尋ねてみたが、それでも返事はない。

たったいま、達川と話をしていたのに…

達川は、どうしたの?というように、首を傾げて透也を見つめてくる。

「古瀬? 聞いてる?」

苦しげな息が微かに耳に届き、透也は眉をぐっと寄せた。

様子がおかしい…

「おい? どうかしたのか? 古瀬?」

事態がわからず、透也はパニックに駆られて声を荒げた。

「な、なに、なに? 新垣君、ど、どうしたのよ?」

「返事しないんだ。なんかあったんじゃないか?」

「ど、どうする? 新垣君、どうしよう?」

どうするったって…どうすりゃいいのだ?

混乱した透也の耳に、達川の名を叫ぶ文香の声が聞こえた。

えっ?

驚いている透也から、達川は自分の携帯を取り戻し、さっと耳に当てた。

「文香? いったいどうしたってのよ? あんた大丈夫なの?」

文香の返事を聞いていた達川は携帯を閉じ、不可解そうな表情で、透也を見返してきた。

「どうしたんだ? 達川、彼女は?」

「な、なんか…まったく要領つかめないんだけど…。喉の調子悪かったみたいで…でも、大丈夫だって言って、切っちゃった」

「はあ? ほんとうに大丈夫なのか?」

「そんなこと、わたしに聞かれても…」

確かに、達川の言うとおりだ。

「でもさ、倒れたとかじゃないみたいだったし…切る直前もちゃんと話してたし…そんなに心配しなくてもいいみたいだったよ」

そう話しているところに、達川の携帯に文香からのメールが届いた。

「驚かせてごめんだって。でも、心配いらないからって」

達川の言葉に透也は一応納得して頷いた。

当然彼の携帯にも、メールを返してきてくれるだろうと思っていたのに、そんなことはなく、胸の中で寂しさがくすぶった。

「あのさぁ、新垣くん」

「うん? 何?」

「今日の放課後だけど、用事とかある?」

そう達川から問われた透也は、一瞬返答に困った。

今日の放課後は、文香との約束があった。だが、その文香は体調を悪くして休みだ。

すでにそんな約束など自然消滅。

達川が透也に対して、どんな用件があるのか分からないが、付き合う気分では…

「ちょっと…約束が…」

「そ、そっか」

唇を噛んで俯いた達川は、意を決したように顔を上げて透也を見つめてきた。

「あのさ。新垣くん、文香のとこに様子見に行ってくれないかな。わたしも気になるし、行きたいんだけどさ、今日の放課後は…」

そういうことか。

「あ、そ、そうだな。行ってもいいよ。っていうか、俺もやっぱり、かなり気になるし…」

「約束あるんでしょ? ほんと、いいの?」

ずいぶんと期待をこめて達川が言った。

いったん断りを口にしてしまった手前、「ああ」と言うのはずいぶんと決まりが悪かった。

「ほんとに、よかったぁ!」

安堵の声を上げた達川は、昼休みのうちに、急いで文香の家までの地図を書いてくれた。

家に行くということは、彼女の家族に会うかも知れず、気後れを感じないでもないが、ともかく文香の様子を見に行くとしよう。

透也は、達川の難解そうな地図を、眉を寄せて眺めた。





   
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