彼の隣



透也視点

第6話 迷いの地図



電車の振動を感じながら、透也は流れてゆく景色を見つめた。

大きな紙袋と学生鞄を持ち、文香が毎日乗っている電車に乗っていることに、くすぐったいような思いにかられる。

こんな風になりゆきで、文香の家に行くことになるとは…

達川から様子を見てきて欲しいと頼まれたという大義名分はあるものの、この袋を携えてでは…

ホワイトデーの品を持ってきたことに…というか買ったことに、いまさらではあるが、透也は少なからぬ後悔を覚えていた。

こんなものを持参して行っては、文香の家族は変に思うかもしれない。

男友達の彼が、娘の見舞いに来たことだけでも、興味を引くだろうに…

単なる見舞いの品としてみてもらうには、いくらなんでも仰々しすぎる。

こいつを渡すのはやめて、降りる駅のコインロッカーに預けてしまおうか?

いや、家に訪問すること自体、止めた方がよくないか?

そんなネガティブな問答をしているうちに、電車は目的の駅に着いた。

改札口を出た透也はコインロッカーを探し出した。

コインロッカーに紙袋を入れようとしたところで、彼は躊躇した。

自分の面目がつぶれることを恐れてる…よな?…俺…

情けない自分に腹立ちが湧き、透也は開けていたロッカーを力任せに閉めていた。

バンとでかい音が周囲に響き、それなりの注目を集めたはずだが、彼は気にするのを止めた。

彼女にフラれたら、しばらくは立ち直れないほど落ち込むことになるのだ。

透也は紙袋と通学鞄を左手に持ち、制服の上着のポケットから手書きの地図を掴み出した。

達川の地図を頼りに、古瀬家への道のりを辿ったが、地図は透也を迷わせるばかりで、役には立たなかった。

交差点の角にあるこの(楽)ってのは、なんなのだ?そして、この角にある意味不明な文字は?

(ユイタントツー)ってのは?いや、(コイタンド・ノー)か?

透也は地図に書いてある、謎のような文字をまったく解読できず、舌打ちした。

読もうと思えば何通りにも読めるという、とんでもない文字…

達川…

もう少し正しく読み取れる文字を書けるよう、頼むから練習してくれ…


地図には駅から北へと、まっすぐな道があり、二つ目の四つ角には文字が埋め込んであるし、その場所に行けば、ああ、これかと納得できるんだろうと思ったのに…

安易に考えすぎていたらしい。

どうも達川は、自分の頭の中で重要でない道などを、省いているのではないかと思えた。

いま、達川は肇と一緒にいるんだろうし、電話など掛けてふたりの邪魔などしたくないのだが…

にっちもさっちもいかなくなった透也は、仕方なく達川に電話を掛けることに決めたが、いい加減歩き回りすぎて疲れた。

休める場所を探して、そこで電話することにしよう。

透也は次の角を曲がり、そこから辺りを窺ってみた。

少し先に、小さな公園があるようだ。

公園の入り口近くには、なぜか五、六人の女性がいた。

主婦の井戸端会議というやつのようだ。

女性の集団の横を通り抜けた透也は、公園の中に入ってベンチに座りこんですぐ、携帯を取り出して達川に掛けた。

『新垣君、もう文香のとこいったの?どうだった?』

達川の早口の問いに、透也はため息をついた。

「まだだよ。ところで君、いま肇と一緒かい?」

『うん。そうだけど…ああ、小田くんに用事だった?』

そんなわけはない。肇に用事なら、はじめからやつに掛けている。

「君にだよ。達川、君の地図、まったく役に立たないんだけど」

『ええっ、ほ、ほんと? 分かりやすく書いたつもりだったのに…』

どこがだ。

「あのさ、交差点らしきところに、楽って書いてあるんだけど、これは?」

『ラク? そんなこと書いてないと思うけどぉ』

「漢字で楽だよ。一文字。それとその対角に、もっと謎な文字があるんだ」

『な、謎? なにそれ?』

なにそれ?は、彼の台詞だ。

「正直、カタカナか、漢字かすらわからないんだけど…」

『ええーーーっ、ほんとにぃ?』

疑いをこめたような達川の叫びに、反論しようとした透也の目は、右方向からやって来て、公園の前で停まった幼稚園バスを捉えていた。

この主婦の集団は、そういうことか…

幼稚園児が元気な挨拶とともに、バスから飛ぶように降りてくる。

『あの、新垣君?』

興味を引かれてつい見つめていた透也は、達川の呼びかけで電話に意識を戻した。

「ああ、ごめん。えーと、コイタンド・ノー。とか、ユスタントツーとか…書いてあるんだけど…」

『はああ〜? そんなこと書いてないわよぉ。私が書いたのはね、ええーっと、…駅からま−−っすぐ歩くでしょ? で、右に曲がる角のとこに、大きな薬局があって、その反対側にあるのが、コインランドリーで…』

透也は、どっと疲れた。

薬局と、コインランドリーだったのか…

そう正解を聞いてから地図を見ると、コインランドリーと読める気がするから不思議だ。

たしかに、そのふたつの建物は目にしていた。

ここから少しばかり歩いた場所だ。

「達川」

透也は静かに達川に呼びかけた。

『は、はい?』

「君とは明日、…このことについて、充分に話し合おう」

透也は、声に重みをプラスしつつ、脅しを込めて言った。

『ひっ』というような叫びが聞こえ、肇が何か言う声も聞こえてきたが、透也は取り合わずに話を続けた。

「達川、また分からなかったら電話する。じゃ」

携帯を切り、ポケットに携帯を戻した彼は、賑やかに騒いでいる母と幼稚園児の集団に何気なく目を向け、驚いて眉をあげた。

あ…あれ、古瀬じゃないか…?

さっと立ち上がった透也は、急いで文香に歩み寄って行った。


「古瀬」

彼の呼びかけに、ぎょっとしたように文香が振り返ってきた。

こんな場所にまさか透也がいるとは思わないだろうから、この驚きも当然だろう。だが、驚いたのは透也とて同じ。

体調が悪くて学校を休んだというのに…もうよくなったのだろうか?

「な、なんで?」

目を丸くしたまま文香が言った。

眉間を寄せつつ透也は文香の様子を窺った。

「身体は?もう大丈夫なのか?…病院には行ったの?」

「あ、あう…ん…ううん…」

そう口にする文香の様子は、ずいぶんとおかしなものだった。

視線は定まらないし、まるで何者かに追われて怯えてでもいるかのように見えた。

「新垣君、が、学校の帰り?こ、これから、どこかに行くの?」

透也は、周囲に視線を走らせ、おかしな人物などいないのを確かめてから文香に向いた。

「約束しただろ?」

「約束?な、なんの…。あ…だ、だけど…休んだから…約束無理で…」

どこかたどたどしく語る文香を見つめながら、透也は胸に思い切り息を吸い込み、腹を固めて手にしていた紙袋を彼女に差し出した。

「これ」

自分の前に突き出された紙袋をみつめ、文香の表情に戸惑いが浮かんだ。

「え?な、何?」

「今日…その…」

言葉に詰まりながら、透也は後を続けた。

「ホワイトデー…とかだろ」

「あ…」

文香の困惑は当然だろう。

透也はうまくない状況に顔をしかめた。

お返しというのでもないのに、ホワイトデーだなんて言い出されては…





   
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